クリーン・クリーン・オマーン





1、いざ、オマーンへ!

オマーンという国は日本人にとって聞いたことはあるけれど、実際にどんな国か判らないという人が多いだろう。石油産国のひとつではあるが、サウジアラビアやエレミーツに比べるといまいち知名度が低いような気がするし、コレといった目立つものがないからかもしれない。でも、私はオマーンという響き、特にマスカットという首都の名前や、今、住んでいるイエメンの隣の国でイエメン人のジャンビーヤと同じような「ハンジャル」という短剣を身につけるというオマーニを見てみたい!と思った私は、ぜひ、オマーンにはイエメンにいるうちに訪れたいと思っていた。

しかし、イエメンとオマーンとは隣同士なのに、直行便がない。エレミーツは乗り継ぎが悪かったのでガルフエアーを利用したが、一度アブダビでトランジットしなければならないというとっても面倒な思いをしていくハメになった。
しかも、前日にアメリカ、イギリスがイラクを攻撃したおかげで、飛行機にかなり遅れがでたのだ!サナアでもアブダビでも合計5時間も遅れてしまい、ハラハラした。
なぜかというと、オマーンのシーブ空港では、私の到着を待っていてくれている人々がいたからである。 その人達は、JICAでオマーンに滞在していた方々(ひろひささん、館原さん、佐々木さん、遠藤さん)で、そのメンバーの一人のひろひささんとは長らくメールのやり取りをしていて、オマーン滞在中にぜひ、お会いしましょう、インシャーアッラー!ということになっていた。それで、ひろひささん達がオマーンの空港で私を待っているのにこんなに飛行機が遅れてど〜しよう??って気が気じゃなかった。だって、ぬわんと、オマーンのシーブ空港に着いたのは夜中の3時で、彼等はかなり待ちくたびれていたに違いない。それに、急いででようと真っ先に飛行機を降りたにもかかわらず、私の荷物がでてきたのは一番最後だった。あ〜、待っている人がいるときに限って、ど〜してこ〜なんでしょ??と思いながら、ゲートをくぐると・・・
ぬわんとそこには待ちくたびれている風も感じさせない笑顔で『アラビア純子様』という横断幕をちょっとはずかしそうに手にかかげた彼等がいた。私はまさか、横断幕まで用意してくれているとはみじんも想像していなかったので、驚いたとともに、彼等がこんな時間まで待ってくれていたんだと思うと、とても嬉しかった。
みなさん、どうもありがとう!!
彼等にはお礼を何度いってもいい足りないぐらい今回のオマーンではお世話になりっぱなしだった。 というのも、オマーン行きの前まで試験やら何やらで目がまわるほどの忙しさで、ロクに寝ていなかったせいか、オマーン到着後2日目には39度の発熱に見舞われてしまい、滞在中はほとんどホテルで寝て過ごすという何をしにいったのかよく判らんという旅行だったのだ。オマーンは車がないとなかなか行動しにくい国なため、一人では薬も買いにいけないし、食べ物だって買出しにいけない。そんな私を心配して、みなさん、水やジュース、食べ物、薬まで沢山差し入れてくれたのだ。この感謝の気持ちは口では言い表せないほどだ。
みなさん、ホントにありがとう!!


2、クリーン・クリーン・オマーン

アブダビの空港で私と同じように待ちくたびれているオマーン人のサーレハと話す機会があった。彼は環境庁に勤めるつまり官庁の人だ。イエメンで環境に関する会議がアデンでありそれに出席した帰りだと言う。 彼に私がHPを持っていること、アラブ人に対する考えやイスラームに関することなどを述べたら、サーレハは感激して

『そんなにアラブ諸国のことを判ってくれる日本人は珍しい。時間があったらぜひ、私のオフィス見学にでも来たまえ』とのお誘いを受けたのでさっそく、官庁見学とあいなった。 スルターン・カブース・ストリートに沿っていろいろな官公庁が連なっている地域がある。オマーンでは、建物を建てるときの色は「白かベージュ」と決められているのである。街の中には建物の白、ベージュの他、木々の緑色とキレイに植えられている花の色だけが存在していてとてもスッキリとした印象を受ける。 それに、街中はシンガポール並みのクリーンさである。いたるところに『ゴミはくずかごへキチンと捨てましょう』とか『街をキレイに!』というのを見かける。どうもゴミを捨てるのは禁止されているらしい。イエメンではいたるところにゴミが散乱していて、イエメン人はクズかごにゴミを捨てることを知らないのかと思うほど、道ばたに何のためらいもなくゴミを投げ捨てる。だから、オマーンのクリーンさはますます目を見張るものがあった。

官庁内では、制服とでも言うべきか、職員はオバQを着なければならず、色も必ず「白」と決められているし、官庁内での喫煙は禁止されているのだ。オマーンのオバQは他のガルフ諸国とは一風変わっていて首のところに房がついていて、その房に香水をしみこませる。それにグトラも他のガルフ諸国ではイカールをつけて被るけれど、オマーンのは、カラフルな色でオマーン独特のグルグルの巻き方をする。だからオマーン人は見てイッパツでオマーン人だと判るというわけだ。

オマーンのクリーンさを象徴するかのような真っ白な外観の環境庁に到着した。中も白いオバQばかりで整然とした雰囲気。女性も結構多く働いている。私が会ったオマーン人女性は、長袖のシャツに長めのスカートにヒジャーブを被ったアマルという名前の元気な女性だ。男性の同僚に混じってジョークを甲高い声で飛ばしながらキビキビと仕事をこなしている。オマーンは女性が活躍している国でもあるのだ。 サーレハが『ウチの職場では、みんな家族のように仲が良くて和気藹々としているんだよ』と教えてくれたとおり、若い者もおじさんもみんな和やかに仕事をしている。
オマーンはうまく表現しがたいが、「何事も適度にイイ国」だと思う。目立つ部分は少ないけれど、すべてが適度に調和していてのんびりとした印象を残すせいか、オマーン人の人柄もギスギスしておらず適度にイイのだ。こういう国は珍しいと思う。きっと国王のスルターン・カブースが優れた人物なんだろうな。



3、近親結婚は勧められない

サーレハの計らいで彼の部下のバドルとムハンマドと一緒にマスカット見学にでかけることになった。バドルは大学を卒業してホヤホヤの小柄なカワイイ男性だ。英語を勉強中で丁度、現在完了形のところを勉強しているらしく英語のテキストを見せてくれた。官庁に勤める人は無料で英語を習うことができるそうだ。そんなバダルは、ただいま婚約中で彼女はスルターン・カブース大学の4年生、卒業したら結婚するらしい。

『彼女はボクよりも背が高くて170cmぐらいあるんだよ』と自慢気に言うので

『へぇ〜、どうして自分よりも背が高い人を選んだの?日本じゃ自分より背が高い人はあまり好まれないよ』と言うと、

『だって、自分が小さいのに小さい人と結婚したら子供もみんな小さくなっちゃうでしょ』と言う。 う〜ん、ちゃんと考えているのね、エライ!

『ところで、彼女とはどうやって知り合ったの??』と尋ねてみると、

『幼なじみだったんだ、つまり、近所の子だよ』と恥ずかしそうに答えた。

『へぇ〜、アラブの多くじゃ、親戚から選ぶことが多いみたいだけど、どうして親戚からは選ばなかったの??』と聞いてみると、

『スルターン・カブースが近親結婚は障害児が多くなるので勧められないというお達しをだしだんた。だから昔は親族間での結婚が多かったけれど、今ではみんな親戚以外から選ぶようにしているんだよ』と真面目な顔つきで教えてくれた。

実際に、バドルのお兄さんは白血病に苦しんでいて彼はこれも親が親戚同士で結婚したせいだと信じている。 私は街のクリーンさもさることながら、こんなにもスルターン・カブースのお達しが人々に浸透しているとは驚きだった。みんな心底、スルターン・カブースを敬愛している様子が窺える。 スルターン・カブースは庶民の声を聞くために毎年、ラマダーン前に自ら車を運転してオマーン各地を移動する、『Meet The People Tour』というのを行う。その際にスルターン・カブースの通る道は国民がみんな道路の脇を埋め尽くして国王をお迎えするそうだ。スルターン・カブースは、道路を埋め尽くす国民に向かって 自分の何百万もする時計やお金をプレゼントするらしい。 みんな口を揃えて『スルターン・カブースはカリーム(寛大な人)だ!!』と言うのだ。 そう言えば、だれかが言っていた。 『スルターン・カブースは偉大な人だよ。だって、彼が即位した当時は学校も3つしかなくて、病院だって一つしかなくて、街だって今のように整備されていなかったんだ。だけど、1970年に即位してからは急激な変化をとげて今のようになったんだ』って言っていたもんなぁ。



4、みんな村が大好き

マスカット見学に連れ出してくれたバドルとムハンマドは4人の同僚達とアパートをシェアしている。 マスカット見学に行く前にムハンマドが『家に寄って着替えをしたい』と言うので、彼等のアパートを覗かせてもらった。家につくなりムハンマドは自分の部屋に閉じこもりなかなか出てこないので、バドルに他の部屋を見せてもらった。6帖ほどのリビングルームにあとは2部屋の寝室とキッチン・バスだけの意外に簡素なアパートに驚いた。

なぜに彼等は4人でアパートをシェアしているかというと、みんなマスカット以外の村に実家があって、水曜日の夜にマスカットを出て、金曜日の夜に帰ってくるという生活を毎週繰り返しているのだ。マスカットはだたの仕事の場で、みんな自分の村を愛していて週末に帰るのを楽しみにしている。マスカットは仮の宿というところだろうか。だから仮の宿にはお金をなるべくかけたくないということだろう。 ムハンマドは自分の村で兄弟や親戚や友達と一緒にやった砂漠でのバーベキューの写真を嬉しそうに見せてくれた。やはり、彼等の拠点は自分達の村にあるようだ。 それにマスカットに家を持つ人々も、もともとマスカット出身じゃない人も多く、そういう人も週末には親戚に逢いに村へと急ぐ。みんな村が大好きなのだ。 部屋からなかなかムハンマドが出てこないのでそっと部屋を覗いてみると、ムハンマドは一心不乱にお祈りの最中だった。着替えをしたいといったのは口実で、実はお祈りしたかったんだろうな。一見軽そうに見えるムハンマドの意外な一面を見た気がした。
(おまけ:デーツパンケーキwith アイスクリームに喜びを隠しきれないアラビア純子です。遠藤さん撮影



5、ラマダーン

オマーンでは12月19日からサウジやイエメンより一足お先にラマダーンに突入した。官庁などは勤務時間が朝7時半から2時半までが、ラマダーン中は8時から1時に変わるぐらいでイエメンほどの変化はないらしい。なにせ、イエメンでは180度といっていいほどラマダーン中は雰囲気も何もかも変わってしまう。 ムハンマドと海岸沿いを歩きながらラマダーンの話しになった。

『もうすぐラマダーンが始まるね、ラマダーン中は断食キチンとするの?ラマダーンについてはどう思っているの?』と尋ねてみると、

『ラマダーン期間中は心もキレイになれる時期なんだ。だから好きだよ。それにボクはムスリムだからちゃんと断食もするよ』

『心がキレイになれる時期??』

『うん、つまり、ラマダーン中は断食するだけじゃなくて、普段人の悪口ばかり言っているような人も自分を見つめて慎むようにしなくちゃイケナイし、みんな一年の自分の行いについて考える時期でもあるんだ』 と教えてくれた。ふ〜む、ラマダーンっていろんな意味を含んでいるんだなぁ。 でも、サーレハの同僚のサイフは、『ボクはラマダーンって嫌い。だって、この時期は下手なことはできないし行動を慎まなくちゃイケナイから窮屈だよ』なんて言っていた。ムスリムでもいろんな人がいるということだろう。 しかし、ラマダーンに突入してからの夜のスーパーマーケットには凄いものがあった。夜10時ごろでもものすご〜い人ごみでカウンターには長い行列が並ぶ。オマーン人もさることながらインド人も沢山みかける。ラマダーン期間中はかえって食料の消費量が上がるらしい。
(おまけ:ムトラのフィッシュ・マーケットでサメの調理法を聞くアラビア純子です。遠藤さん撮影



6、クリスチャンのレバノン人

病気のためほとんどの日程をホテルに缶詰ジョータイになっていたため、ニズワとかソハールとかできればサラーラまで足を延ばしたいって思っていたのが叶わぬ夢になってしまい、もうイエメンに帰る日となってしまった。また来るよ、オマーン!などと一人感傷に浸りながらシーブ空港をウロウロしていた。空港のDuty Free Shopで私に話しかけてきた、金髪で青い目の太っちょナイームが私に 『君、日本人?』と話しかけてきた。 私が日本人と判ると、嬉しそうに

『ボク、日本に2ヵ月前に2ヵ月間行っていたんだ。スバルのエンジニアの仕事をしていて、東京と大阪と四日市にいたんだよ、日本はサイコーだね』と言う。そこで

『へぇ、あなたは何人なワケ?』と聞くと、

『ボクはレバノン人さ』と言うので、アラビア語で話しかけてみたら 『ボク、アラブ人でアラビア語は母国語だけどアラビア語大嫌いなんだ。母親がフランス人でボクはハーフなんだよ。それに、ボクはクリスチャンだからイスラームも大嫌い。あれってサイテ〜の宗教だよね。君もそう思わない??それにさ〜、オマーンには仕事で来たんだけどさぁ、全くつまんなかったよ。ディスコもないし、バーもないし、女とは喋れないしさ、君もつまんなかっただろ??』などと、このアラビア純子に向かって言うので

『私はお酒飲めないから別にオマーンでディスコとかバーに行きたいとは思ってなかったし、私は私で楽しかったよ。ナイームにとって楽しいことって何なの?』と聞いてみたら、

『そりゃあ、ディスコ行ったり、女の子と遊んだりするのって楽しいじゃん』みたいなノリなので途中で話をやめてしまった。

レバノンには、キリスト教徒とイスラーム教徒が半分ずつぐらいいて、ベイルートなどでは各々生活する地域が異なっているし、行政のポストはいろんなキリスト教徒とイスラーム教徒のそれぞれの宗派から選ばれるようになっているし、1975年にパレスチナ人を乗せたバスをキリスト教徒の兵隊達が襲って虐殺したのがレバノン内戦のキッカケとなった。レバノン内戦はキリスト教徒対イスラム教徒との対立だけという単純なものではないけれど、やはりこういうのが尾をひいているのだろう。 しかし、私は今まで、イスラーム教徒達と話をしていて宗教の話になってもここまでキリスト教やキリスト教徒のことを悪く言う人にはお目にかかったことがなかった。ナイームのように侮辱いっぱいにイスラーム教徒のことやイスラームを悪く言うのは、キリスト教徒に多いんじゃないかと特に最近思う。



7、ちょっと過激で甘えん坊?のスルターン

アブダビの空港でサナア行きの飛行機の乗り込む時間がきた。サナア行きの便はいつ乗ってもイエメン人とすぐに判る人達ばかりが乗っているので面白い。イエメン人は顔に特徴があって小柄でやせぎすな人が多い。そんなイエメン人ばっかりの便の中で、一人だけ例の房のついたオマーンの民族衣装に身をつつんだ男性がいた。おや、オマーン人がイエメンに何しに行くんだろう?と見ていると、彼は飛行機に乗り込む直前にゲート前で携帯電話から誰かに電話をかけている。 偶然にも彼は私の席の後ろに座った。そこで、オマーン滞在中、ホテルにばっかりいたためにあまりオマーン人と話す機会がなかったので、彼とぜひお話ししてみたいと思った。 『あの〜、サナアに行くんですよね??お仕事ですか?』と話しかけてみた。彼の名前はスルターン、石油会社で働いているなかなかのエリートだ。最初はいぶかしげに私の様子をうかかがっていたスルターンは、話しを進めていく内にだんだんと打ち解けてきて自分のことをいろいろと話すようになった。そして、話はアメリカ、イギリスがイラクを攻撃した直後だったので、その手の話へと移っていった。

『サダム・フセインってどう思う』と尋ねてみると、

『サダム・フセインは大好きさ』などと言う。

『え?大好き??どうして?』

『だって、今のアラブにはああいう強い指導者が必要なんだよ。いつもアメリカにやられてるし。アメリカとかヨーロッパなんてアラブの石油が欲しいだけなんだ。1973年に、イスラエルと戦争したときに、ガルフ諸国はみんなイスラエルに荷担する西洋諸国への石油の輸出を禁止したんだ。そ〜したら、すぐに戦争は終わったのさ、アメリカとかヨーロッパなんてそんなもんなんだよ』と熱い口調で語る。

『あ、それ知ってる、石油ショックとか言われて、日本でもトイレットペーパーとか洗剤がなくなるとかパニックに陥ったみたい』

『それに、イスラエルはアラブ諸国22ヵ国全部を破壊できるだけの核を保有しているんだ。それなのにどうしてイラクだけが責められなきゃイケナイんだい?』 などとなかなか過激なことを言ってのけるスルターンだが、普通の顔ものぞかせた。

『飛行機に乗る前に誰かに電話していたでしょ?誰に電話していたの?』と聞くと、恥ずかしそうな顔つきになって、

『母親だよ。いつも母には電話で連絡をとっているんだ、会社は8時から5時までだけどその間にも電話入れるんだよ。じゃないと心配するし』などと言うので

『え〜?ははおやぁ〜?お母さんにいつも電話するなんてなんてGood boyなの!』とからかうと、

『父は去年血液のガンで亡くなったんだ。それに一番上の兄さんも3年前に交通事故で死んじゃったんだ。だから残りの兄弟はみんな母には電話でいつも連絡とって心配させないようにしているんだ、それにみんな母親を愛しているし』と打ち明けた。 『そうなんだ、そんなこと聞いちゃってごめんね』ということしかできなかったが、タダの甘えん坊だと思っていたのだけどからかったりしてごめんね、スルターン。それに、いつも思うけどアラブってホントに家族を大事にするんだなぁ〜〜、少し見習わなくっちゃイケナイかもしれない。

スルターンとの話がイスラエルとかイラクとかあまり大きな声で喋れない内容で、スルターンがボクの隣の席あいているからこっちに移ったら?と提案してきたのでスルターンの隣に席を移った。そうこうしているうちに食事が運ばれてきた。ラマダーン中はクルーも心得ていてムスリムには食事を出さない。もちろん、スルターンも断わっていた。ムスリム以外の人はナイームも含めてみんな食事に手をつけ始めていた。私は断食しているスルターンの隣で食事するのはとってもはばかれたけれど、スルターンは言葉の端はしに宗教心が強いことを匂わせる物言いをするタイプだったので、彼がどういう反応をするのか見てみたいという気持ちあった(相当、イジワル?)。スルターンは『君はムスリムじゃないから食べた方がいいよ』などと言っていたかれど、実際に私が食べ始めると、唾を飲み込みなるべく私を見ないようにしていた。それは昼の3時ごろのことでラマダーン解除まであと残すところ2〜3時間ほどで、最も辛い時間だったんだと思う。必死に我慢しているスルターンの横でバクバク食べる気ももちろんおこらず途中で食事をやめた。試すようなことしてごめんね、スルターン。



8、オマーンとイエメン

オマーンはガルフ諸国の中で隣のせいもあってイエメンとのつながりが強い。マスカットのクルムというエリアにサーレハに連れて行ってもらったとき、 『あれは、イエメンの前副大統領のビードの家なんだよ』と教えてもらった。 イエメンの前副大統領だったビード氏の白い邸宅は、かなりの豪邸で彼は1994年の北のサナアと南のアデンが戦ったイエメン内戦のときにイエメンからオマーンに逃げ出したのである。そしてオマーンに受け入れられ、今後は一切の政治活動は行わないという名目のもとに今はオマーンで悠々自適の生活をしているそうだ。彼の生活費などはオマーンが面倒を見ているとのことで、私はそのことを始めて知ったのでビックリしてしまった。それに常にイエメンの和平を訴えてきたスルターン・カブースはやはりカリームということだろう。

それに、オマーンとイエメンの国境に近いサラーラというところのオマーン人はイエメン人に顔も格好も似ているんだよってスルターンが教えてくれた。イエメンのスークで乳香を買うとき、『コレ、どこ産?』と聞くと、『オマーン産だよ』という答えが帰ってくることも多い。

イエメンで1週間の仕事を済ませた後にサナアに戻ってきたスルターンにサナアで再び会ったとき、彼は興奮した口ぶりで『いやぁ〜、良かったよ〜!!イエメンは。全く面白い国だよね。それにヘリコプターからの景色はサイコ〜だったよ。砂漠が見えてきたかと思うと山々が連なっていたりしてすごく良かった〜!マーリブの近くとかハドロマートの方にヘリコプターで行ったんだけど、現地のベドウィン達とヤギのバーベキューしたり、ボク、タバコ吸わないんだけど、みんなにタバコを勧められて、あんまり勧めるので吸ってみたら気分悪くなったり、カートを噛まなきゃ男じゃないって言われてカート噛んだり。みんなすごく素朴でいい人ばっかりだったよ。それにサナアでタクシーに乗った時も、おじいさんのドライバーだったんだけど、すごくいい人でね。オマーンから来たって言ったら、オマーン人は大好きだって言ってくれて、それから男は仕事を頑張るべきだとか、ラマダーン中の心得とかいろいろ教えてもらったよ。イエメンに来るって言ったら母親は心配してたけれど、ホントにいいところだね』とアラブ人にバカにされがちなイエメンをとても褒めていた。
オマーンはインターナショナルな雰囲気を持ちながらも、オマーン人は意外に素朴で人がイイ人が多いように思う。ムトラにある古いスークは、まるでイエメンのような雰囲気を残していた。


オマーンでは病気の為に思うように行動できなかったのが残念だなぁ。できれば、ぜひ、もう一度行ってみたい国である。


最後にカメラを持っていない私のために撮影協力してくれた写真家の遠藤さん、ありがとうございました〜!!


もう、帰りたいよぉ〜ってな方は、こっち