純子のお部屋


8月13日

昨日は、サナアに戻ってきたゆたかさんとまたお会いして、サルタを食べに行きました。このサルタ(ヘルバとも言う)は石造りの鍋でぐつぐつ煮た、イエメン(昔の北イエメンだったところ)では、代表的な料理です。どのサナア人に聞いても『サルタは、イエメン料理の中で、サイコ〜だぜ!!1週間に一度は食べない気が済まない』って胸を張って言うぐらい、とってもポピュラーなものなんですよね。これ、去年、イエメン来たとき、ハババの村のヤヒヤの家でも食べたんだけど、そのときはあまり美味しいとは思わなかった。でも、とっても美味しいレストランを見つけて以来、このサルタは大好きになりました。この中には、挽肉、トマト、ポテト、お米が入っていて、それを苦味のある黄緑り色の香辛料(なんていうのか知らないけど)を練って、石鍋で煮込むんですが、日本では食べたことのないよ〜な味です。イエメンに来たら、ぜひ、食べてみてくださいね〜!
その後には、私の家のすぐ近くにあるAmerican Institute for Yemeni Studiesで開かれた、"The History and Ecology of Subterranean Irrigation in Yemen"なるレクチャーに参加したら、大使館のDr.井上と、現在サナアで建築の調査に来られているよしださんとも、お会いして楽しい時を過ごしました。イエメンに来る前は、あまり日本人には会わないから、日本語も喋らないだろうなぁって思っていたけど、採れ野さんよりも喋っているかもしれないなぁ。

今は結婚式シーズンらしくて、木曜日は日本でいう土曜日に当たるのでやたらめったら結婚式が多いんです。今日も方々の家で結婚式が行われているらしくピカピカと光るクリスマスみたいな電球が飾られていて、マイクで歌をうたっているし、踊っている人はいるし、パレードの車は奇麗な色のテープで車の廻り中装飾が施されているしで、やたらめったら賑やか。今日は友達のトフィックの結婚式に招待されたんだけど、2日前に会ったときは、卒倒でもしそうな程のコーフンぶりで、「ボクはと〜〜〜っても幸せなんだよ」って幸せ一杯満ちあふれていると言った様子だったので、「随分とハッピ〜みたいだね〜、日本では、そういうとき、『ルンルン』っていう表現を使うんだよ」と教えてあげました。そして、今日、トフィックの姿を見たら、白いトウブ姿で頭には緑色のグトラを巻いて、オリンピックの選手が頭にのっけてもらうのと同じような葉っぱでできた冠みたいのを頭につけて、腰にはジャンビーアをさし、右手には黄金の剣を持ち、首には白と紫色の花輪をかけて非常に真剣な面持ちで、セレモニーを行っていました。これがイエメン男性の正装なのかな?真面目くさっているトフィックの傍に行って「おめでとう!!」って言ったら、『ルンルン』って返されたのには笑えました。トフィックのお母さんは7カ月前に亡くなってしまったので、この姿をぜひ、お母さんに見せたかったことでしょう。お父さんにもあったけど、それはそれは嬉しそうに顔をほころばせていました。
イエメンでは家によって違いもあるけれど、男性は家の前の路上でセレモニーを行うんです。男女別れて、それぞれ別々に行うんだけど、私はどっちも見てこれました。男性の場は、真中に新郎が立っていて、その廻りを取り囲むようにして親や友達や親戚がたっていて、子供達は、ろうそく係りで奇麗に飾られたろうそくを持ってその前に立ち、一人の男性がマイクをもってコーランの朗唱を行っていてその人を取り囲んで大勢の男性が一緒にコーランを唄っていました。
その後に女性の方に行って見ると、女性は家の中で花嫁さんが来るまで、ダンスを踊ったり談笑しているんです。でも、肝心の花嫁さんはなかなか現われないのが普通です。私は会場に夜の8時ごろ着いたのですが、花嫁さんが現われたのは11時過ぎでした。ど〜してこんなに遅いのかというと、花嫁さんはみんなに顔見せする前に化粧をしたり、写真撮影に行ったりといろいろな準備をしてから来るのでかなり遅くに到着するもんなんだそう。そのころになると、今までダンスを踊りまくっていた女性軍はみんなバタバタとアバヤを着始めます。新郎のトフィックとその家族の男性がやってくるからです。トォルルルル〜〜という叫び?声をみんなでかけて、いよいよ白いウエディングドレスに身を包んだ花嫁さんの到着で〜す。花嫁さんは顔にヒジャーブをかけていて女性軍の部屋と隣の部屋で初めて新郎とごたいめ〜ん!!するのですが、トフィックとお父さん、極、親しい家族2人だけが座っている花嫁さんの前にたって、ヒジャーブを被っている花嫁さんの頭にみんなで手を乗せてから、文句みたいのを唱え、その後に黒いベールを取って、トフィックは初めて花嫁さんの顔を見ることができるのです。ベールを取った時のトフィックの嬉しそうなことといったら!!傍で見ていた私まで感動してしまいました。ベールを取る際に、新郎は新婦にお金を渡すのが習慣らしい。
花嫁さんには、私はトフィックよりも一足お先に前に会ったことがあったんだけど、ハッキリ言って化粧をしない方が可愛かった。今日は化粧をしすぎていて(アラブ女性の化粧はものすごいんです)ちょっと変でした。でも彼女はかなり緊張してるみたいで初々しさが感じられました。その後に花嫁さんは女性軍の部屋へ行って、みんなに顔を見せて談笑してからお開きになるんだけど、その前に私は遅くなってしまったので帰ってきてしまったのが残念だったなぁ。

ところで、式の2日前にトフィックに会ったとき、あまりに嬉しそうなんで、『花嫁さんの顔は見たことあるの??』って聞いてみたら、『見たことないよ、見たことないけど、将来の妻は、もう今から大好きなんだ』って言っていました。う〜〜ん、ど〜して見たこともないのに好きになれるか不思議だったので、聞いてみると『だって、好きなものは好きなんだ』と言われてしまいました〜。トフィックはあまりの嬉しさに舞い上がっていて、前の日に事故まで起こしてしまったぐらい。何だか、とってもカワイイなぁって思ってしまいました。彼は結婚の為に1カ月も仕事を休めるそうな。これって知らなかったのですが、イエメンでは結婚すると1カ月も休みが取れるんですね〜!すごいなぁ。お金がないのでハネムーンなどには行けないけど、結婚式の後はゆっくりと2週間、二人で家にてあま〜い時を過ごしてお祝いに来る友達と会ったりするそうです。 そうやって今まで会ったことはないけれど、二人の関係を深めていくのかなぁ〜。私は今まで会ったこともない人と結婚するのってどんな感じなんだろ??って思っていましたが、この様子では幸せいっぱ〜いって感じで、ほのぼのとした雰囲気でした〜。



8月9日

いやはや〜〜、実は昨日、久しぶりにオールドサナアをぶらぶらしていて、スークのある地区まで行こうとしていたとき、ポストカードを見ている日本人らしき男性がいたので、『あっ、日本の方ですか??そこで買うより、郵便局で買った方が安いですよぉ』って声をかけてみたんです。そ〜したら、『あ!あなた、HP出している人でしょ??アラビア純子っていうやつ』って言われて、でんぐりかえりそうになりました。なぬ〜〜??どーして知っているのか?これってもしかして、アラビア純子パワー??などという考えが一瞬、頭のなかを駆け巡ってしまいました(オイオイ)りょーこさんゆたかさんとは事前に連絡をいただいてから会っていたのですが、アラビア純子のHPの読者の方とバ〜ッタリと会ってしまうなんてあまりにもの偶然にホントにビックリしました。その方は以前、私にメールをくれたことがあって、『イエメン行ってきたんだけど4日しかいれなかったから、もう一度行きたい』って言っていたんだけど、『でも、夏は雨期だから、行かないよ』って言っていたのに、ど〜しているんでしょ??って不思議な気持ちとあまりにもの偶然にびっくらするやら・・・。ふぅ〜、イエメンってやっぱり狭いのかしらん。

さて、友人のムハンマドのお家に遊びに行ったときのことです。ムハンマドの一家は、総計、24人もの大家族で、イエメンではごくごく普通の家庭。ムハンマドの妹のイナース(15歳)とサマル(13歳)と仲良くなっていろいろお話をしていた。私は、最近、どこに行くのでもアバヤを着ていく。なぜなら、その方が居心地がいいのだ。というのも、今日、たまたま、洗濯したアバヤが乾かなかったので、アバヤ無しで学校に行ったら、学校に行くまでの視線が痛いのなんのって〜〜。アバヤを着ていたって視線が痛いぐらいなのだから、想像できるでしょうか?学校に通うまでの道のりは、ホントの普通の住宅街なので、外国人が歩いてるぜ〜ってな感じでみんなにじろじろ見られてしまうのだ。ちょっと話がずれたが、当然の様にムハンマドのお家にもアバヤを着て遊びに行った。ムハンマドの一家に囲まれていろいろと質問をされていたときのことである。私はアバヤを着ていたせいか、イナースとサマルに、『じゅんこは、ムスリマ(ムスリムの女性名詞)なの??』とイキナリきかれてしまった。うっ、この手の質問は苦手なんだよなぁって思いながら、『ううん、違うよ』って答えると、彼女らの顔が一変したのを見逃さなかった。『え??ってことは、何を信じているの??』と聞かれて、う〜〜ん、この手の質問に下手に答えると、まずいって思いながら、『ブッディストなの』って一応答えたのだが、『????』って通じなかった。う〜〜ん、アラビア語で「仏教」ってなんていうのか知らなかったので、その説明に手取り足とりで説明したのだが、なかなか判ってくれない。そのうち、『もしかして、カーフィルなの??』って聞かれてしまってじたばたしてしまった。この『カーフィル』というのは、アラビア語で、『神を信じない人、つまり、無神論者』のことである。イナースとサマルは『私はカーフィルは嫌い!!』ってハッキリと言っている。ムスリムにとって、信仰のあるなしは重大な問題らしい。「信仰がない」などというと、人格を疑われかねないようだ。それほど、ムスリムの生活は神と共にあるとも言えるだろう。同じムスリムでも様々なのだが、ムハンマド一家は、この世にムスリムじゃない人がいること自体を信じられないというか、誤解されないような説明が難しいのだが、イエメンから外国で出たことがないので、外国人がどういう風に宗教をとらえているのか理解できないというような状態なのである。私としては一応、仏教徒ではあるが、仏教を信じているのかと問われれば、う〜〜んと唸ってしまうような感じで、どちらかと言えば、まさしくカーフィルに近いような状態なのだが、ウソをつくのも厭だし、この手の質問が一番困ってしまうのだ。このことを後で、別の友達に説明したら、『そういう場合は、私はムスリムじゃないけど、仏教徒で、カーフィルではない』とハッキリというのが好ましいと言われた。そう聞くと、ムスリムも安心するそうだ。『信仰がない』というのが事実だとしても、ムスリムにとっては、『神を信じているかどうか』はとても重要なことで、信じていないなどと答えると、『あの人は、信用できない』と言われてしまうことが多いので、気をつけましょう。

ところで、あいさんから、『アラビックはヨーロッパ人たちにはすこし馬鹿にされていたように思います。というのは、ヨーロッパ人から見ると、全てにおいて宗教が優先され宗教に頼りすぎているというのです。確かに当たってはいるけれど私はいつも何か絶対的に揺らぎのない物、たとえそれがどんな宗教であっても、を信じられる、信仰できることをうらやましく思っていました。』とのメールをいただきましたが、私もサウジアラビアに行くまでは、「宗教に頼るなんてナンセンス、神様なんているわけないじゃん」って思っていた一人です。これは、私があまりに宗教ということに無知だったからに過ぎません。日本にいると宗教に染まっている人って変な人が多かったし、実際にオウムみたいな新興宗教も多くはびこっていたから。ところが、実際に、サウジアラビアでは神を信じて行動しているムスリムを目のあたりにして、自分がとても恥ずかしくなりました。ここには、こうやって神というものを信じている人がいて、こうやって生活していて・・・ということを見てきて、なんて説明すればいいのか、よく判らないのだけど、ムスリムに対して尊敬の念すら覚えました。実際に私があまりに宗教というものに対して、白紙の状態だったからなのかもしれないけど、もしかして白紙の状態でサウジアラビアに行けた方が私にとっては良かったのかもしれないって思います。その分、偏見をもたずに見てこれたから。それにイスラームのことについて自分なりにお勉強してみると、いかに、自分が無知だったのか、イヤというほど思い知らされました。そうして、今、思うことは、神様を信じているから、といってバカにされなければならないのだろうか??ということです。神様を信じすぎない国の人の方がエライのだろうか??って思うのです。その判断は個人差があるでしょうが、私としては、イスラームでもユダヤ教で仏教でもいいんですが、現に神様を信じて暮らしている人達がバカにされる理由はないんじゃないか、各々の国に適した宗教や価値観、習慣などをお互いに尊重していければいいのになぁって思います。



8月6日

や〜〜っと5月に日本から送った荷物が届いて嬉しさのあまり踊りだしてしまっているアラビア純子で〜す。いやぁ〜、ホントに長かった〜。サナアは先週沢山の雨が降ったために寒いぐらいだったので、荷物が届かないと服買わなきゃなぁ〜って思っていたところだったので、ホントに助かりました。それに、日本からはいつも使っていた包丁とまな板まで送ったので、これが届かないことには料理も思うようにできなくて、小さい包丁を買ってそれでなんとかやっていたのですが、まな板がないとど〜にも使えなくて困っていたのでした。だから、ホントに嬉しいわぁ〜。

今日はお休みだったんだけど、ちょっと新しいことに挑戦してみました。イエメンでは、庶民の足は、
1、タクシー・・・イエメンのタクシーは主にTOYOTAの古い白いセダンの車に黒いラインが入っているやつで「どこどこまで行くんだけど、そこまでいくら??」って乗る前に運転手と交渉しなくてはならないのです。イエメン人にもやはりいい人と悪い人がいて、相場は100リヤルなのに、「そこまでは、200リヤルだ」とか平気でぬかす奴がたまにいます。だから、「それは高すぎるよぉ〜、100リヤルだよ、普通」というと、大抵は「オーケー」ということになって無事タクシーに乗れるのです。でも、この交渉力がないうちにタクシーに乗るのは、ちょっとドキドキもん。私もはじめは、ドキドキしながら交渉していました。今まで乗ってみて、高い値段をふっかけてくる率は、3割ぐらいかなぁ。
2、ダッバーブ・・・なぜか、「ロンリープラネット」には、イエメンの乗り合いタクシーは「セルビス」と書かれていますが、これは間違い。確かにシリアなどではセルビス(英語のサービスって意味)って言われていますが、イエメンでの名称は、『ダッバーブ』。これは私は大好きです。なぜか、鳥の羽の飾りを脇につけていたり、車体にも運転手の好みによって様々に装飾が施されています。この前遭遇したダッバーブは、ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜と救急車の音を発しながら急速度で走っていったのには笑えました。何だか、見ているだけでも楽しくなってしまうんです。これは、10〜15リヤルぐらいでタクシーで100リヤルの距離を走るのですが、この前ゆたかさんとコレに乗ったとき、向かいに乗っていたおじさんとカートのお話で盛り上がっていて、その後におじさんの方が先に降りたのですが、何かおじさんが降り際に、「オレには金がない〜〜」って言っていたんです。その後に私たちが降りたのですが、運転手の兄ちゃんが「さっきの人が君達の分も払ったんだよ」って言っていたのには驚き!!こういうことを言うのはイヤだけど、イエメン人の方が実質的には貧しいのに、心は貧しくない人が多いんだなぁ。ダッバーブに乗ると知らない人同士でも必ず会話しあってとっても楽しい和やかな雰囲気を味わえます。
ところで、このダッバーブは、例えば、バーバルヤマン〜タハリールまでとか決まった経路で走っているのですが、車体には行き先はアラビア語でしか書いてありません。降りる時は、どこで降りてもいいのですが、降りる際に「アラージャンプ!!」と叫べば、止まってくれるという仕組になっています。
3、モーターサイクル・・・普通に「モーターサイクル」で通じます。バイクの後ろに乗るんですが、イエメンは道が混んでいるので、これはタクシーやダッバーブを使うよりも早く目的地に着くのが利点です。 値段はタクシーの半分が相場。今日、挑戦した新しいことっていうのは、このモーターサイクルです。乗るときに相場が50リヤルなのに100リヤルって言ってきたからまたまた交渉して50リヤルで乗りました。イエメンの町中を風を切って走るのはなかなか爽快ですが、イエメンでは自転車に乗るのもアイブってぐらいだから、当然、モーターサイクルも女性が乗るのはアイブらしくて、乗っていたら、子供が「見てよ〜〜!」と叫んでいたり、おじさん達にじろじろ見られたりしてしまいました。でも今日は友達と待ち合わせをしていたのですが、タクシーに乗るお金はないし、ダッバーブで行く時間もなかったから、丁度通りがかったモーターサイクルに乗ってしまったのだが、友達には、モーターサイクルで来たんだと言ったらものすごく驚かれて、「それは、ア〜イブ!!」と言われてしまいました〜。私としては気に入ったのですが、もう今後乗ることはないだろうなぁ。

え〜と、昨日「後の話はここでは書けないのでやめにします」なーんて書いちゃったもんだから、 「その後に口説かれたんですか??」ってメールがきたのですが〜〜、そんなんじゃないよぉってことだけ言わせていただきます。

あきらさんから『今の純子の部屋で充分楽しいですよー。ムスリムの性意識というのも、めったの表に出てこない部分なので興味深いです。でも奴らはそんなことをレディーに話すのか??』とのことですが〜、そこを聞き出しちゃうのがアラビア純子なんです。こういう話に至るまでもいろいろな突っ込みをして、『バンコックに何しに行ったの??』とか言って最終的に彼等も話をしてくれるというワケなんで〜す。

清茂さんから『イエメンと言う言葉を聞いたのは、一年半位前で、それからもテレビや雑誌、それに旅で会う人達からいろいろ聞きました。そのう ちにどんどんと行きたくなってきたのですが、時間や時期、チケットの値段などの問題ででなかなか行けなかったんです。でも、今回ようやく行くことが出来そうってわけです。一番見たいのはあなたと一緒に写っている段段畑です。なんかそういうの好きなんです。』とのメールをいただきました。そうですかぁ〜、イエメン行きたいって人は多いけれど、段々畑が見たいという方は初めてで、私もとても嬉しいです。そう、段々畑は想像できないぐらいの素晴しさで、見てみたいと思うのなら、是非、マナハへ行ってくださいね〜!



8月5日

やっと今週の授業が終わり、ぐったりです。昨日は、イエメンにいらしたゆたかさんとオフ会をしました。彼は、ロミオのお友達、ホントに世間って狭いわ〜。
そのゆたかさんと家のすぐ裏にあるユダヤ人街地区を訪れた。ユダヤ人街地区と言っても、もう住んでいるユダヤ人はいないらしい。1948年のイスラエル建国でみんなイスラエルへと行ってしまった。私は、その前を通る度に、そこに入ってみたい〜と思っていたのだが、何だか踏ん切りがつかなかった。というのも、そこは、殆どの家が崩壊していてくら〜い雰囲気だったのだ。だから、誰か一緒に行ってくれる人がいればいいのになぁって思っていたのだが、アメリカ人やイギリス人のクラスメートに頼む気も起こらなかったし、イエメン人に頼むのも何だかはばかれていたのだ。しかし、ゆたかさんが来てくれたおかげで、そこに入ることができた。(ありがとう〜)
ちょっと、ドキドキしながら足を踏み入れてみた、ユダヤ人街地区、そこは狭い道が迷路のように入り組んていて、そこには普通のイエメン人の生活があった。崩壊している家には、誰も住んでいないのだがその隣には、イエメン人の家族が普通に生活していて、一角には、スークもありカートや、果物、雑貨店などがところ狭しと並んでいる。道端では子供が集まって遊んでいる。私は、廃虚のような感じなのかなぁって思っていたから、何だかホッと安心してしまった。しかし、そこにあった家は、ほかの地域と比べてちょっとした違いがあった。家は他のイエメン人の家同様、石造りなのだが、窓が小さく、イエメンの家の最大の特徴とも言える「カマリア窓」が殆ど見られないのである。ユダヤ人はカマリア窓がお好きじゃなかったのかなぁ。
イエメンという国はただでさえ、昔からの家々を保存していてそこに住んでいる人々は、現代的な生活様式を取り入れてはいるがあまり昔から変わっていないような、あぁ、この人達ってこうやって昔から生活してきたのかなぁって感慨に耽ってしまうような不思議な国である。ユダヤ人街地区も出て行ったからといって壊されているワケでもなく、そういう歴史の一部を残しながら、今でもイエメン人は普通に生活している。他のアラブ諸国にも歴史的な建造物などはある。例えばピラミッドは、とても壮大なものだが、すぐ近くには、近代的なビルが建っている。しかし、イエメンは本当に国全体が博物館なんじゃなかろうかといった気さえおこってしまうような国なのだ。
とにかく、ユダヤ人街地区が存在しているということは、昔イエメン人とユダヤ人は共存していたということを示している。昔のことはよく知らないけど、けっこう仲良くやっていたということだ。それが1948年以降は、イエメンに住んでいたユダヤ人はほとんどいなくなってしまった。悲しいことである。ところで、私がユダヤ人のことについて、どう思っているのかと思っている方もいることでしょう。以前、ある方から、イスラエル人のCDをいただいたことがあるのだが、その時に添えられていた手紙を読んで驚いたことがあった。「アラブ好きの純子さんのことだから、イスラエルのCDなんてこんなものって思うかもしれないけど、音楽に国境はありません」と書かれてあった。それは、大きな誤解である。アラブが好きだからといってイスラエル人が嫌いだとは、これっぽっちも思っていない。むしろ、子供のころ、「アンネの日記」を読んで、なんてかわいそうなんだ〜と子供心にいたく傷つき、感想文を書いた記憶もあるし、彼等がナチに迫害されたことはあまりに有名だし、その手の映画を観て涙を流したことだってある。こういうことは有名なので多くの日本人は、「ユダヤ人ってかわいそうすぎる民族だ」って思うかもしれない。この話になるととてつもなく長くなるのでもう終わりにするけど、一つだけいいたいのは、アラブ好き=イスラエル嫌いということではないということである。少なくても私は。確かに多くのアラブ人はイスラエルが嫌いだと思う。だけど、多くのアラブ人が嫌いだからといって私まで嫌いだと思うのは、あまりに短絡的な思考だと思う。それよりももっと複雑に入り乱れてドサクサのうちに自分の都合がいいようにイスラエルを承認してしまった西洋諸国の対応の方が私はカチンときているのだから。

さて、気分を一新して、この前の続きでもお話しましょう。
サウジのリヤド生まれ育ちのパレスチナ人とは、今度は結婚の話になった。

「日本では、女性も大勢働くし、自活できる女性も多いから結婚も年々遅くなっているみたい」

「へぇ〜、そりゃ、ライススタイルの違いだね。僕達パレスチニは、早くから働くんだよ。僕なんて、8歳から仕事を覚え始めたから、1人前になるのが早いから、早く結婚するんだ。コイツ(友人:ムハンマド)の妹なんて、15歳なんだけど、あと1週間後に結婚するんだよ」

「15歳で結婚〜〜??そりゃ、日本じゃ犯罪に等しいよ。ムハンマドは、何歳のお嫁さんがいいの?やっぱり、15歳??」

「う〜ん、20歳じゃ、老けてるね、17歳ぐらいかな?」

「ぎゃ〜〜、20歳のお嫁さんは、日本じゃ早いって言われているのに20歳で遅かったらど〜すんだろ」

「早く結婚した方が、というか若いお嫁さんだと何も知らないから、自分の色に染められるんだ。年とってくると、知識も増えて余計な考えを持ってしまう。だから、若いうちに結婚すれば、僕好みのワイフにできるのさ。君はサウジのような結婚についてはどう思う?」

「そうね〜、早く結婚するということに関しては、まぁ、そういう環境なら、それはそれでいいと思う。というか、そういうのが普通なら、それで幸せだと思うけど、それってダンナにすごく影響されるよね。カーリドみたいなダンナだったら奥さんも幸せだと思うけど、もし、すごく自分勝手なダンナだったら奥さんは一生苦労するかも」

「僕がバンコックで遊んできたことについては、ワイフは知らないんだよ。仕事って言ってあるし。僕は、実際に遊んできたりしたけど、結婚したのが、3年前で、それまではこうやって遊んだりしたことってなかったんだ。でも、僕はすごくワイフを愛してもいるし、実際に二人でいるときはすごく仲がいいんだよ。」

「でも、愛しているのならどうして遊びに行ったりするの?」

「友達が行くっていうし、つきあいみたいなもんさ。それに今まで、こうやって遊んだことがなかったから、どういうものなのか?って気持ちもあったんだ」

「ふ〜ん」・・・・・ と言った感じで話は続いたのだが、後の話はここでは書けないのでやめにしますけど、ここで思ったのが、彼等と話していてとても正直だと思った。日本人なら、こういうときウソとまではいかなくてもカッコつけちゃって本心を喋るだろうか?彼等はどうみてもウソをついているとは思えない口ぶりだったし、そういうのは目を見れば大体判る。たまたま正直者なパレスチニだっただけなんだろうか?



8月2日

ネパールみゆきさんとまた、連絡がついて一安心のアラビア純子です。はっと気付いたらもう、8月なんですね〜。もうイエメンに来て1カ月半ほどたってしまいました。ぼやぼやしてると1年なんてあっという間かもしれません。

今日は、何のお話しようっかなぁ〜。えーと、今日は、イエメンに着く前にアブダビで泊まったエアポートホテルでの出来事でもお話しましょ〜。

今回は、ガルフエアーで来たのだが、成田〜ホンコン〜バンコック〜アブダビ〜サナアという、と〜ってもなが〜い道程ではるばるサナアまでやってきた。(考えて見れば、採れ野さんが聞いたら、泣いて羨ましがることでしょ〜が、残り少なかったホンコンの啓徳空港の姿を見れました)その長い、長いフライトの間にバンコック〜アブダビ間で知り合ったサウジのリヤドに生まれて育ったパレスチナ人(ややこしい〜)3人とお友達になった。エミレーツを使うと、ドバイ経由だし、前もってヴィザを取得しておかなければならないのでそういった面倒はなかったのだが、アブダビでは、空港に着いたのが夜の11時で、それから、トランジットヴィザ取得のために待たされるのだが、めちゃくちゃ混んでいたので空港で待ちに待たされること約2時間あまり。ただでさえ、長旅で疲れているので、早くホテルにチェックインしたかったのだが、今度は、エアポートホテル(空港内にトランジットのためのだけのホテルがある)にチェックインするのにもまたまた、2時間半もホテルのラウンジみたいなところで待たされてぐったり。でも、そのおかげで、サウジのリヤド生まれのパレスチナ人とお話がたっぷりとできたのだった。
さて、そのサウジのリヤド生まれのパレスチナ人の3人、バンコックから私のとなりに乗ってきた。カーリド、彼は、27歳で、この中で唯一結婚していて2人の子持ちである。あと2人の友達は、どっちも独身で名前を忘れてしまったが、話してみると、とても面白い3人組みだった。格好は、とてもサウジ育ちとは思えない、タンクトップなんて着ちゃっている。彼等は、どうもバンコックで遊んできたらしい。 彼等は、パレスチナ人と言えども、サウジ生まれなので、遊んでいるくせにサウジのイスラーム度が入り交じった不思議な3人組みだった。カーリドが一番、英語がしゃべれるので、ほとんど彼とお話していたのだが、いろいろと興味深いお話が聞けた。(言っておくけど、いきなりこの話から話が始まったワケじゃないので、誤解しないでね!)

「タイでは、12日間いて、僕は2人の女の子と遊んだよ、友達は毎日していたけど」

「へぇ〜、それって、病気とか気をつけてるの?」

「うん、そりゃ、ちゃんと使ったさ」(何を〜〜〜?)

「それなら、いいけどさ〜、今は、いろいろ危ないから気をつけてね」

「僕、売春婦って嫌いなんだけど、普通の女の子は好きなんだ。女の子といろいろと話をして、最終的に女の子の方が望めば、OKさ。その過程を楽しんでいるんだ。でも僕は、絶対に無理強いはしないんだよ。何に対してもそういう姿勢なんだ。僕のワイフに対してだってそうさ。ワイフがその気になる日は、夜お風呂に入って、香水つけておしゃれしているからすぐにピンとくるんだ。そういうときは、僕は絶対に拒まない。だって、ワイフがその気になっているんだから」

「へぇ〜、自分勝手じゃないってことね。日本では、いばったりする男性とかいるけど、サウジではどうなの?」

「威張ったりって??」

「例えば、奥さんに対して『水、持ってこい』とか、『お茶!』とかしか言わないって人もいるみたい」

「僕がワイフに『水持ってきて』って言っても、ワイフは、絶対に嫌がらないよ。持ってきて欲しいときは、そのしゃべり方を気をつけるんだよ。命令口調じゃなくて、『ねぇ、水持ってきてよ〜〜』って感じで言うのさ。モノは言いようってことさ」

「ふ〜ん、結構上手なんだねぇ〜、家では、メイドさんとかいるの?」

「ううん、一度、ワイフがメイドさんを雇いたいって言ったけど、僕は、他人が家に入るのが好きじゃないから、『じゃあ、僕は、そのメイドさんと結婚する』って言ったら、ワイフは『それだけはイヤだ』ってあきらめたんだよ」

「それって頭いいかも〜。ところで、サウジでは、お祈りとかキチンとしているの?」

「当然さ〜!5回がベストだけど、僕は、3回さ」

「え??それって、1日3回モスクに行くってこと?週に3回じゃなくて?」

「そりゃ〜、そうさ、1日3回モスクへ行って祈るんだ」

・・・・・と話が延々と続くのですが、あまりに長くなるので、続きはまた今度。彼等って遊んでいるかと思えば、キチンと1日に3回もお祈りしていたりする。今まで私が会ったことの外国人ムスリムで、そんなにお祈りしている人はいなかったから、ビックリしたけど、やはりサウジ生まれだからなのかなぁ。

さて、話は変わって、イエメンからお帰りのりょーこさんから『サナアではいろいろありがとうございます。アラビア情緒あふれる素敵なご自宅にお招きいただき、楽しい時間をすごさせていただきました。アラビック(サウディ)カフェは、私好みですごくおいしかった!ところで、純子さんが遊びにいらした翌日、私はホテルをチェックアウトしたのですが、フロントのお兄ちゃんが「リョーコ! 昨日君のところに遊びに来た友達はベリーベリーキュートだったねぇ!」とベタ誉めでした。彼は純子さんが好みのタイプだったようです。(アバーヤ姿がミステリアスとか言ってたぞ)とにかく、イエメンは本当に楽しかった。また行きたいです。友人たちに手紙を書くためにも、秋からアラビア語を始めようと思います。』とのメールをくれました。いやはや、イエメン気に入ってくれて、私も嬉しいっす〜〜。それにアラビア語まで始めようなんて、よっぽど気に入りましたね!!頑張ってくださぁ〜い!!それにしてもフロントのお兄ちゃん、ど〜してそーゆーこと面と向かって言ってくれないんだろ??


前のがみたいよ〜ってな方は こっち