1、故フセイン国王 ヨルダンといえば、最近、国民にとても親愛されていたフセイン国王がガンのためになくなった国である。私がヨルダンに着いた次の日は丁度、フセイン国王の喪が明けた日でもあった。イエメンでテレビをみていても亡くなる少し前は連日のようにフセイン国王の映像を流していたし、国王の葬儀でも各国のお偉い様方々が葬儀に出席している映像が延々と何時間にも渡って放映されていた。国民のみならず、他の国々の人達からも尊敬されていたフセイン国王が1953年から46年間も統治していたヨルダンという国に興味があった。それに最近、まずアラビア半島から制覇したいって思っていたからガルフ諸国ばかり巡っていたので、ガルフじゃないイエメン以外のアラブを久しぶりにみたいと思っていたのだ。それにフセイン国王の若かりし映像なんかみると私好みのかなりのハンサムである。かなり背が低かったそうだけど。 そのフセイン国王って本では読んだことがあるけれど、実際に国民からはどう思われているのか興味があったので出会う人々みんなに聞いてみた。みんな一様に『フセイン国王は素晴しいお方だった』というのである。 素敵な健さんからのご紹介で、ヨルダン在住の有田さんにお会いしてお話しを伺ったところ、 『フセイン国王は稀にみるぐらい国民の心をつかんでいた人だったんですよ。国王は、国民に対してとても気さくな方なんです。例えば、国王のお嬢さんがウチの娘と同じ学校に行っていて、そこで行われた音楽会に何の前触れもなく現われて静かに席に座って、音楽会を鑑賞された後、今度は指導した先生に長々と直接挨拶をしたり、国王がいらした!!って興奮する人々と握手をしたり、一緒に写真を撮ったりなさったんです。そういう細かいところにも気を配られているから絶大な支持を受けるのも判ります』とおっしゃっていました。
そんなヨルダンという国の人々は、なんとなく上品な雰囲気を醸し出しているのだ。ヨルダンの首都アンマンのキレイさは、どこかガルフ諸国にも似ているものがあると感じた。
2、パレスチナ人、サミール 故フセイン国王の奥さんの名前をとったクイーン・アリア空港に朝早く降り立ったとき、イエメンと比較して空港の立派さに驚いた。朝早かったし、朝5時サナア発の便だったので空港からタクシーで街まで行くことにした。空港で乗客を待っているタクシーのおっさん達と街までの値段を交渉しながら乗り込んだ。
1967年の第3次中東戦争で、イスラエルによってシナイ半島、ゴラン高原、ヨルダン西岸地区、ガザ地区が奪われた。そのゴタゴタでサミール一家はサミールが8歳のときにヨルダンへと逃げてきたのである。それから32年間に渡ってサミールはヨルダンに住むことになる。1986年、19歳のときにお父さんが亡くなり、サミール一家は生まれ故郷であるエルサレム(アラビア語ではアル・コッズ)に戻ることになったがサミールの兄弟達は職がないために家族をエルサレムに残してヨルダンで今でも働いているのである。
サミールに紹介してもらったホテルについてチェックインしたけれど、もっとサミールの話が聞きたかったので、ついでに街の様子を見たいから適当にまわってくれとお願いしてみた。 ダウンタウンの最も有名なキング・アブダッラー・モスクから始まってローマ劇場を上から展望できる
坂の上にあるシタデルと呼ばれる城塞とヘラクレス神殿跡を見ていたとき、一台の大型観光バスがやってきた。その時、私はそこに立っていた警察官3人達とお話をしていた。その観光バスはイスラエル人のツアー客の集団だったのである。私にはイスラエル人も何も区別がつかなかったけど、警察官のお兄ちゃん達に
さて、サミールとマーダバという村を経てネボ山、そして死海を訪れたときのことである。ネボ山という山から死海に向かう道路を運転しているときにサミールが突然、
3、本場アラブ料理を堪能 今までアラブ諸国を廻っていながら、本場のアラブ料理と言われるレバノン料理(シリア、ヨルダンもほとんど同じ)を現地で食べたことがなかったので、有田さん
にヨルダン一と言われるアラブ料理のレストランに連れていってもらった。何を頼めばいいのか判らないってことで急遽、有田さんのオフィスに勤めるクリスチャンのヨルダン人、ワジディもお供することになった。
彼のお勧めの料理を取り囲みながらいろんな話に花が咲いた。 ワジディはヨルダンの中で約4%しかいないというクリスチャンである。ヨルダンでも有数のボンボンらしい。ボンボンらしくいろんな国を旅行している。日本にだってきたことがあるのだ。彼のお気に入りはエジプト。私はエジプトへ行ってあまりいい印象を持たなかったし、有田さんもエジプトは嫌いだって言う。そこでワジディにどうしてエジプトが好きなのか?って尋ねてみると
ボンボンワジディは、ナイトライフにもかなり詳しいらしい。
4、もう一人のパレスチナ人、ユーセフ ユーセフは私が泊まったホテルのレセプションのお兄ちゃん。27歳で、ヨルダン国籍だけど、もともとはパレスチナ人だ。彼とはホテルでの必要最低限の会話しかしていなかったのだけど、死海に行って夕方戻ってきた後、おみやげでも買いに行こうかなってことでユーセフにどこがお勧めかって質問していた最中のできごとである。
『あの〜、一体何が起ったんでしょう???』という質問に的確に答えてくれたユーセフとそれがキカッケでそのまま電話でいろいろお話をすることになった。
『どうしてクウェートからヨルダンに移ったの?』と聞いてみたら
5、正直なユーセフ 翌日、ユーセフは私がまた倒れると困ると言うことでアブドゥーンという地区に行く相手をしてくれた。彼とマカハーと呼ばれるシィーシャも吸える喫茶店に腰を落ち着けて、今度はイスラームの話から女の子の話まで彼はとてもフランクリーに喋ってくれたのである。
『男の子ならゲイじゃない限り、誰だって女の子が好きなんじゃないの?それって普通でしょ?』 『いや、でもね、ボクは今まで2人の人妻と4人の女の子と関係を持ったことがあるんだ』 『え??人妻ぁ??それってムスリム社会では見つかったら首ウチもんだよね?例えば、どういう成り行きでそういうことになるワケ??』 『一人はボクの家の隣の女性で、前々からボクに目をつけていたらしいんだ。ボクの家族がみんな出かけるのを見計らってボクの家を訪ねてきたんだよ。それでイキナリ、好きだと言われてそういうことになってしまったんだ。それからもう一人は単なる知り合いだったんだけど、家に遊びに来てと言われて行ったら、やっぱり好きだと言われてそういうことになってしまったんだよね』 『それってすごい積極的だね。そういう場合は、ユーセフはその後で罪悪感とか感じるの?』 『うん、感じる。その人たちに対してとても申し訳ないような気持ちで一杯になるよ。だって、ボクはその人達を愛してはいないから。ボクは今まで心から愛する人って一人しかいなかったんだ。その子はレバノン人で、目がグレー色で髪が茶色くて肌が白くてとっても美しい子だったんだ。その子とそういうことをした後は幸せな気持ちで一杯になれたけど、その後の子達とはそういう気持ちは持てなかったし、未だに幸せな気持ちになれるほど愛する子を見つけられないんだよね。それにコーランでは、もし、女性とそういう関係になったなら、その女性と結婚すべきであるって書いてあるから、そういうときすごく罪悪感を感じるんだ。 でもね、これだけはどうしてもやめられないから、ボクはたまに自己嫌悪に陥るんだよね』 と、とっても正直に語ってくれたユーセフ。 『ムスリムだって、人間なんだから、誰だってそういう欲望とかあると思うし、そういう欲望とかを全てコントロールできる人間なんてそうそういないでしょう?イスラームでは、人間っていうのはとても弱い生き物で、そういう欲望の塊みたいなところがあるから、敢えてこういう規則を作ったみたいなところがあると思うの。それにイスラームではアッラーとユーセフだけの個人の問題だから、ユーセフが反省していれば、アッラーは許してくれるでしょうね』 正直に自分の心の内を打ち明けてくれたユーセフ、彼が愛する気持ちを持てる女性が現われますよ〜に。 ところで、話を聞いていて、そんなに結婚前のムスリムの女の子と関係を持てるのかっていうのがすごく疑問だった。だって、未だにほとんどのアラブ諸国では「ヴァージン」であることが結婚の条件とも言われているからだ。そこで、よくよく話を聞いてみると、ユーセフが言っている「女の子4人と関係を持った」というのは、いわゆる「一線」は超えないのである。つまり、ヴァージンの女の子とはそうそう簡単に最後の一線は超えれないので、ムスリム達の間では服を脱いでベッドで一緒に寝たという事実だけでも、「女の子と関係を持った」と表現するのである。コレを聞いた私は思わず、微笑ましいな〜って思った。
6、ちょっとだけよ、ヨルダン 体調がすぐれないためにこのまま旅を続けられないと判断してわずか3日ほどしかヨルダンにはいれなかったのがとっても残念だ。このちょっとの間だけでも私が聞いてみたかったことが沢山聞けたけれど、もっと、もっと、もっと、聞いてみたかったし、ヨルダン随一といわれるペトラも見たかった。またヨルダンとは違った雰囲気を持つシリアにも行って見たかった。ものすごく後髪を引かれる想いでヨルダンを後したけれど、絶対にまた来るぞ!!って心に誓っている。 ちょっとだけしか覗けなかったヨルダン、そしてシリア、待っててね〜! |