フリーダム・バーレーン



イエメンでの生活も5ヵ月もたってバハレーン(一般的にはバーレーンだけど、アラビア語ではバハレーンという発音になるのであえてバハレーンでいかせていただきま〜す)の空港に降り立ったとき、何だかとても違和感を感じてしまった。何もかもがとってもキレイなのだ。イエメンは道路にもゴミが散らばっていたりするから服もキレイなものなんて着ないし靴だってイエメンは道路歩いているだけで汚れちゃうし。何だかイキナリ田舎から都会にぽっと出てきたしまったよ〜な気分でバハレーンの旅が始まった。



1、バハレーン

バハレーンとはアラビア語で「二つの海」って意味である。ど〜して「二つ」なのか知らないけど、とにかく海に囲まれているからってことだと思う。
それに、バハレーンという国はとっても小さい。端から端まで歩いても行けるだろうってぐらいだ。でもこの小さい国ながらもいろんなモノが詰まっている。今回バハレーンに行こう!って思ったのも成り行きみたいなもんで、試験があったから忙しくてヴィザをとりに行く暇がなかったので、ヴィザのいらないバハレーンに文字どおりひとっとびしてしまった。でもいつかは行こう!って思っていたし、私は密かにバハレーンに行ったら絶対にはずせないってところが一つだけあった。それは、『キング・ファハド・コーズウエイ』である。 なぜにここを見たいのかと思われる方もいるだろう。私にとってキング・ファハド・コーズウエイは特別な思い入れがあるところだった。それは、バハレーンとサウジアラビアを橋一本で結んでいるからである。サウジアラビアには、もう何か無い限り入れないと思うとその気持ちはますます特別なものになる。どうしてもバハレーン側からサウジアラビアを眺めて見たい!!って思ったのである。

さて、話は変わって、今回ガルフエアーでバハレーンまで来た。ガルフエアーに電話してリコンファームをしたときのことである。電話をとったお兄ちゃんがリコンファームもそこそこに私のいろんな個人的なことを聞き始めた。
『君はサナアから来たんだね。え?サナアに住んでいる??ボクはすごくいろんな国の人に興味があるんだ。サナアの人とぜひ喋ってみたいなぁ』ってイキナリガンガンと喋り始めた。どうやら、私をイエメン人か何かと勘違いしたようだ。

「あの〜、サナアに住んでいるって言っても日本人なんですけどぉ〜」と言うと、

『え??日本人??そりゃ〜、ますます話してみたい。ボク、今までアジアも含めていろんな国に行ったけど日本までの便はガルフエアーにはないから日本には行ったことがないんだ。だから知っている日本人もいないし。日本ってボクにとっては遠い国だな。日本人にとても興味があるよ。日本人って何考えてるのかとか、どういう生活しているのとか、他のアジア人とは違うのかとか・・・ねぇ、君、ボクの仕事が終わったらちょっと会って話しない?』と矢継早に質問攻めジョータイの末、会って欲しいと言ってきた。これって一種のナンパ方??なーんて思いながら、リコンファームで電話したのにイキナリこの展開に驚いてしまったが、電話で話していて何だか私と似たような興味がある人なのかな〜って感じた。なぜなら、『人』に興味がある口ぶりだったから。私もバハレーニに興味があったのでそのバハレーニに会ってもいいかなって思い始めた。

「うん、会ってもいいよ。私、キング・ファハド・コーズウエイを見るためにバハレーンに来たの。だからそこに一緒に行かない?」ってことで、そのバハレーニと会うことになった。彼は仕事が8時に終わるのでその後にホテルまでお迎えに来てくれた。トヨタの白い豪華な車に乗った彼の名前はアスガル君。歳は22歳。そんなに若くしてこんな車に乗っている奴はロクなのがいないよなって内心思ってしまった。しかし、アスガル君は道中に

『ボクは前はガルフエアーのキャビン・クルーを2年間してたんだけど、家庭の事情でそれは辞めて、内勤にしたんだ。なぜって、キャビン・クルーはボクにとって大変だったんだ。家族とは1週間に1日しか会えないし。両親をとっても愛しているから面倒を見たいんだ。末っ子で男だから今、両親をケアしてあげれるのはボクだけなんだよ。この車で両親の送り迎えもしなくちゃいけないから、父親がこの車を買ってくれたんだよ。だから内勤に変えてもらったんだ』と熱い口調で語っている彼を横目で見ながら、そうか、だから若くしてこんないい車に乗っているんだなって思った。アスガル君は、両親のドライバーをも勤めているのである。それにしてもアラブ人はみんなとっても親や家族のことを大事にしている。血のつながりがこんなに強いなんて〜っていつも感心してしまう程だ。「両親をとっても愛しているんだよ」なんて言葉、他人には恥ずかしくて私はなかなか言えない。でもアラブ人はみんなといっていいほど、そういうことを口にする。そういうとき、何だかとても羨ましくなる。


2、キング・ファハド・コーズウエイ

ガルフの国はみんな似ていて道路に沿って点々とライトが光り、夜に車で走るととってもキレイだ。首都のマナーマから車で30分も走っただろうか。面白いことにバハレーニは国がとっても小さいので車で30分ほどの距離を『と〜っても遠い』って表現する。その「とっても遠い」キング・ファハド・コーズウエイに着いた。
サウジアラビアとバハレーンを結ぶこのコーズウエイの真中には税関と出国手続きをする所がある。バハレーン側には、国旗の色と同じ赤いタワーが、サウジアラビア側にも国旗と同じ緑色のタワーが建っていた。そのタワーは展望台になっていてそこからサウジアラビアの明りが見えるのだ。一直線に並んでキラキラと光るサウジアラビアの明りを見て「あぁ〜、あの光りのあっち側はもうサウジアラビアなんだな〜」って思うと感慨深いものがあった。一人感傷に耽っていると、アスガル君が横から

『サウジアラビアからは週末に沢山のサウジ人がバハレーンに遊びに来るからここはものすごく混雑するんだよ』って教えてくれた。

「そうなんだ。アスガルはサウジアラビアに行ったことあるの?」って聞いてみたら

『もちろん、何回も行ったことあるよ』などという。

「へぇ〜、日本人にとってはサウジアラビアに入国するのってすごく大変なんだよ。観光ヴィザもないし」と言うと、

『そうなんだ。ボク達ガルフの人間は、ヴィザなんていらないんだよ。気軽にサウジに出入りできるんだ』って言う。ぬわに〜?バハレーンからサウジアラビアを眺めに来た私がバカみたいじゃんよ〜!!って一人あっつくなってしまったが、夜にここへ来た方が絶対にキレイだよって夜に連れてきてくれたアスガル君に感謝した。展望台にあるレストランでアスガル君とお喋りした。彼は今までガルフエアーが飛んでいるアジアの国は知っているけど日本のことは全くしらない。今まで行ったところでは香港が彼の最もお気に入りの場所らしい。どうして?と聞いて見ると、「香港の人達は一番フレンドリーだったから」と答えていた。日本のことや日本の女性についてとかいろんな話をした。彼は本当に日本のことや日本人について知りがっていた。
私もバハレーニについて聞いてみた。バハレーニは3つのタイプに分かれるという。一つはいわゆるアッパークラスで信じられない位のお金持ち達。アッパークラスはバハレーニの20%ぐらいということだ。次はミドルクラスで40%ぐらい、そして意外なことにロークラスは40%もいるということだ。確かにバハレーニは他のガルフ諸国の人々と感じが違ったのは始めから感じていたけど、どうして違うのか始めによく判らなかった。でも、その後いろいろ聞いてみてなぜ、雰囲気が違うのかっていうのが判った。それは後で説明しよう。


3、古墳群

アスガル君の運転する車でキング・ファハド・コーズウエイに向かう途中、道路の脇に土が盛り上がってちょっとした小山になっているのがいくつも連なっているのが見えた。「あれって何?」と尋ねると『あれは、おじいさんのそのまたおじいさんのそのまたおじいさんのず〜っと昔のお墓なんだよ』と教えてくれた。
近代的な町並の脇にそのお墓の群を避けるようにして道路が建設されているのだ。うわぁ〜、こんなところにおじいさんのそのまたおじいさんのそのまたおじいさんのず〜っと昔の人達のお墓があるなんて!!それもお墓なんて代物じゃなくてタダ土を盛り上げたよ〜な形をしているのが面白い。それに何と言ってもバハレーンのような近代的な国にこういうものが大事に残されているのが印象的だった。
その古墳の地域は陶器でも有名らしく、道路の脇には小さい陶器を売る掘っ建て小屋のようなお店が連なっている。そこの店にはいくつもの陶器が積み上げられて売られているのだ。ここの砂は特殊な砂でとても小さくて固い材質なので陶器を造るのに適しているらしい。沢山積み上げられているものからパッと目についた薄いピンク色の陶器を手にとってみるとそれは貯金箱だった。お金が溜まったら壊してしまうものだ。「これって貯金箱なんだね。日本にも同じようなのあるよ。日本のもピンク色だけど、ブタの形をしているの』って言ったら、目を丸くしていた。これは飾ってくだけでもカワイイので手にしていると、アスガル君が『それ、欲しいの?』って聞いてきた。「うん、カワイイね、これ」というと、お店のおやじはボクの友達だからこれ君にプレゼントするって。わざわざサナアから来た日本人だから珍しいって。と言って、その貯金箱をプレゼントしてくれた。この貯金箱、壊れないようにタオルに包んで無事もって帰りました。もちろん、コレは貯金箱としては使わず、大事に飾っておくつもり。


4、シェイクス・ビーチ

バハレーンにはシェイクつまり首長、バハレーンで一番エライ人のプライベートのビーチがあるという。そこには現地バハレーニと現地に働いている労働者は入ることができないが、ヨーロッパ人や日本人なら入ることができるらしい。その真相を確かめに行ってみることにした。マナーマから約50分ほど車を走らせるので、バハレーニに言わせると「かなり遠い」ところにある。道中はとてもキレイな広い道路が完備されていて10分ずつごとにバハレーニの住むタウンが道路沿いに見えてくる。
バハレーン大学も見えてきた。小さい国の大学だからキャンパスも小さいのかな〜などと思ってはイケナイ。大学のゲートが見えてきたと思ってまた車で5分ほど走ると別のゲートが見えてくるほどの広さなのだ。日本の大学でこれほどのキャンパスをもつ大学って少ないだろう。バハレーン大学からちょっと行くといよいよシェイクスビーチだ。しかし、地元の人は入れないせいか「シェイクスビーチってどこにあるか知ってる?」って聞いてもほとんど誰も知らないのだ。周りの人に尋ねながらやっとシェイクスビーチについた。
ゲートには制服を着た門番2人が立っていて、「キミはフィリピン人か?」と聞かれたので、「い〜や、日本人ざます」と答えただけで「オッケ〜。あ、カメラは持ってないよね?」と聞かれたけど、「持ってませ〜ん」と証明書も何も見せなくても入ることができた。ゲートからちょっと歩くとそこは別世界のよ〜なところだった。イーサ首長の別荘である真っ白の大きな建物の真ん前には白い砂浜が広がっていて海は遠浅で青くとてもキレイだったが、そこではだ〜れも泳いでいない。誰も泳いでないビーチ、もったいないような気がしたのは私だけだろうか。海岸で金髪の男の子とそのお母さんが遊んでいる。その他は誰もいない。丁度サンセットの時間だったので砂浜にちょこんと座って日が沈むのをぼ〜っと眺めた。今日はここにはシェイクはいないらしいけれどセキュリティーの人は常に5〜6人いるし、裏の庭もとてもきれいに整備されている。シェイクともなるとやっぱり想像できないよ〜な生活しているんだろうなぁって思った。シェイクはここで現地の人は一切招待せず、外国人のみの豪華絢爛なパーティーとかを行っているらしい。バハレーンは金持ちの国なんだろうけど、道路には物乞いのバハレーニもいた。バハレーンの裏と表を見た気がした。


5、バハレーンの女達

バハレーンに来て一番驚いたこと、それはバハレーンの女達、特に若い女性である。
バハレーンの若い女性でアバーヤを着ている人って少ない。しかもヒジャーブも被っておらず、普通の洋服を着ているんだけど、その洋服も身体にピッタリとした最新流行の服や短いスカートの人までいる。始めはそれがバハレーン人だとは信じられなかったけど、地元の男性に聞いてみるとバハレーン人だと言う。

「ぎゃ〜!ねぇ、ねぇ、それってホント?あの女の人達ホントにバハレーン人なのぉ???私、アラビア半島でそんなの始めて見た。あのドバイでだって女性はアバーヤ着ていたし、ヒジャーブも被っていたよ〜〜」と一人コーフンして聞いてみると、どうしてそんなにコーフンしてるの?って感じで

『バハレーン人の女性には3つのタイプがあるんだよ。一つは年とった女性はアバーヤもヒジャーブも着ているんだ。もう一つはヒジャーブだけ被っていて洋服、そして最後はどちらも着ていない人さ』って教えてくれた。う〜ん、それにしても驚きだ。

「でもさ〜、短いスカートとかさ、そういうのって許されるワケ?とっても不思議」ってまだ、信じられなくてコーフン覚めやらぬ私はしつこく聞いてしまった。

『バハレーンはフリーダムの国なんだよ。だから何でもアリなのさ』という言葉に

「おぉ!フリーダムかぁ!でも、自分の彼女が短いスカートはいたりしたらどう思う?」って聞いてみた。

『自分の彼女や妻だったらやっぱりそういうのはイヤだなぁ〜』って言っていた。その後、男女、誰に聞いても『バハレーンはフリーダムの国さ!』って豪語してはばからない。何をもってフリーダムと考えているのだろう。


6、怒りのベリーダンス

今回の目玉としてあの『採れ野さん』にお会いすることになっていた。クウェートからバハレーンにわざわざやってきてくれた採れ野さんと初めてのごたいめ〜んとなった。なかなか男前の採れ野さんとは日本食を食べるためにガルフホテルというたっかそ〜なホテルに行った。夕食を食べて腹ごしらえをしたので、さぁ、どっかで一杯ということになったのだが、採れ野さんはこのお酒を楽しみにバハレーンまできたらしいけど、私はお酒が飲めないのでお酒はハッキリ言ってど〜でも良かった。それよりもベリーダンスが大好きなのでぜひベリーダンス鑑賞をしたいと思っていた。
ガルフホテルで知り合ったオバQ姿のおやじ2人に「どこかダンスを観れるいいとこ知りませんか?」って尋ねてみたら『すぐそこにちょっと高いけどいいところがあるよ、女の子達が踊りを見せてくれるんだ。自分で踊る分にもタダだよ』と教えてくれたので、採れ野さんと早速そこへ行くことに。しかし、そのオバQおやじをうらむことになったのだ・・・・。

その店は一見して高そうだったのでおそるおそる足を踏み入れてみたそこの店では真中にコの字型のステージがありバンドが後ろで歌っていた。そして身体にピッタリのドレスを着た女の子4人がステージ上に立っている。うっひょ〜!何だかすごい雰囲気じゃない?いい踊りが見れそうって思ったので、採れ野さんと『いっちゃいますか〜!』ってなノリで思わずその店に入ってしまった。しかし、何だかすごそ〜って思ったのは最初だけで、実はそこは女の子を鑑賞するだけのためのプレースだったのだぁ。ガ〜ン。だから観客はサウジ人らしき集団とイギリス人2組みと男ばっかでよくよく見ると女性は私しかいなかった。それに女の子はみんなキレイなんだけど、全然やる気がない。ステージ上を踊りもせずただ、クネクネと歩き回って採れ野さん撮影)いる。そしてお金持ちそうなサウジ人とかが前の席を陣取り、お気に入りの女の子に花の首飾りをかけてあげている。どうやらこの花の首飾りはチップの変わりで後でお金を請求される仕組らしい。なぜかは知らないけど、私達の席には花の首飾り係は一度もやってこなかった。冷やかしで来ているって見透かされていたのかもしれない。サウジのおやじ達はニヤニヤしながらお気に入りの女の子を自分の席に呼び、首飾りをかける。それ以外はいたってシ〜ンとしていて、音楽に合わせて手拍子することもなく、ただただじ〜〜っっと歩き回る女の子達を眺めているだけ。手拍子をしているのは、異様にノリのいいイギリス人男性2人組みと私達だけだった。

なんなのぉぉ??ここって??ベリーダンスが見れるっていうから来たのに、女の子達は踊りもせずクネクネ歩き回っているだけ。思わず採れ野さんに「ねぇ?これがダンスなの??あの子達歩き回っているだけじゃない。私が踊った方がまだ、マシじゃな〜い?オ〜イ、私に踊らせろ〜〜〜!」と怒ってしまったら、採れ野さんは『まぁまぁ、あのオバQおやじ達も自分で踊るだけならタダって言っていたし、純子さんがステージにでて踊ればいいじゃない?』と言われてしまった。う〜ん、ホントに踊れば良かったかも。とにかく結局ベリーダンスは鑑賞できず、しかもばっかかた〜い料金を取られ(オバQおやじは「ちょっと高い」と言っていたのにぃぃぃ〜!)と怒りのままに終わってしまったのでした。採れ野さん、お疲れさま〜!

(おまけ:思わず怒り爆発で席で踊るアラビア純子で〜す:採れ野さん撮影


7、バハレーンはアラブじゃない?

バハレーンはアラブじゃない、特にアラビア半島にあるアラブじゃない!って感じたことが多かった。始めから雰囲気が何だか違うって思っていたけど、私が感じたアラブじゃない部分を挙げてみよう。まず、アラブ諸国の多くでは、一般的に交通マナーが悪くブーブークラクションは鳴らすし、ウインカーもつけずに横入りはするし、イエメンでは車に轢かれそうになったことも何度もある。アラブでは交通事故が多いのだ。しかしバハレーンは違う。車に乗るときはシートベルトをするという規則があるらしくみんな一様に車に乗ったらシートベルトをする。この割合は日本よりも多いかもしれない。それに至るところに警察官がたっているせいか、交通マナーもいいのだ。みんなキチンとシートベルトをするので「そういう規則でもあるの?」と尋ねてみると『規則もあるけれど、シートベルトをしてないせいで死んだらイヤだから』という意見だった。う〜ん、アラブ人らしくないって感じた。

それからバハレーンでは殆どの人も英語を流暢に喋るのだ。この流暢さはどのアラブよりもすごいものがあるって感じた。なにせ、バハレーン人は自分達にとても誇りを持っているのだ。英語を流暢に話せることも含めて、自分達は他のアラブ諸国、特にサウジ人やクウェート人とは違うんだっていう頭がある。何が違うのかって言うと、『自分達は彼等よりもソフィスティケートされていて、彼等はバハレーンに遊びに来てはタダタダお金を使いまくるだけだし、彼等の国では彼等は自分の力で稼ぐことをしない。でも、自分達バハレーン人は違うんだ。ちゃんと自分達で働いてお金を稼いでいるんだから』という意見の人が多かった。確かにバハレーンでは出稼ぎ労働者もいるけれど、それは他のガルフ諸国の比じゃないと思う。それに『自分は何とかのDEGREEも持っているし、何とかの免許も持っているし、今でも英語を習いに通っているんだよ。バハレーン人は勉強するのが大好きなんだ』と教えてくれた人もいた。確かに勉強熱心な人が多いと感じた。自分達を更に向上させるために日々努力しているということだろうか。

それに聞いたところによると、バハレーンの結婚式は男女一緒で踊りまくりのものらしい。日本のようにここで彼女や彼氏を見つけることもあるという。バハレーンではぬわんと結婚前でも彼氏、彼女をつくれるし、男女関係もオーケーなのには驚いた。それに結婚相手も多くのアラブ諸国がファミリーアレンジなのに対して、バハレーンでは自分で結婚相手を見つけるのが普通なのだ。「それって親は何も言わないの?」と聞いてみると『うるさく言う親もいるけれど、結婚する相手は自分で納得のいく人と結婚したいだろ?だから親にもちゃんと紹介するし、承諾を得てから結婚するんだ』と言う意見の人が多かった。「でも、どうやって結婚相手見つけるの?」と尋ねると『そりゃ〜、どこでも見つかるよ。職場とか、何かのパーティーとか、いろいろ』と教えてくれた。う〜ん、あまりの違いにただただ驚いてしまった。

もう一つ違うって思ったのは、バハレーンの女性達はアバーヤとヒジャーブを被る割合が減っていると書いたけど、男性もあの、私の大好きなオバQ姿も実は減っているらしい。若者は殆どあのオバQは着ていない。あのドバイでだってオバQは結構いたからこの割合はアラブ諸国で一番だろうな〜。どうしてオバQ着ないの?って聞いてみたら「あれは涼しくて着心地がいいけど、バハレーンで着ているのはもうおじさんだけなんだよ」って言う。そう言われてみてみると、確かにおじさんだけがオバQを着ていた。ちょっと私としては悲しい現象だなぁ。


8、レセプションのアリー

今回泊まったホテルで働いていたレセプションのアリーは、バハレーン人。彼もなかなかの向上心の持ち主でヒンディー語やフランス語もちろん英語も喋れる人である。彼は

『ホテルに勤めているといろんな人を見るけれど君みたいにナイスな人はあまりいないんだ。君はバハレーンという国を見に来ているだろう?でも、ここにくる多くの人達はそういう人じゃないんだ。ボクはレセプションで長いこと働いているから裏も表も見てきている。それで感じたことは、アラブ人、特にサウジ人やクウェート人は誰のことも構わないんだ。お金さえ払えばいいって感じで、それは男も女も同じことさ。だからボクは彼等がキライなんだ』などと言う。

「つまり、男女ともおなじようにお金を遣いまくりでタダ浪費しに来ているってこと?」と聞いてみると、

『そう、全くイヤになるよ。バハレーンという国を見にきているワケじゃないからね』と言っていた。う〜ん、でも私は週末をはずしてしまったのでサウジ人やクウェート人の浪費ぶりを見ることができなかったのが残念だった。できることならもう少し滞在してこの目で見てきたかったな〜。

さて、そんなアリーは私にしつこくつきまとっていたアキールという男性を撃退してくれた。このアキールとは、遅い昼食をとることになってしまい、オープンしているレストランが見つからなかったのでたまたま入ったファーストフードの店で会ってしまったのだ。私がハンバーガーをほおばっていると、彼がちょっとペンを貸してくれというので貸してやったのがそもそもの始まりだった。そちらのテーブルに移ってもいいかと聞いてくるので、ちょっと面倒だな〜って思ったけど、丁度日本食の材料を買える場所を探していたので聞いてみようと思い、いいですよって承諾した。それで日本食の材料を売っているところを友達に電話して聞いてくれた。そこでちょっと気を許してしまったのが敗因だった。彼はもう仕事が始まるからあまり時間がなかったようでお話はあまりしなかったのだが、何人なの?どこに住んでるの?何してるの?って普通の話しをしていてどこ泊まっているの?という質問にまで正直に答えてしまった。それでもう仕事の再開時間になったのでじゃあねって別れたのだが、ぬわんと、そのアキールはその夜ホテルに私を尋ねてやってきたのだ。ガ〜ン、このアキールあまり会いたくないタイプだったのでホテルのレセプションのアリーから『アキールという男性がロビーに来てますよ』という電話を受けたときに思わず、「私はチェックアウトしたって言ってくれない?」って頼んでしまった。アリーは何も聞かずにアキールにそう伝えてくれたのだ。その後、アリーは何度もかかってくるアキールからの電話を一切私の部屋につながないでくれた。
アリーありがとう!


9、バハレーンの女子学生達

今年の10月にオープンしたばっかりというバハレーンのショッピングモールに買いだしにでかけた。
丁度お昼の時間帯で、お腹がすいたので、ちょっと腹ごしらえでもって思い、フードコーナーに行って見た。女子学生らしき集団がケンタッキーの前に沢山たむろしていた。みんな白い半袖シャツに青いスカートの制服を着ている。イエメンでも登下校中の女子学生と沢山会うけど、みんな青のアバーヤに白いヒジャーブをかぶっているのだが、バハレーンの女子学生はアバーヤは着ていない。その違いが面白くて、私もケンタッキーでチキンサンドを購入してそのフードコーナーに集団で座っている彼女らを観察してみた。

バハレーンではバハレーン女性でさえ、身体にピッタリした服を着ているぐらいだから、もちろん在住している外国人(主にヨーロッパ人)などは、ホントにヘソだしルックばりのものすごい格好をして歩いているのだ。オイオイ、ここは一応アラブじゃないのか?ってこっちが懸念してしまうぐらいの凄さ。
バハレーンの女子学生達は、制服でもスカートを短くしている子もいれば普通の長さの子もいて、同じ制服でも個人によって差をつけている。それで、集団で席に座ってバクバクケンタッキーを食べながら擦れ違う外国人を観察しているのだ。

向こうからハイティーンぐらいのすごい格好をしたヨーロッパ人の女の子2人組みが歩いてきた。みんな一斉に振り返り女の子二人組みを上から下まで嘗めるよ〜な視線でジロジロ見ている。そして、彼女らが通りすぎると『ねぇねぇ、今の見たぁ〜〜?なんか凄いよねぇ〜』ってな事をいっている(実際は聞こえなかったが彼女らの視線や様子で何喋ってるかぐらいは判る)。そ〜していちいち通りすぎた人の批評をしているのだ。特に同じぐらいの歳の子が擦れ違ったりした日には、そりゃ〜凄い反応だ。
ものすごい格好をした人が通りすぎる度にみんな顔をしかめて『げげ〜』ってな感じで騒いでいる。そんな彼女達を観察するのは面白かった。こまっしゃくれた女の子って感じで。

私も充分に彼女達を観察して食べ終わってからトイレに行ったら、さっきのこまっしゃくれ女の子が2人入ってきた。
案の定、私も上から下までジロジロみられたが、その視線にも負けずに「あなたたち、高校生?」って聞いて見た。『違うよ、中学生だよ』って言われて驚いた。だって、トイレで髪をとかしていたり、化粧こそしていなかったけど、体格も良くてとても中学生には見えなかったからだ。いやぁ〜、イエメンの中学生とはエライ違いだ。彼女達が大きくなったらどんなバハレーニヤ(バハレーン人の女性名詞)になるんだろう?


10、フリーダム、バハレーン!

あまりにアラブらしくないので拍子抜けしてしまい本領を発揮できなかったような気がする今回の旅だった。
しかし、アラブらしくないアラブもあってもいいのかもしれない。みんな同じじゃつまんないし。バハレーン人は自分達の力で頑張って行こう!という気負いが感じられたし、誰もが口にする『フリーダムの国、バハレーン』という言葉は私の脳裏に深く焼き付いてしまった。そう、バハレーンでは、石油がアラブで始めて発見されたがその石油も残り少ないらしいし、これからは自分達の力で国を造って行かなければならないってひしひしと感じているんだろう。だからこそ勉強にも力を入れているし、誰もが向上心を持っている。そしてこれからますますアラブらしくなくなるんだろうけど、私としてはどんなにアラブらしくなくなるのか、また見てみたいって思った。でも表面上はアラブらしさを失ってきていても、彼等にはまだアラブの心は残っている気がした。それまでを失っては欲しくないなぁ〜。


最後に、カメラを持ってない私のために採れ野さんのデジカメで撮影した画像を載せています。兄弟の契りを結んだ(?)採れ野さん、ありがとう!!


もう、帰りたいよぉ〜ってな方は、こっち