魅惑のサウジアラビア



私がイスラーム世界に足を踏み入れるキッカケとなったサウジアラビアには、とても感慨深いものがあります。この「魅惑のサウジアラビア」編では現在のようなイスラームの知識が全くない白紙の状態で行くことになったので、全くワケ判っちゃいないんですが、ここではどうして私がアラブ世界に魅了されたのかをお伝えしていきたいと思います。それでは、魅惑のサウジアラビア、お楽しみくださいませ〜!


1、きんぐだむ・おぶ・さうじあらびあ

96年のとある日、真夜中に一本の電話が自宅にかかってきた。電話を受けた父は眠けが一瞬にして覚めてしまったらしい。その電話は、『「King Faisal International Prize for medicine 」を受賞しました』という電話だったのだ。この賞はあまり日本では知られていない。今まで日本人の受賞者がいなかったからだ。当然の如く、私もそんな賞なんて聞いたこともないし見たこともないから知らなかった。コーフンした父に『サウジアラビアから賞を受けた。どうやらその受賞式に家族も招待されるらしい。お前も行かないか?』と問われたのだが、その時の私は今からは考えられないよ〜な興味のないそっけなさだったと思う。
「え〜〜?さうじあらびあぁ??でも、私、その時期休み取れないし、行けないよ、きっと」などと答えていたのである。
でも、よくよく考えて見ると「サウジアラビアは現在観光ビザを発行していないし、そんなことでもない限り簡単には入国できないし、なんといっても招待なのでファーストクラスに乗れる!!」ってな不埒な考えが頭をよぎり、まぁ、行ってもいいかなぁってな感じでしぶしぶオーケーしたのだった。
でも行く直前まで悩んでいた。というのもその時期に休みをとって行くということは、職場では結構な顰蹙をかってしまうし・・って全然乗り気じゃなかったのだ。
しかし、職場には行く宣言をしてしまったのでもう後には引けず、とりあえず行くかってな感じでサウジアラビアに行くことになった。ホントに今から考えるとわがままな奴だな〜。
サウジアラビアに入国して驚いたのは、サウジアラビアは王国なので「country」という言葉は使わず、 「Kingdom」って言葉を使うのだぁ〜〜!Kingdom of Saudi Arabia ってね。あたりまえと言えばあたりまえなんだけど、何だかこの国名がぴったりくるのはやっぱりサウジアラビアだからなんだなぁって実感する旅が始まった。この旅は後の私にとって人生を180度転換させたものになったのである。両親には今、「あぁ、あの時サウジに連れていかなきゃ良かった〜〜」などと言われる始末なのである。


2、サウジアラビアの女性って

サウジアラビアの女性って黒いアバーヤで全身を覆っていて何を考えているのか外見からは判断できないし、何だか黒いカラスの集団みたいで、おまけにイスラームって女性蔑視の宗教なんじゃないかって思う方も多いんじゃないかと思う。私と母はイスラームのことについて全く知識がなかったし、ましてや女性についてなんて判りっこなかったので、今から考えると随分と不躾な質問をしたものだって赤面してしまうぐらいなのだが、私たちがした質問をありのままに伝えたいと思う。同じ女性同士、会話はやっぱりコレから始まってしまった。

アラビア純子:一夫多妻制について聞かせてください。

サウジの奥様:(半ばむっとして)これは最も聞かれる質問の一つなんだけれども、 今現在は一人の夫に対して一人の妻が普通になっている。
これは日本人や欧米人から見れば野蛮に見えるかもしれないけれども、この制度は実は女性を守るためにあるのです。と言うのも、もし既婚の女性が未亡人に なったときその女性を救済するために誰かが第2夫人として迎えてあげるのです。 私たちから見れば欧米人たちは妻の他に愛人を作ってその愛人にもし子供ができても も助けてあげれないでしょう。その方が罪深いのです。私たちのこの制度はそのような悲しい事を未然に防ぐ意味あいもあるのです。

ふむふむ、日本で得られるアラビアの情報はほとんどと言っていいほどテロ関連だから、今まで私は欧米人の視点でしか見ていなかったんだと痛感した。そしてこんな物の見方は視野を狭くするんじゃないかと深く反省したのであった。それに、この話をしてくれたサウジの奥様は、この未亡人を救済する制度があるということをとても誇りに思っているような口ぶりだったのが印象的だった。後で読んだ本によると、預言者ムハンマドは、奥さんが11人いたのだが、それらの殆どは友達などの戦争未亡人だったということが判った。奥さんが11人もいたという事実だけで、好色な男だったと勘違いされてしまうようだが、こういう背景があるから、サウジの奥様がこうやって誇りを持っているということもうなずける。

アラビア純子:アバヤを着たり、車の運転ができないなど色々制限が多いように思いますが。

アバヤは女性が好奇の目にさらされないようにするための物で、例えばレイプなどが起こらないようにする物です。また車の運転も自分一人で運転して事故を起こさないようにするためなのです。つまりサウジでは女性は保護されるべき対象と考えられているのです。

サウジはお金持ちの国だから一家にメイドとドライバーが大抵いて、はっきり言って妻は何もしなくていいらしい。食事はメイドさんが作ってくれるし、運転はドライバーがやってくれるし。何をしているかというと自分の好きなことだ。それだけお金も暇もあるのかもしれない。見た所、中流以上の家庭では必ずメイドさんとドライバーがいるようだった。
このサウジの奥様の話を聞いて、私がイメージしていたイスラームの女性とは大きくかけはなれたものがあった。エジプト人と結婚してサウジに住む日本女性にも会ったのだが、一週間に一回夫が妻にゴールドを買ってあげる日と言うのがあるらしい。それになんといってもサウジアラビアの女性は、よく喋るし、おしゃれだし、何事にも興味を示す。それに家の中では「かかあでんか」ぶりを発揮しているのだ。大抵は、イスラームの女性というと、女性蔑視などというイメージをもたれるようだが、大きな勘違いだ。
こうやってみてみると、実質的には日本よりもずっと妻のとしての位置が高いのではないではないかしらん。だって私が会った人は皆、生き生きと幸せそうに暮らしていたのだから。


3、食事に招かれたら

今回のサウジアラビア行きには、日本サウジアラビア協会の方が通訳として私たち一家に付いていってくれた(現地の人は英語しゃべれたんだけど)
その人は前に8年間サウジに住んでいて現地に友達が沢山いたので、実際に現地の人のお宅を訪問することができたのは私にとってとてもいい体験だったと思う。
サウジのお宅を訪問するとまず女性と男性を分けてそれぞれの部屋に案内される。たいてい女性が応接室らしいところを陣取り、男性は地下室みたいな部屋とかに通される。
おもしろいと思ったのは食事がなかなか出てこないことだ。
2〜3時間たってやっとすごいごちそうが出てくる。
夜の7時ごろに訪問しても、食事が出てくるのは夜の10時ごろ。それまではサウディーコーヒーや甘いジュース、デーツ(なつめやし)のオンパレードで、いいかげん飲み物でお腹が膨れた頃に、やっとものすご〜い量の食事が登場する。あ〜〜、やっと食事だぁって、待ってましたとばかりに、みんなむさぼるよ〜に食べる。みんなお腹がすいているせいか、食べるのもやたらめったら口を動かさずみんなさっさと食べてすぐお開きとなった。なにがなんだかわかんないうちにお開きとなったので、その訳を通訳の方に尋ねてみると、ぬわんとサウジでは食事はおしゃべりしながら楽しむ物ではなく、「お開きの合図」なのだそうな。その前の飲み物の時に十分会話を楽しむのが通例らしい。欧米諸国の食事の仕方に慣れていた私はまずこれでカルチャーショックを受けてしまった。実際のところ会話を楽しむというよりも、お腹がすいて会話に没頭できなかったというのが正直なところである。アラブのお宅に食事に招待されたら、お腹がすくのは覚悟して行こう!

それに、サウジアラビアのお宅は豪華絢爛なおうちで日本で建てたら何億?とかかりそうなとてもゴージャス。なんと、家の中にプールまであるのだぁ。このお宅、建築費用は10年前で3千万円也。土地代は含まれていないが、この豪華さで3千万は安いんじゃないかなぁ〜。しかし、その値段まで聞いてしまった私は小市民だなぁってしみじみ思ってしまった。


4、結婚そして離婚

訪問した家庭には、23歳の娘さんが途中で遊びに来た。女優さんにしてもいいぐらいのとっても綺麗な人だった。サウジ人の若い女性のナマの姿を見たのはその時が初めてだった。その女性は結婚して1年。あまりに奇麗なので私の方がコーフンしてしまったぐらいだ。彼女のダンナさんはお兄さんのお友達ということで、 いわゆる恋愛結婚はないと思っていたがどうやら違うようだ。以前は昔は親が決めた人とでなければ結婚できなかったらしいが、最近では紹介されて結婚するパターンが多いらしい。
離婚については、イスラームでは結婚前に離婚の条件を決めてから結婚するのだそうな。エー!結婚前から?とちょっとビックリしたけれど、よくよく考えてみると、日本はアメリカと違って、離婚時に裁判だの慰謝料だのと大騒ぎして結局は女が泣きを見るような国じゃないかと思う。それに比べたらずっと合理的なんじゃないかって思った。
それにしてもその娘さんとそのおかあさんの対照的なのには驚いた。おかあさんが男の人が来ると、スカーフでさっと髪を隠すのに対して(イスラムでは顔よりは髪を隠さなくてはならない)娘さんの方はジーンズにトレーナーといういでたちでその辺のアメリカ人みたいだし、男の人が部屋に入ってきても全然平気だし。ダンナさんの好きな物はスパゲッティー、結婚式はWedding dressと西洋スタイルで、英語もキレイな発音で喋る。なんだかサウジの現代っ子ってこんな感じなんだなぁって思った。

しかし、女性が社会に参加しているという意識は少ないという気がした。なぜなら、仕事は医者とか教師とか免許のあるような職業の人しか働けないのだ。何かっていうとこういうのは「男女差別なんじゃないか??」って思う人もいるだろう、いや、そう思う人の方が多いんじゃないかと思う。しかし、これは「差別」ではなく、「区別」なのだ。イスラームでは、はじめっから男女を区別して考える。全員がそう思っているとは言えないが、イスラームでは男女の役割分担が決まっていて、それに基づいて生活している。だから社会に出て仕事をして家庭を経済的に支えるのは主に男の役目、家庭を中で支えるのが女性の役目であり、そういう区別に基づいてイスラーム社会は成り立っているのだ。


5、イスラーム

聖地のメッカ、メディナがあるサウジアラビアは、イスラーム諸国の中でも戒律が厳しい国と言われている。
他のアラブも体験して見ての感想だが、サウジアラビアほど、イスラームというものを感じされてくれるところはないだろう。私は、サウジアラビアで実際にサラート(お祈り)する人々を目の前で見て、アラブ人の信仰心の厚さにも相当のカルチャーショックを受けた。アザーンが聞こえてくると人々はぞろぞろとモスクに向かい、モスクに入り切れない人は道路にまで進出して、モスクの周りは人だかりができる。道路におでこをくっつけて、子供までもが真剣にお祈りしている姿を見たのは初めてだった。テレビなんかでサラートするムスリムは見たことがあったけれど、実際にムスリムが目の前でお祈りする姿には驚嘆するものがあった。日本人はほとんどが無宗教だし、私は今までそれが最高、宗教なんて信仰する人の気が知れないって思っていた。でもまじめにお祈りする彼らを見て何かとっても自分が 恥ずかしくなったのだ。イスラームが良いとか悪いとかいうのではなく、まじめに神という物を信じてこうやってサラートする人々がいるという事自体に言葉では言い表せない妙な感動を覚えてしまった。
ムスリムは毎日5回もお祈りして、仕事してないんじゃないか?とか言われているようだが、ムスリムにとって、仕事よりもサラートの方が大事なんじゃないかと思う。それにサラートしたからといって仕事をしないとは限らないだろう。事実、日本でだって仕事しているフリをして遊んでいる人だって沢山いるんじゃないかと思う。そういう人にそんなことを言われたくもないだろう。
イスラームは宗教ではあるが、宗教という枠にはおさまりきれないものじゃないかと思う。サラートをはじめとしてイスラームはムスリムの生活そのものだからだ。毎日聖書を読む人って少ないんじゃないかと思うけど、ムスリムは毎日コーランを読む人って意外に多いのだ。このコーランにのっとって彼等は生活しているといっても過言じゃないだろう。それほど、ムスリムにとってコーランは生きる道しるべなのだ。


6、首都リヤド

私たち一家はリヤドに1週間ほどステイした。
サウジに着いたのは真夜中だったのだが、私たち一家はVIP待遇?で税関を通らずに裏の出口から出るように指示された。良くわかんないうちにいつの間にか空港のVIPルームに案内された。そう、皇太子とかが待ってるような豪華な部屋だ。イミグレを通らずに入国したのは初めての経験だった。インド人らしき集団がイミグレでえんえんと待たされている横をくぐりぬけてしまったのはなんだか悪いことをしているような気分だった。
次の日、その日は調整日で一日フリーだったので私と母は早速タクシーを捕まえて(運転手はBangladeshのお兄ちゃん)とりあえず町の中をながしてくれ!と頼んでみた。そうするとそのお兄ちゃんは観光客がいないせいか、よっしゃ!と威勢良く、町中見物に連れていってくれた。はじめに兄ちゃんが連れていってくれたのが死刑場。麻薬、殺人、レイプをした人は首を斬られるそうだ。それも公衆の面前で!厳しい罰のおかげでかえって犯罪は減っているそうだが、水面下でもみ消されてしまう犯罪もあるらしい。毎週金曜日に公衆の面前で死刑が行われる。その日は金曜日だったけれど、どうも人が集まっていないとのことで、恐らく死刑はないとのことで素通りした。
その次にお兄ちゃんが連れていってくれたのは、オールド・タウン。 サウジはおもしろいことに余りにも石油による発展が急速だったため、町の中が新旧ごちゃ混ぜ状態で、近代的な高いビルのすぐ隣に今にも崩れそうな石の家が建っていたりしてここはどこ?と言う感じだった。
その次に、頼んでもいないのにお兄ちゃんはますますはりきって、プリンスやプリンセスの豪邸めぐりに連れていってくれた。サウジにはいっぱいプリンスやプリンセスが居るらしいのdが、道路の1区画(道路のはじからはじまで)が全部それぞれの家の広さで、驚くほどの豪華さ。あぁ、この塀の中にはサウジのプリンスやプリンセスが暮らしているのかぁって感慨深かった。そこからの帰り道、サーカスみたいなよくアメリカの映画に出てくるような遊園地が見えた。休日は娯楽があまりないので、遊園地は大流行だとか。それに町中にはいろんな建築家が競って建てたのかとても不思議な形をしたビルが多い。故ファイサル国王のために建てられたというKing Faisal Centerなどは、本を読むのが好きだったファイサル国王にちなんで、本を開いた形をしているビルだし、内務省の建物もまるでUFOみたいな形をしていた。
それから不思議だったのは、ジャナドリアというお祭り。そういうお祭りでも男女の日が分けられている。私たちが行った日は男性の日で、門をくぐると、オバQ姿の男、男、男・・・ばかりで、何だか圧倒されてしまったが、あまりに周りがオバQ姿の男性ばかりで、こういうのってもう見れないだろうなって思ったのでしっかりと目にその光景を焼き付けておいた。
そのお祭りの意義が何なのかよく判らなかったのだが、日本のお祭りというよりも、文化祭といった方が適当だろう。いろんな展示物が沢山あり、昔の戦争に使った毒ガスマスクや鉄砲、果ては大砲の展示があるかと思えば、アラブ料理のコーナーや、ハンドクラフトなどの展示、学校の子供達が描いた絵や制作物、それから、昔の学校を劇風に再現したりもしている。その劇みたいのでは、生徒役の子供達が何列かに整列して座っていて一斉に声を張り上げて先生役のおじいさんの言っていることを繰り返していて、先生役のおじいさんは棒を振りかざして悪い子を叱っているという、何だか笑ってしまうようなものだった。ラクダを引いて荷台みたいのに子供達を乗せているおじさんがいるかと思えば、香水を売っている人もいて、何がなんだか判らないっていうお祭りだったけど、サウジアラビア人はみんな楽しんでいるようだった。
町の中は一見アメリカ風でスーパーや大きなショッピングモールがあった。スーパーでも買い物してるのはほとんど男で(買い物は男の仕事)女の人がいるとすれば、アバヤをかぶった西洋人や男の人と一緒にきてるサウジ人である。サウジでは女の人が単独で買い物してはいけないそうだ。男でも一人ではスーパーには 入れないなんて言う変な規則があるようらしい。娯楽が少ないサウジでは、スーパーなどに買い物に行くのは一つの楽しみなのかもしれない。なにせ、映画館もないのだから。


7、砂の国の緑色

砂漠のお話をしたいと思う。
砂漠のテント(と言っても家みたいなりっぱなテントで、床には絨毯が、テントの 壁?も絨毯みたいな模様が入ってる・・と言うようなテントで 昼食会が催された。食事する前に手を洗うのだが、銀のお盆みたいなのを一人が持っていて、もう一人が水の入っている銀のアラビアンなポットみたいなのを持って水を流してくれる。その下で手を洗うという仕組になっている。その後、食事が始まったのだが、どう考えても食事の量が膨大で、一皿の量が異常に多い。しかも「早く食べて、食べたらテントの外に出てくださ〜い」という指示が出された。
どうして?・・・と思いつつも私たち一群は食事して、外に出ると今度は次の一群がやってきて(カメラマンや雑事をする人々)私たちの食べ残しを食べ始めたのにはビックリした。
イスラム教では昔から上の位と下の位の者とは同じ皿から同じ料理を食べることができると言う考えに基づいているそうだ。そのため招待されたりしてごちそうになるときも料理の量がすごく多いのが普通なのが、それをその子供たちやメイドの人達が次に食べるので、料理を残すのが礼儀なんだそうだ。
日本じゃ残さないのが礼儀なのにね。
きっとザカートというイスラームの5つの義務に基づいているんだと思う。 ザカートとはお金に限らず持っている人が持っていない人に与えなければならないということだ。

テレビで結婚式の場面が出てきて、招待されている人々がごちそうを食べてお開きになった後、結婚式場を近所の人々に解放して、近所の人々がやってきてそのごちそうをみんなで食べ始めるというシーンを見たことがある。その主人が言うにはムスリムは皆で喜びをわかちあえるようにこのように近所に人々にも食事をしてもらうのだ、と言っていた。これは、まさしく私が見てきたのと同じだと感動した。ムスリムがメッカの方向を向いてお祈りするのも世界のムスリムがその時間帯に一斉にメッカをめざしているという気持ちでお祈りしているからだそうだ。だから国境を越えて、ムスリムは一つになれるのだろう。
私がいった時期は丁度雨期だったので砂漠といってもあちこちに草や花がはえていて、砂漠のどこまでも一面砂色の世界に緑のコントラストが印象的だった。だから、サウジの国旗も緑なんだって思った。いつも砂色の世界だから緑が好きなんだろうなぁ、きっと。

それにアラブ人はとっても雨が好き。ほとんど雨が降らないからだろうけど、雨が降ってきても、皆、傘もささずに雨にあたって喜んでいた。きっと傘は存在しないのかもしれない。



8、サウディーコーヒーとは?

どこかへ訪れると必ずといっていいほど同じ様なアラジンポットにアラビックコーヒーを入れてもてなしてくれる。サウディーコーヒーは今まで飲んだことのあるどのコーヒーにも当てはまらないものだった。こんなコーヒーがあるなんて!って実に驚いた代物だった。
それは、普通のコーヒーと違って豆を煎らないで、生のコーヒーの実にカルダモンを入れるので薄い緑色でいわゆる普通のコーヒーとは味も見ためも全然違う。もっと苦いし、カフェインももっと多いんじゃないかと思う。それをおちょこの様な小さいカップで飲むのだが、ぼーっとしていると次々にカップに注がれてしまうので気をつけないといけない。もういらないときは、カップを横に少し振るのがもうおしまいの合図ということだ。初めはそれを知らなかったので次々にコップに注がれてしまっていたのだが、途中から要領を得ていい気になってカップを振っていた。
そのコーヒーの注ぎ法には日本のお茶のような作法があって、お茶をつぐときに高い位置からコーヒーを注ぐ方が良い作法らしい。そういえば皆ついでくれる人はこれでもかって言うほど高い位置からコーヒーをついでくた。



9、不思議な歯ブラシ

MISWAKという木の棒なのだが、男の人がオバQの服の胸のポケットに変な木の棒をさしているので、尋ねてみた。そしたら、それはなんと歯ブラシ代わりの木の棒。アフリカとかエジプトとかでも使われているようだが、本場はサウジだそうな。それは、ショウガのもっと苦いような味で、鉛筆の先のように細くして爪楊枝のようにも使えるし、先を柔らかくしごくと、毛先が歯ブラシのようになる代物で、実物を見ると結構感動してしまう。みんな持っているので、ふつうの歯ブラシよりそんなにいいのか、果たしてこの木の棒に薬効成分はあるのだろうか?と疑問に思って、文献を調べてみた。

文献によると、この木の棒には薬効成分があって、歯の食べかす(プラーク)をやっつけるという成分があるようだ。皆そこまで知らなくても、昔からあるから使っているのだろうけど、現代的なビルに囲まれて仕事をしている人々がそんな木の棒を歯ブラシ代わりに使っていること自体、不思議な感じがした。
おまけにちゃんと薬効成分があるなんて!ドイツかどこかの歯医者さんがMISWAKを含んだ歯磨き粉を製品化して売っているらしい。


10、アラブへの目覚め

行く前はサウジアラビアなんて言っても、メッカに砂漠にラクダにオバQ姿のアラブ男性とアバーヤを着ているアラブ女性・・・ぐらいしか思いつかなかった。それほど私はアラブに興味もなかったし、大体において、日本に住んでいるとあまりにアラブの情報が少なすぎる。ニュースはテロリストのことばかりだし、一体、どういう国なんだろう??って全然想像がつかなかった。
元々アラブなんて判んないやって全くの白紙状態でサウジアラビアに行ったということは今から考えるとあまりにもったいなかったなぁって思う。今ほど知識があれば、もっと違った視点で見てこれたかもしれないって思うと歯がゆいぐらいだ。しかし、全くの白紙状態で行けたのは、実は私にとっては良かったのかもしれないとも思う。なぜなら、変な知識があったら、こんなに感動はしなかったかもしれないし、片寄った視点で見てきたかもしれないって思うからだ。あまりにも想像を絶するくらいのサウジアラビアに私はいっぱつでやられてしまった。何から何まで面白すぎて、今までの私の価値観を180度変えてしまったといっても過言ではない。
意識したことはなかったがサウジアラビアに行くまで、アラブ人って野蛮なんじゃないかと感じていたと思う。そういう自分がとても恥ずかしかったし、今まで西洋の視点でしか見ていなかったアラビアを実際体験することができて私にとっては大きな収穫でもあった。
帰ってきてからは、復習したくなり色々な本を読んだり、アラビア語にまで手をつけるまでになってしまった。今度行ったときにアラビア語が使えた方が断然親密度が増すと思ったからだ。アラビア語には日本と同じように習字の様な物があって、あの蛇が這ったような字をとっても誇りに思っている。それに片言でもアラビア語を話すとみんなとても喜んでくれる。
一緒に付いていってくれた通訳の方はカイロのアズハル大学というイスラームの法律学科を卒業して現在アラビア石油に勤務なさっているのだが、彼はとってもまじめなムスリムだった。サウジアラビアに行く前にお会いして食事したのだが、ピラフに入っていた細切れのベーコンを一かけらずつ取り除きながら食べていた姿がとても印象的な方だった。彼のおかげで、サウジアラビアでの滞在は私にとってとても有意義なものとなったし、何といっても私がサウジアラビアで体験した様々な疑問にいちいち丁寧にお答えしてくれた。そんな彼がアラビア語をペラペラと楽しそうにお話ししていたのが印象に残っている。私もペラペラとは行かなくても、喋れれば、きっと楽しいのになと思って始めることにしたのだが、アラビア語って難しい〜〜。
とにかく、何がなんだか判らないうちに帰ってきてしまったので、いろんな本を貪るよ〜にして読んでみると、アラブって相当奥が深いんじゃないかと思う。それに日本人にとって一番知らない人種がアラブ人なんじゃないかと思うけれど、知らないでは済まされないほど、日本もアラブと関係を持っているし、これからアラブを知っていて損はしないだろう。私はもともと負けず嫌いだから、判るまでとことん突き詰めたいって思っている。アラブへの興味を開花させてくれた日本人ムスリムの方、そして「きんぐだむ・おぶ・さうじあらびあ」にとても感謝している毎日である。


もう、帰りたいよぉ〜ってな方は、こっち