恐怖のエジプト



1、アラビア純子の母、イエメンへ

母がイエメンに住む私のところに今年の1月上旬に会いに来てくれた。「若者がするような旅をしたい」という母の願望もあって、母はイエメンに一人で私を訪ねて来たのだ。母の年齢で一人でイエメンまで来るのは相当疲れただろうし、相当大変なモノがあっただろうって思う。しかし、母は幸い英語が喋れるから何とかイエメンまで一人で来ることができるだろうって思っていたし、医者だから体の不調があっても一人で何とかするだろうとも思っていた。イエメンでは、年末にイギリス人殺害事件があったためそうそう廻れないということで、一緒にエジプトへ脱出計画を立てていた。その為に母はエジプト航空で、一度カイロに1日滞在し、そっからイエメンまで来ることになっていた。そして、私もイエメンでエジプト航空のサナア〜カイロの便を往復購入して同じ便でエジプトに行けるように準備万端の手配していた。このエジプト航空は、サナアではVISA カードを受け付けてくれない。今までの航空会社でそんなの初めてだ。イエメニアだって受け付けているのに。

それはどうでもいいとして、旅を終えた母は、ぬわんと私の知らない間にじゅんこ2に「イエメンに行ってきました」というメールをだしていたのだ。パソコンを母の誕生日に父からプレゼントされたのだけど、なにせメールをする相手が私ぐらいしかいない。そこでじゅんこ2にメールをだしたらしいのだ。じゅんこ2もロミオも母と会ったことがあるので面識はあるものの、全く〜。ま、それはいいとして、じゅんこ2とロミオは『あのお母さんが一番過酷なエジプト経由でイエメン行ったのかね〜。やっぱりアラビア純子の母だよね』とウワサしていたらしい。

母はじゅんこ2には「若者がするような旅をしてきました。もっとこれからもこういう旅をしていたい」などと豪語していたらしい。が、しか〜し、母はイエメン到着してすぐ、文句タラタラだったのだ。私の家にはゲスト用の寝具もないし、水が沢山使えない状況にあったのでお風呂も満足に入れないし、冬だったし、サナアはかなり寒いから母にはホテルに泊まってもらった。しかし、母が来たときは私は学校があったのでその間、母はひとりぼっちだった。まぁ、一人でも母なら何とかやっていけると思っていたので、そうそう英語は通じないこと、タクシーにはぼられないよ〜に(相場を教えておいた)、道が判らなくなったらその辺の人に聞けばみんなよってたかって教えてくれる、バーバルヤマンにでも行ってスーク見学でもしてきたら?と言ってホテルの名前とバーバルヤマンとアラビア語で書いた紙を渡して私は学校に行ってしまった。 学校から帰って、母のホテルに寄ってみると、まだ母はホテルに帰ってきていなかった。スークにでも行ったんだろうって部屋で待っていたら、疲れ果てた顔をした母が帰ってきた。

『ど〜したの?スークに行ってきた?』と聞いたら

『バーバルヤマンに行ったら、道路に病気みたいな吐いている人はいるし、手や足がない人が物乞いしているし、道路にウンコみたいのが散らかっているし、ゴミも沢山道路に散らばっているし、スークに買いたいようなものは売っていないし、あんまり汚いから、きれいなところを見たいと思ってタクシーの運転手に行ったら英語できるって言っていたくせに、全然こっちの言うこと理解できなくて、変なところをぐるぐる廻って、あまりに廻るから、今度は大学が見たいって「ユニバーシティー」って言ったのに、それも理解できなくて(サナアニーには「ユニバルシティー」じゃないと通じないと思うんだけど)、結局、一人で行って見たのにバーバルヤマンの前にまた連れて行かれて、ココはもう見たって何回も言ったけど、通じなくて・・・・、それにホテルに帰ってきたら、タクシー代をべらぼうに要求されて・・・、アラブ人って何でも交渉しなくちゃいけないから疲れる、日本だったらそんなことないし・・もう、帰りたいよぉ〜』と一気にまくしたてて、最後には涙声になり泣き出してしまった。オイオイ、一人でも何とかやっていけると思っていた私だったけど、やっぱりアラビア純子の母でもイキナリ、イエメンで一人で行動するのはムリだったみたい。一人で行動してよっぽど疲れ果ててしまったようだ。翌日は学校を休み、母の相手をした。

一緒にサウジアラビアには行ったことがあるので、大体のアラブの感じは判っているとは思っていたけど、やはりガルフとイエメンじゃ、かなり違うものがあるし、母はこの件で、アラブが嫌いになったようだ。『アラブじゃ、どうして物の値段が決まってないの?いちいち交渉するなんて疲れて仕方がない。それにゴミは平気でその辺に投げるし、イエメンも建物はキレイなんだから、このゴミを何とかしない限り、観光客はイヤな気持ちになるんじゃない?こんな汚いところにどうして住まなくちゃいけないの?早く帰ってきなさい』と延々と言い続けている。イエメンの面白さを見ないうちに悪い面だけ見てしまったので相当その印象が強いらしく、いくらイエメンを弁護しても聞く耳を持たなかった。う〜ん、確かにイエメンは今まで行ったアラブじゃ一番汚いし、ゴミも平気でその辺に散らばっている。でも、イエメン人は人がいいし、そういうのを判って欲しかったし、そういうところに住めて私は幸せに思っているということを判って欲しかったのだけど、これじゃ、逆効果だ。あ〜、早くエジプトに脱出しないと、延々と愚痴を聞かされるハメになると思った。ところがエジプトではもっと母のアラブ嫌いを増長するよ〜な恐怖の出来事が待っていたのであ〜る。


2、アラブ人でさえ行きたいエジプト

学校の先生や友達にエジプトへ行くというとほかのアラブに行くよりも反応がすごい。みんないいなぁ〜って顔をするし、エジプトは大好きだって言うアラブ人は多いのだ。 しかし、サウジなどのガルフの人間はエジプトが嫌いなようだ。『人がすごく商才にたけていて悪い人が多いから』という。とはいってもやはり、エジプトは5000年の歴史を持つ遺跡の宝庫だ。死ぬ前に一度は見てみたいと思っていたピラミッド、ナイル川の水を飲んだものはナイルに帰るということわざ、ツタンカーメンに、アズハルモスクに・・・なんでもござれのエジプトはやはり行って見る価値がある国だろう。 アラブの中でエジプトは最も日本人が訪れている国だろうし、アラブの中では最も有名な国だ。それに、1週間で廻るにはあまりにも広すぎる。今回のエジプトでは、ラマダーン中であるということ、それに母の年齢でたかだか1週間程度の旅であちこち廻るのは疲れるだろうと思ったのでカイロとアレキサンドリアだけを見ることにしていた。

カイロについて、さて、どこから廻ろうか?と考え、「やっぱりピラミッドでしょ〜!!」ということになり、ビジョー(アラビア語では「P」の発音がないためにプジョーがビジョーになってしまう)に乗ってギザまで行くことに。運転手はムハンマドという名前で人の良さそうなおじさんだ。気の良さそうなフリをして、「ギザにあるパピルス博物館に連れて行こうか」などと言っている。博物館なら見てもいいかって思い、行くことに。しか〜し、そこは博物館とは名ばかりでタダのパピルス屋だった。店員はパピルスの作り方を実演してくれてしかも日本語も操る。日本語を話せるエジプト人は警戒していたし、パピルスを買う気はないので、いらな〜いと逃げ出した。全く気が許せない。イエメンじゃそりゃ、ボラれたりすることはあるけど、エジプトはそれ以上に気を許してはいけない。無条件の親切と、本当の親切を見極めるのは、アラブではかなり難しい。イエメンでもそういうのあるけれど、エジプトでも見極めが難しいと思う。

そんなことでコイツは信用できぬと思ったけれど、とりあえず乗ってしまったタクシーだ。ピラミッドまではカイロから近いので『どこにも寄り道しないで、まっすぐピラミッドまで行ってちょうだい』と言ったにも関わらず、ムハンマドは今度はピラミッドの手前のラクダや馬や馬車で廻れるというピラミッド手前の場所で止まった。タクシーが止まったとたん、店員達が一斉にラクダに乗らないか?とか馬ではどう?とか言ってくる。オイオイ、きっとここは、このタクシーおっさんと提携しているに違いないと思ったので、ムハンマドに『もう、早くピラミッドに行きたいし馬とかラクダなんてこっからなんて乗らないよ。とにかく早くピラミッドに行ってよね!』ってな感じでとうとう憧れのピラミッドへと到着した。

チケット売り場の前でタクシーを降り、歩いて廻ることになったけど意外に広いし、冬だったけど昼間は太陽がサンサンと降り注ぎ暑い。おまけにラクダ引きや馬引き、自称ガイドの兄ちゃんに、絵葉書を売る少年・・・と憧れのピラミッドをゆっくり鑑賞し、感慨に耽る暇もないほどだ。全く、こっちはゆっくりみたいのに、これじゃあ、見れないじゃな〜い、とちょっとお怒りで、人があまりいない方へと自然と足が向かっていた。適当に歩き廻っているとバッタリ出くわした、メンカウラー王のピラミッドが並んでいた。クフ王やカフラー王のピラミッドは人気があるのでその分、うるさすぎるガイドやら何やらもその辺りを徘徊している。だからあまのじゃく根性も手伝ってその小さいピラミッドを見ることにした。入り口はドアがカギがかけられていて政府の人間らしき制服を着たエジプト人がカギを持っている。お願いしてそこを開けてもらい中を見学し、そのあとでそのエジプト人の友達というアラビア語しか喋れないエジプト人が今度は王妃のピラミッドがある場所に連れて行ってくれた。そのエジプト人はアラビア語しか喋れないので私がアラビア語を喋ると嬉しそうに案内を始めた。

王妃のピラミッドの入り口はちゃんとしたドアがあるワケでもなく、地面にあいている穴みたいな入り口から入る。そして、やっと私が通り抜けられるだけのクネクネしたとてもせま〜い道(というかトンネル)を歩くとそこには王妃とその子供達の部屋があった。『ココにはそんなに人を連れてこない、君は特別だ』などと言っていたけど、観光客がここまで来ないってダケの話のような気もする。なかなか面白かったけど、やっぱり出てきたら『バクシーシ』を請求された。まぁ、案内してもらったしなって思って払おうと思ったけど、私のサイフには持ち合わせの細かいお金がなかった。母のサイフに入っていたのだ。母の身体ではそこの穴から入れそうになかったし、母は嫌がるので外で待ってもらっていた。

『私は小さいお金持ってないんだよ〜。母が持っているの』と言うと、『じゃあ、お母さんに頼め』などと言う。母も細かいお金を持っていなかったし、初日からのあまりのバクシーシ攻撃に疲れていたのだが、そのエジプト人は結構シツコイ。あまりにしつこいので、『イエメニリヤルなら持っているよ』と言ってみた。そ〜すると『それでもいいからよこせ』と段々態度がデカクなってくるので、こっちも頭にきて『このイエメニリヤルはと〜ってもイエメンじゃ高いお金なんだよ。エジプトでも換金できるよ』と言って、イエメニ20リヤル(日本円で20円弱)を渡したら、『わ〜い』と素直に喜んでいた。ちょっと罪悪感もあったけど、バクシーシ攻撃にはこれぐらいの対処をした方がいいなどと自分を納得させた。

ところで、そのメンカウラー王のピラミッドの近くでいちゃいちゃしているエジプト人カップルを見かけた。 オイオイこんなところで・・・・と思って、そのガイドエジプト人に『あそこの裏でいちゃいちゃしてるカップルを見たよ』と言うと、『ここは、「シャーラ・アル・ホッブ(意訳すれば「恋人達の通り」)」って呼ばれているんだよ。若いエジプト人のカップルはここまで来ていちゃいちゃするのさ、ホッブ(愛)だよ、ホッブ。ホッブは大事だからね』ってコーフンして教えてくれた。う〜む、神聖な雰囲気のピラミッド周辺でそんな名前の通りがあるとは・・・、やっぱりエジプトってすごい。

それから、このピラミッドに日本人が結構、夜中に入り込んでピラミッドの頂上まで登頂して自慢しているらしい。法律で今はピラミッドに登頂などしてはイケナイとされている。結構、落ちてケガしたり亡くなったりしてしまう人が多かったからだそうだ。 ケガするのは勝手だけど、法律で禁止されていることをやってのけて何が楽しいんだろう? そんなの自己満足以外の何ものでもない。それに大体、ピラミッドという世界的な歴史の遺産に対してだって失礼だって思う。そう思いませんか??


3、タクシー運ちゃんとの戦い

   アレキサンドリアへのジェットバスの乗り場が変わっていて、どこか判らないのでタクシーに乗ってその乗り場まで行ったとき、値段の交渉になったのだけど、相場よりも相当高い値段をふっかけてくる。

「アンタね〜、それって高すぎるでしょ?そんなんだったらもう降りるからいいよ」と言うと、サングラスをかけてやたら太ったガラの悪い運ちゃんは、

『日本人は今まで好きだったけど、今日から嫌いになったよ』などと投げ捨てるよ〜に言う。

「それって日本人はホイホイ何でもお金を多く払うからでしょ?私は相場を知っているし、アンタがボッているのだって知っているから、そうそうホイホイ払ったりなんかしない。それに日本人はあまり抗議もしないからアンタにとっては上客なんでしょ?それに、バクシーシ、バクシーシってタダ通りに立っているだけで何もしてないのにエジプト人は平気でバクシーシって言うけれど、バクシーシってタダお金をあげればいいってもんじゃないでしょ?何かしてもらって、その感謝の気持ちでするもんだと思う。何もしてくれてないのにバクシーシ払う気なんてサラサラないね」とこちらも負けずに応戦すると、

『アンタのアラビア語は下手っぴ〜だ』などと言い出す始末。

「いいもんね〜、私はまだ6ヵ月しか勉強してないからヘタなのに決まっているでしょ。それよりアンタの英語だってへたっぴ〜じゃない、人のこと言えないね」などと子供のケンカみたいになってしまったけど、エジプト人はアラブ人の中でも結構ケンカ早いので相手もそんなに気にしていないみたい。お互い言いたいことを言い合ってというのは案外気持ちいいものかもしれないね。

バクシーシはムスリムの義務の一つのザカート(施し)とは違うと思っているし、それが潤滑油になってコトがスムーズに運ぶにこしたことはないだろう。でも、私は必要以上のバクシーシを払う気持ちもないし、払う必要もないと思っている。単純に要求されたからといって払ってばかり、それも多額の金額を払っていたら、あとで来る観光客にも迷惑な話だ。


4、や〜ば〜にや〜攻撃

  日本女性はきっと中東の中でも最も多くエジプトに訪れているのだろう。だからみんなから一発で『や〜ば〜にや!(日本人)』と指をさされたり、面と向かって『やぁ〜ばぁ〜にぃやぁぁぁぁ〜〜!!』と大声で言われる。そして誰かが大きな声でそう言うと、周りにいた人達もオヤ?といった感じでまたまた「や〜ば〜にや〜」攻撃が始まる。それもイエメンのような控えめな態度ではなく、何だかズケズケと言われるのだ。どうしてこうなんだろう?エジプト人って何でも極端だ。

それに日本人女性は軽いから「ヤレル」と思っている人もいるようでやたら馴れ馴れしい。日本人女性が結構エジプトで遊んでいるという話も聞いたことがあるし、遊ぶのは勝手だけど、同じ日本人女性としては迷惑な話だ。だって、その人達と同じ日本人だというだけで同レベルに見られるから。「旅の恥はかき捨て」などというが、そんな恥などかきすてて欲しくないって思う。

それに私が最近だした説がある。イエメンでも多いしシリアも多いらしいけど、「初めて会った女性に『結婚しているの?』とイキナリ聞いてすぐにプロポーズするのはアラブの中でもエジプト人が最も多い」という説だ。実際にいたることで『結婚してるの?え?してないの?それじゃ〜ボクと結婚しない??』と初めて会ったにもかかわらず言う人の多いこと、多いこと。そんなのイチイチ真に受けて、『私ってモテるんだわ〜』って勘違いしてはイケナイ。そんなので舞い上がっているのなら相当日本じゃモテない女性だろう。

そ〜言えば、ヨルダンに行ったとき、ジャブリーというヨルダンでも有名なハルーワ(Sweets)のお店にお菓子を買いに行ったときのことである。店に入るなり『あ、君、日本人??結婚してるの?してないならボクと結婚しない??』とイキナリ言われた。ヨルダン人はどちらかというと上品な雰囲気であまりノッケからそういうことを口にしないんだなって、街を歩いていてそういう印象があったので、「オヤ、珍しいな」って意外に思った。そこでよくよく聞いてみると、そのお兄ちゃんはぬわんと「エジプト人」だったのだ!思わず一人で、やっぱりね〜!と納得している私を見て兄ちゃんは状況が把握できないようだったけど。


5、と〜っても高い入場料

  地下鉄とかの公共の乗り物に比べてべらぼ〜に、どこに行ってもたか〜い博物館や遺跡の入場料。ケタが違うのだ。それにあまりに高いし、よくよく入り口のアラビア語の説明を読むと地元エジプト人は外国人料金の10分の一。観光で成り立っているエジプトだけど、そりゃないよな〜。地元のエジプト人は安いから博物館や遺跡にも結構見学にきているのだけど、私が見る限り、地元の人で外国人の観光客みたさに押しかけている人もいるようである。それに、入場料の他カメラやビデオの持ち込みも別料金だ。カメラは持っていたけど、別に撮影する気はなかったので、「カメラ持っているけど、写さないよぉ〜」というと別に払わなくてもいい場所もあった。その係員の度量によるところが大きいのだろう。でもさすがエジプト老古学博物館はチェックが厳しかった。カメラ用のチケットを払わないで通りすぎようとしたらしっかりチェックされて「チケット買ってこい」と言われてしまった。しかし、私はイエメンの学校の学生証を幸いにも持ってきていた。だからやたらめったら「学生だ〜い!」と言わんばかりに学生証を見せびらかし、全部半額で入ることができたのである。学生証の威力ってすごい。とは言っても私のはアラビア語に写真がついたものだったから有無を言わせなかったのかもしれないけど。コレほどエジプトでは入場料が高いのだ。ヘタしたら、ご飯を食べるよりも高くつく。だから、学生証を持って行ったのは大正解だった。


6、アレキサンドリアで事件発生

  アレキサンドリアの見所の一つであるカイトベイ要塞を見学していたときのこと、この要塞はアレキサンドリアのはずれに建っている。要塞は塀のようなもので囲まれていてその上には登れるようになっている。すぐ下は地中海だ。浜辺でなにやら人が沢山集まっており、ダイバーも4人いる。何ごとかと思って上から見つめていると、浜辺の人達が『おぉ〜!!』という奇声を一斉にあげ、その声がしたと思ったらすぐにダイバー達がフィンを持って海に入ろうとしていた。よくよく見ると、ぬわんと、波の合間から3歳ぐらいの男の子が浮かんだり沈んだりしていたのだ。どうやら、海に落ちてしまったらしい。だけど、もう亡くなっているみたいで、ぐったりとした身体は波にさらわれて見えなくなってしまった。そしてその男の子の親らしき人がみんなに支えられて泣いている。ダイバー達はその男の子を探し出そうと必死だ。しかし、波が相当高くダイバー達が海に入ったら彼等達まで危険な状態だった。しばらく見つめていたが、その男の子はもう浮かんではこない。上にいるエジプト人達もみんな一斉にその様子を窺っている。とうとうその男の子はもう姿が見当たらなくなってしまった。

私の隣に来た高校生ぐらいのエジプト人の女の子が状況が判らなかったようなので『男の子が海に落ちて死んじゃったみたいだよ。かわいそうにね』と言うと、その事件よりも私がアラビア語を話せることにビックリしたらしく、『アラビア語話せるんですね』と言った。『うん、サナアで勉強しているから。もう行かなくちゃいけないから、じゃあね』とだけ言って去ろうとすると、彼女はお話したいような素振りを見せた。しかし母も待っていることだし、私ももっとお話したかったけど帰ってしまった。ちょっと残念だったなぁ。


7、ラマダーンとイード・アル・フィトル

今回、エジプトに行った時期はラマダーンの終りとラマダーン明けのお祭りであるイード・アル・フィトルの真っ最中だった。ラマダーン自体はあまりイエメンでのラマダーンと大した変化はなかったけど、一つだけ面白いな〜って思ったことがある。

ラマダーン中、オープンテラスのレストランで大の男達がテーブルに並べられた食事を前に20分も前から座ってじっと待っている。5時になったら食べ始めていいとのことで、大の男たちがみんなおとなしく待っている光景は始めてみた。イエメンじゃ、ラマダーン解除の食事(ファトール)は、大抵家の中でとることが多いからそんなの見たことがなかったのだ。それにラマダーン中はどこのアラブでも夜に盛り上がるのは同じだけど、エジプトでは、その盛り上がり方が異常にすごい。夜中の1時ごろでも路上は人であふれてすごい騒ぎである。昼間は活動が鈍り、その分夜の活動はすごいのはイエメンも同じだけど、 まったくエジプト人ってすごいパワーあるなぁ〜って感心していたほどだけど、感心するどころじゃない騒ぎにイードの最中は巻き込まれたのである。

イード・アル・フィトルのお祭りの初日、さて、今日はちょっと遠出してキレイだと言うウワサの地下鉄に気分の趣くまま乗ってしまおうという計画を立てていた。地下鉄は予想以上のキレイさで、気分よく乗っていた。

カイロ郊外のアイン・ヘルワーンという駅には蝋人形館があるというので、さっそく、アイン・ヘルワーンで下車することにした。アイン・ヘルワーンはカイロと比べると全くの田舎の様子で、工場みたいなものと家ぐらいしかないところだ。駅の裏側ではイードのお祭りの真っ最中で、日本のお祭りに毛が生えたという程度のお祭りだったけど、ブランコや、鉄砲撃ち、輪投げに綿あめに・・・いろいろあってなかなか面白そうだし、そこには約200人ぐらいの子供達や大人も遊んでいる。私と母だけがその空間で外国人で、みんな注目している。一人の10歳ぐらいの男の子が、突然話しかけてきた。私がアラビア語で答えると、その子は周りの友達に向かって『オイ、コイツアラビア語喋れるぜ〜』などと言ったものだから、そこにいるガキがみんな集まってきた。そしてもの珍しそうに顔を覗き込んだり、名前を聞かれたり、どっから来たの?などと質問される。ここまでは普通、どこに行ってもある話だけど、その後、極度にコーフンした男の子や女の子のガキの集団約40人に囲まれて身動きができなくなった。そしてそのガキどもに胸をわしづかみにされたり、首にキスされたり、おしりを触られたり、髪を引っぱられたり・・・で、こっちが声を大にして「やめてよ!」って言っても、ガキどもは極度のコーフンじょーたい覚めやらず。ついにこっちも足ゲリしたり平手打ちで応戦したけど、何せ、ガキとは言っても、約40人も周りを取り囲まれているのでどうにもならない。それにそのドサクサで判らなかったのだけど、ぬわんとウチの母にまで同じことをしていたらしい。コレは一体、何??アラブでこんなこと始めてだ!と考えている間もなかった。

しばらくすると騒ぎを聞きつけた割と年長の男の子が私達の腕を掴み、走り出した。逃げろと言っているので、一緒に逃げる。それを追いかけるガキの集団。そして蝋人形館までの追いかけっことなってしまった。やっとの思いで蝋人形館に着くと、係員のおじさんがガキどもを怒っているのだが、ガキどもはそんなこと聞く耳持たずで、蝋人形館の中にまでドーッとなだれ込んできた。げげげ、と思っていると、今度はそのおじさんが棒を振りかざして怒り始めたので、やっとガキどもはおとなしくなった。

そして、蝋人形館もそこそこにアイン・ヘルワーンの町を抜け出そうとしたのだが、蝋人形館を出た途端、またまた同じことが始まった。そして、さきほど助けてくれた男の子と駅までまた走って逃げたのだが、ガキどもはまたまた追いかけてくる。ガキとは言え、下は10歳から上は15、6歳ぐらいの子もいる。そしてその15歳ぐらいのガキが一番触りマクってくるのだ。こちらが足を止めて怒ったところでガキどもはやめないだろうと判断して駅まで一気に走った。あ〜〜、やっと駅についたと思ったら、今度は駅の中までガキがなだれ込んできて、駅構内はパニック状態になった。全く、これじゃ、逃げ場がないじゃない、ど〜しよう?と思って泣きそうになっていると、駅にいたお巡りさんが4人現われた。あ〜助かった。お巡りさんはガキどもを追い払い、私たち親子をガキから遠ざけ、とにかく切符を買わなくていいから中に入れと言う。後でお金を払って切符を買い、お巡りさんに護衛されながらの脱出劇だった。

それにしても、一体なんざましょ〜??????コレって一種の暴力だ。私が思うにラマダーン明けのイードのお祭りで極度にコーフンしていたところに私達が現われたものだから更にそれを助長させてしまったらしい。それに珍しい外国人ということで一種のアイドル状態になってしまい、アイドルならとにかく触りたいっていう感覚だろうか、それにしても60過ぎている母にまで同じことをしなくてもいいんじゃないかな〜?母があまりのショックにショック死したらど〜してくれんのよ!!

しかし、この極度のコーフンジョータイはアイン・ヘルワーンだけではなかった。アレキサンドリアでも道路が満員電車かと思うぐらいの人ごみで、身動きがとれないし、子供達は爆竹を鳴らしまくったり、とにかくウルサすぎるのだ。アイン・ヘルワーンの恐怖が蘇り、話しかけられても誰とも話さずにいた。恐ろしいほどのエジプト人のパワーにタダタダ、圧倒されてしまったのである。


8、エジプト人

たった1週間でもあまりに事件が起こりすぎたため、母は『だから、アラブ人は〜〜〜』というのが口癖のよ〜になってしまい、いちいち弁護する気力も起こらなかった。それに、アラブ人と一口に言ってもサウジ人、エミレーツ人、オマーン人、ヨルダン人、バハレーン人、そしてイエメン人は、基本的には同じところがあっても、それぞれ違うところもあるから一概に『アラブ人は〜』とは言えないだろう。しかし、旅を終えてみると、そういう事も楽しい思い出に変わってしまうようで、母は『結構楽しかった』というまでになったのである。そうそう、ガルフ諸国はキレイだし、そういう事件も少ないと思うけど、旅するならイエメンとかエジプトとか、日本人の普段の生活からは想像もできないぐらいの体験をしたほうが印象に残るというものだろう。でも、イエメンはまだしも、エジプトはそれ相当のパワーがこちらにもないと、エジプト人のパワーに、タダタダ圧倒されてしまうかもしれない。タイは若いうちに行け!ならず、「エジプトは若いうちに行け!」といったところだろうか。

それにエジプト人にはチカンもやたらと多い。おみやげ屋のおやじも触りマクリで、ドサクサに紛れて高いところにあるものを手に取ろうとした時に胸とかを触る、全く〜、いいつけてやるから!(誰に〜?)ま、日本だって満員電車に痴漢は沢山いるからヒトのこと言えないかもね。

それから、エジプト人の顔には特徴がある。背が高く、顔がベース型または四角型で、顔がゴツイ。つまりムバーラク大統領の顔なんかが典型的なエジプト人の顔じゃなかろうか。

それからエジプト人と言えば、はびぃびぃ〜〜!!(my loveの意味)とよく歌っている「アムル・ディアップ」はイエメンのみならず、アラブ世界ではとても人気がある歌手だ。この歌手のテープはイエメンで私がお会いした日本人の方々にも、よくお勧めしている。イエメンの女友達がカイロに遊びに行ったとき、彼女はエジプトのディスコでアムル・ディアップとたまたま隣り合せたそうだ。さすが、売れているだけあって、『ムタカッベル・ジッダン(鼻がと〜っても高い)』ヤツだったらしい。あまりにいい気になっているので、その友達は長い髪を振り向きざまにバサ〜っとアムル・ディアップの顔にかけてやり『あらっ、ごめんなさ〜い』とだけ言って、アムル・ディアップ本人だと気付かないフリをしたらしい。きっと、アムル・ディアップは、『このオレ様に気付かないとは・・・』と苦々しく思ったに違いない。

最後にエジプト人の感想でも書こうと思う。今回の旅は母と一緒だったため、いつものように誰かとじっくり話せる状況になかった。そのために表面的な意見しか述べれないけれど、とにかく、エジプト人はよく言えば陽気、悪く言えば、かなりずうずうしいところもある。しかし、人の中にズケズケ入ってくる分、こっちもズケズケできるから、ケンカするぐらいの気持ちで接しても構わないだろう。日本人は黙ってガマンするのが美徳とされているけど、それじゃあ、エジプトじゃ通用しない。自分の意思をハッキリ伝えること、そして、エジプト人に翻弄されながらも逆にそれを楽しんでしまえ!という気持ちも持ち合わせてしまえば、きっと楽しいだろう。アラブ人は大概そういう傾向にあるけれど、イスラームの影響もあって、とても人間臭いところがある。それがエジプト人は顕著だ。泣きたい時に泣ける、笑いたい時に笑える、そんなエジプト人ととことんつきあってみるのも悪くないかもしれない。


9、番外編(エジプトで見つけた美味しいもの、不思議なもの)

エジプトで見つけた美味しいもの、といったら、私は第一に『オンム・アリー(アリーのお母さん)』をあげる。コレはエジプト独自のSweetsで、どこのレストランにも大抵あるし、とっても甘いけど、とっても美味しい。ほのかなココナッツミルクの味のするクリームの中にパイ生地を入れてナッツやら干ぶどうが入っているもの。パッと見は、白いクリームの中になにやら浮かんでいるよ〜な感じだけど、エジプト料理は見ためじゃないんだよね。口の中に入れるとあま〜いけどパイ生地によくミルクが染みていて、おいし〜い!エジプトのママの味ってところかな? 作り方を下(↓)に書いておくから、作ってみたい人は挑戦してね!

それから、エジプトといえば、『コシャリ』!コレもおいし〜い!専門のコシャリ屋がいっぱいある。これは、米やマカロニ、スパゲッティの切れ端、に茶色の小粒なレンズ豆だけが入っていてそこにサルサというトマトソースがかかっている、お好みで塩を足したり、酢を足したりできる。コレはかなり日本人の口に合う代物だろう。ハーン・ハリーリーのスークの一角にあるコシャリ屋でコレをほおばっていた時、ハッと気付いたら、後ろに貧しそうな3人の子供連れのお母さんが立っていた。子供はお腹がすいたような顔をしている。カワイソウになって『このコシャリ食べる?』って聞いたら、すごく食べたそうな顔をしているけど、同時にお母さんの顔色を窺っている。そして『いいから、食べなよ』と言うと、おずおずと、しかし嬉しそうに食べ始めた。私達が去ろうとすると、『ありがとう』と笑顔でコシャリをほおばりながら、そしてその子供を見守っているお母さんまでもが言ってくれた。

どちらもイエメンに帰ってきてからも食べたいモノだ。

エジプトで初めて見た『ほおずき売りの少年』、屋台に沢山のほおずきを積んでいる。オヤ?これはアラブで初めて見たな〜、どう見てもほおずきだ。でも、ほおずきって子供のころに食べたことがあるけど、まずかった記憶がある。こんなの売れるのかな?って不思議に思って、少年にお願いして一つ口に入れてみる。 それは、驚くことに、ほんのりあま〜く美味しいのだ。へぇ〜、こんなの売っているんだなぁってビックリした。ほおずきはどうも果物の一種みたいな感覚で売られているみたいだ。いろんな国の屋台の観察ってその地独自のものが売られていたりするから面白いよ!見かけたら是非試してみてね!

『オンム・アリーの作り方』
<準備するもの>
1、パイシート(1/2kg)
2、1カップのミックスナッツ
(アーモンド、ヘーゼルナッツ、ピーカン、ピーナッツなど自分で用意できるものを砕いて砂糖を1/3、ナッツを2/3ぐらいで1カップの量にする)
3、ココナッツ(乾燥したもの)スプーン1杯
4、無塩バターあるいはフレッシュクリームスプーン1杯
5、2カップのwell-sweetened milk ←コレ、何ざましょ〜?
6、干ブドウ適量
<作り方>
1、パイシートをオーブンで1〜2分暖めてから、手でぐしゃぐしゃにする。
2、それをオーブン用容器に敷く
3、ミックスナッツとココナッツ、干ブドウをその上にばらまく
4、well-sweetened milkを暖めてその上に注ぐ
5、バターかクリームを注ぐ
6、中ぐらいの温度のオーブンに入れて上が焦茶色になるまで焼く
で、できあがり〜〜!ぜひ、お試しあれ!


母にコレをHPにアップする前に一応見せたら『ママはアラブが嫌いというところは削除してください。嫌いではなく、馴れないだけです。日本に帰って来て考えたら何度もいきたい気持です』というメールが届いた。


もう、帰りたいよぉ〜ってな方は、こっち