純子のお部屋


8月31日

以前、ドバイで「アブダカダブラ」って言っても通じなかったので、こりゃ、日本の童話の世界だけの言葉なのかしらん・・なーんて思っていたらぁ〜、聞いてしまったんですよね〜。友達のお家にいったとき、赤ちゃんがいたんですが、友達がこの赤ちゃんの目の前で手をひらひらと交差させて『アブダカダブラ〜〜』って言っていたのにはビックリ!ぎゃぁ〜〜、これは、まさに、あの『アブダカダブラ』じゃ〜!!って思ったので、私も「え??『アブダカダブラ』って何か意味あるの?」って聞いたら、特に意味はないけど、赤ちゃんとかをあやすというかおちょくるときに使う言葉なんだそうな。私も驚いたけど、友達も私がその言葉を知っているのに驚いていて、お互いビックリしてしまったのでした〜〜。

さて、この前の旅行のお話の続きです。
ハジャラってじゅんこ2ロミオと出会った奇蹟の村なんだけど、ここは私の最もお気に入りの村です。「ハジャラ」ってのは「岩」って意味で文字どおり岩の村。標高が高いからすぐに霧に覆われて、その中にぽつねんと浮かびあがるハジャラの村の家々には、幻想的な趣が感じられます。
そのハジャラに一軒だけある『フンドク・アル・ハジャラ』ってところに泊まってきたのだけど、そのホテルの真ん前には、いつも近所のガキがたむろしていて、やってくる観光客を相手に商売したり、からかったりしている。ホテルの窓から覗いてみていると、ガキがネックレスをフランス人に売りつけようとしてやっきになっていて、フランス人の女性も負けずにぎゃーぎゃーやり取りしているのが聞こえてくるというのんびりとしたホテルなのだが、普通のホテルと違うのは、民宿風になっていて夜はイエメニダンスでおおいに盛り上がれるのだ。ウード(アラブの弦楽器)や太鼓などの伴奏やダンスを披露するのは、昼間はご飯を作ったり、ホテルの掃除をしたりする従業員。昼間はくたびれた服装で働いているのだが、彼等が全員、夜はビシっとイエメンの民族衣装に着替えてのパフォーマンスを展開してくれるのだ。ホテルのオーナーの息子のアハマド君(12歳)までもがキレイな青い服に着替えてお父さんと一緒にイエメニダンスを踊ってくれる。アハマド君は、カワイイ顔だちをしていて、ダンスのメンバーの中でも将来有望かと思うぐらいのダンスのうまさである。宿泊客は部屋の周りに敷かれている座椅子風のソファーに座り取り囲むようにしてダンスを堪能できるのだ。「わぁ〜、イエメニダンスってこんな風に踊るんだぁ」って感激してぼ〜〜っと見とれていたら、いきなりアハマド君に手を引かれ、真中に引き出されてしまった。げげげ、これは、私もダンスを踊らなくてなんないのか??と考えている余裕もなく、私も一緒にイエメニダンスを踊り出していた。見ている分には簡単そうにみえるこのイエメニダンスは、ステップが決まっていて結構難しい。でも一緒に踊りまくっているうちにだんだんとコツがつかめてきて、いい気になって踊りまくっていた。それをきっかけに宿泊客が次々と真中に引き出されて、オランダ人のおばさんもノリノリで踊りまくり、ついには、フランス人もオランダ人もドイツ人もスウェーデン人も全員が汗をかきながらの大ダンス大会状態。普通、ホテルに帰ってもやることがないから寝るだけになってしまうことが多いなかで、このホテルは本当に最高〜〜!!!でした。

「とってもイエメン」編で書いた、『Am I thirty(13歳と言おうとして30歳と答えていた)アハマド君』にこの旅行で再会できたんですよね。感激でした〜。
前に会ったのが去年のラマダーンの時だから、かれこれ半年以上たっていたワケだけど、驚いたのが、去年とは打って変わって随分と大人びていたのだ。アハマド君は今、14歳になっていた。長かったくるくる頭を角刈りみたいにしていて、腰にはジャンビーアをさし、白い民族衣装に身を包んだ彼とは、ホテルの前の例のガキがたむろしている場所で再び出会うことができたのである。ガキが数人近寄ってきたのだが、その中にアハマド君もいた。彼はガキの中で一番年上になっていて、私を取り囲むガキを追い払ってくれた。私はまさかまた会えるとは思っていなかったし、向こうも観光客なんて沢山見ているだろうから覚えていないんじゃないかって思っていた。でも、お互い一目で思い出せたのだ。

『あ〜〜〜〜!き、きみは、ラマダーンの時に会った子だよね?君の理科の授業みたいな絵が沢山書いてあるノートを見せて貰ったんだよね、覚えてる??』
『うん、覚えてるよ!!そうそう、僕のノート見せたよね!』
『わぁ〜〜、随分とおとなっぽくなったじゃないのぉ〜!』というと、照れたように笑みを見せたアハマド君の笑顔は変わっていなかった。でも、その日は、これからでかけるところだったので、そのときはじっくりとお話ができず、後ろ髪引かれる想いでそこを後にしたのだが、夕方に帰ってきたら、アハマドは例の場所で私を待っていてくれた。去年、私に見せてくれた自分のノートを持って。

『どうして、私のこと覚えていたの?ここは有名だし、日本人も沢山来るでしょ?』
『日本人の観光客はいっぱい見たけど、仲良くなれたのは君だけだったから』
『そうなんだぁ』
『このノートあげるよ』
『え〜?でも、これで勉強しているんでしょ?悪いよ』
『でも、あげるために持ってきたから』
『ありがと〜!大切にするね!』 といった感じで彼とはお話していたのだが、アハマド君は何だか去年よりも口数が少なくなっていて、少年っぽさを笑顔だけに残して随分と青年っぽくなっていた。去年は英語もあまり喋れなかったけれど(何せ、Am I thirty だから)、英語も上達していて、あまりの変化ぶりにドギマギしてしまった。たった、7ヶ月前のことなのに。それに想いでのノートまで貰ってしまい、感激してしまった。このノートは大切にしたいと思います。

(話が見えないんだけどぉってな方は『とってもイエメン3』の「ガイドとハニー」編をご覧になってくださいね〜!)



8月29日

いきなり町ですれちがったおやじに『ふらんし〜?いたり〜??』と聞かれて、でんぐりかえりそうになったアラビア純子です。こんなこと初めてっすよ。「しーにー(中国人)?」ってのには慣れていたけど、私のどこがフランス人やイタリア人に見えるんじゃ〜!「やーばーにーや」って言ったら、「????」って表情をしてたから、きっと日本人を見たことがないのかな。

前回1週間のお休みがとれたとき、マナハからホデイダ道路をまっすぐ西に行き、ある村(名前忘れた)からまっすぐアル・マハウィートまで、ジャングルみたいな道無き道のワディーを上っていってアッタウィラ、コーカバンとぐるっと一周してきたんですが、このルート、まだ日本人はほとんど知らないみたいだし、ものすごく面白かったのでゆたかさんにもお勧めしました。その旅ではホントにいろんな出会いがあったんです。ここで書き切れないぐらいなんですが、今日はちょっとだけ書きたいと思います。
アッタウィラのホテルに泊まったとき、そこの娘さん達に部屋にぜひ、遊びに来て〜と言われて、彼女達の部屋を訪れてお話をしていた。娘さんは2人とお兄さんのナビーと結婚したハナーンの3人。2人の娘さんの名前はタギーヤとヌウラ。ヌウラは15歳でしゃきしゃきとした口調の明るい女の子だった。中学校には通っていなくて、アラビア語は喋れるけれど文字が書けない。私が文字を書いてみせると尊敬したようなまなざしになった。お姉さんのタギーヤは22歳で、現在離婚して家に出戻り状態。
どこの家庭に行っても絶対と言い切れるほど、質問されるのが『結婚してるの??』という言葉。それも初めて会ったのにイキナリ質問されてしまう。日本だったらそんな質問は初対面の人にあまりしないだろう。イエメンでは「なんて名前?どこ住んでいるの?仕事なにしてるの?」ってな質問と同じレベルで『結婚してるの?』って必ず聞かれるから面白い。まぁ、それはいいとして、こういう質問から、結婚の話になった。ヌウラは15歳なので「そろそろ、結婚とか考えているの?」って聞いてみたら、「う〜ん、この村の男とはあんまりしたくない。だって、お姉さんのタギーヤは離婚したんだけど、そのダンナがすぐに殴る奴だったの。この村の男はロクなのがいないの。みんなすぐブツしさ。結婚するのなら、サナアの人がいい!」って言っていたので、「そんなにここの男はすぐにブツの??」と聞くと、「そうだよ〜、ホントにムシ・クワイエス(ダメなのよね〜)!!」って力説していた。「じゃあさ、サナアの人だったらいいわけ?どんなダンナがいいと思うの?」って聞いてみると、「サナアで教師とかビジネスマンとかがいいなぁ〜、アタマ悪い人はダメよね」と結構厳しいことを言っていのけるなかなか面白いヌウラだったが、彼女は、「くる病」に悩まされていた。くる病って遺伝的なものもあるみたいだけど、日光に当たらないとなるとも言われていて、私は大学でくる病について習ったけれど、実際にくる病の人ってみたことがなかった。ヌウラは、「いつもヴィタミンDの注射をしているし、背中や足が痛くて仕方がないときがあるの」ってボヤいていた。でも、それに負けずに明るいヌウラにいい人が見つかるといいなぁ。
お兄さんのナビーと去年結婚したハナーンは16歳。ほっそりとした体型で結婚しているので唇にほんのりと化粧をしたなかなかカワイイ子だった。結婚式の写真を取り出して私に自慢気に見せてくれた。その写真を見ると、どうも花嫁はこのハナーンらしいのだが、写真に写っている彼女はとても今の彼女とは思えないほど、太っている。「これってハナーンなの?かなり太っているじゃない」って言ったら、「うん、そうなの結婚前は太っていたんだけど、結婚したらヤセちゃったんだ」と答えていた。「どうして結婚したらそんなにヤセちゃったの?」と聞いみると、「だってね、ここの村では、結婚したらやらなきゃいけないことが一杯あって、とても大変なの」と疲れたような口ぶりになった。「もしかして、ダンナがぶったりとかするから、痩せちゃったの??」ってこっそり聞いてみると、「ウチのダンナはそんなことないよ。でもね〜結婚するとホント仕事がいっぱいあるのよ。でも、幸せではあるかな」って言っていた。
イエメンでもサナアなどの都市部と地方の村では、いろんな印象がかなり違う。サナアにも金持ちから貧しい人まで様々いるけれど、普通の結婚している女性は太っている人が多いように思う。けれど地方の村の女性はきっと都市部の女性よりも家のなかの仕事量も多いのかもしれない。実際に小さな小さな村なんかの周りでは、小さい女の子までもが働いているし、女性が草刈りなんかの仕事をしている場面をよく見かけるし。 女性の意識も地方と村ではかなり違いがあるのかもしれないね。そういうのこれからも見ていきたいなって思ってます。

さて、みーとさんから『仕事中スランプに陥ってたから、気分直しに「純子の部屋」の過去ファイル(2月〜8月まで)をずっと読んでてん。改めて読み直すと、最初素通りで読んでたこと(ごめん!)の中に、こうひっかかるというか「そうそう」と頷いたり、理解できるところがあって良かったわ。読者のみなさんは、どーしてるんでしょうかねぇ?再読のおすすめをしちゃうわ。』とのメールをいただきました。わぁ〜、ありがと〜。私も「純子のお部屋」はどのページよりもリキ入れて書いているつもりだからとっても嬉しいで〜す。

「AHALAN WA SAHALAN」というHPをもっていらっしゃる、めぐぞーさんから『もうTOPからWelcomeとAhalan wa Sahalanが踊っていて感動です!もともと歴史好きが途中から中近東にハマリ、将来は石油王の第3夫人になってやる〜!という目標のもと、アラビア語をちょっとだけ習ってみたりしながら、中近東やその他方面への旅ばかりをしていました。なんだかこのHPに出会えて嬉しいです!!ディープな情報を楽しみにしています。』とのメールをいただきました。同じくアラブを愛する方とお知り合いになれて私も嬉しいです。めぐぞーさんもHPをお持ちなので興味のある方はリンクのページからど〜ぞ!



8月26日

今、思い出したんだけど、そ〜いや、この前、ぬわんと大粒の「ひょう」が降ったんですよぉ〜。今は一応夏なのに、ビックリしてしまいました。イエメンは暑くてかなわないだろうと思っていると思いますが、サナアは全然そんなことなくてむしろ寒いぐらいです。夜なんかは寒いのでジャケットを着込んでいるぐらい。 電気ストーブでも買おうかと思って見に行ったら、普通の安い日本でよく売っているような電気ストーブらしいものは見当たらなくて、ドイツ製の高いヒーターしか見当たらない。う〜〜ん、買おうかどうか迷ってしまうなぁ〜。

シンガポール帰りのみーとさんから、『マレー人も親族間の結婚が多いと聞いたけど、純子さんの日記にも、「アラブでは親戚同士の結婚が多い」って書いてたでしょ?これはイスラム教の影響のせいかな?』とのご質問で〜す。
国によっても違いがあるけれど、一般にアラブでは、以前も書いたよ〜に結婚前に男女が知り合って結婚するという、いわゆる恋愛結婚は普通じゃ行われないんですよね。だから必然的に知り合いって形の見合い結婚みたくなってしまいます。それも双方の母親がその結婚について決めることが多くて、そ〜なると、「あんたんとこの何々ちゃんは、今、何歳だから、ウチの子に丁度いいんじゃない??」ってな感じで、結婚が決まっていくのですが、知り合いって言ってもいつも母親がつきあっているのは、お姉さんとか親戚とか友達とかだし、そんなに縁遠い人は知らないワケです。単に親族とかの方が信頼がおけるしってことで親族結婚が多いのだと思います。イスラームでは親族間で結婚するよ〜にとは言っていないと思ったから。
もともと、アラブの原形であるバドゥ(ベドウィン)は、同じ部族間で結婚するのが最もよいとされていたせいもあるのかもしれませんね。部族にも格みたいのがあって、その格がつりあわない者同士の結婚は難しかったらしいし。
それに、前にもここで書いた、マハル(一種の結納金)は結婚の際に絶対に必要不可欠なのですが、これは、親族間だと、関係が遠いより安くなるんです。だから、その影響もあるせいか、関係が近いイトコ同士が多いんですよね。つまりは、関係が近い程、マハルも安くなるし、血というものを重んじるので親族間の結婚が多いんだろうと思います。 でも、これがイスラームの影響はなきにしもあらずだけれど、直接の影響は及ぼしていないと思います。マレー人はムスリムでも土着の習慣なんかがあると思うから詳しくは知りません。知っている方は教えてくださいね〜!・・・・とこんなことを書いていたら、きよさんからこんなメールをいただきました〜。
『アラブ諸国は一般的に血縁結婚が多いでしょう。アメリカでも日本でも近親結婚は法律で禁じられてるけど、アラブは好んで血族で結婚するでしょう。これってオカシイと思いません??「血が近いと絶対、奇形児が産まれる!」っていう疑問です。これについてはいろんな人に聞いたんです。でも、殆どの人は私の意見を否定してました。その中で何人かのアラビックが話してくれたところによると、
1、(もし私が男の場合)自分のお父さんの弟の娘とは結婚しないほうが良い。つまり、お父さんと叔父さんという同性の兄弟を親に持つ子供同士は結婚しないほうが良い。お父さんのお姉さん(妹)ならばOK。(お母さん同士の姉妹の場合も何故かOK)
2、縁談が決まったら、とりあえず病院に検査に行く。
らしいです。これも全員がそうしてるわけではないんでしょうけど。 だって純子さん、そっちの「アル・ジョミーラ(=ジャミーラ)」って雑誌、見たことあります?? 日本でいえば、さしずめMOREとかWITHみたいな感じの雑誌なんですけど、それの巻末に毎号、5〜6ページにわたる投稿写真のコーナーがあって、読者の女性が自分の子供の写真を送ってくるのを掲載してるんですよ。明らかに、見た目からして「ちょっと、ヤバいんじゃないか!?」っていうような顔した子供の写真が必ず1枚や2枚はあるんですから!多かれ少なかれ、血が近いことでの問題はあると思うんですよね、実際。』とのことですが、「アル・ジョミーラ」って雑誌は知りませんが、そ〜いえば、私もサウジに行ったとき、これが疑問だったので聞いてみたことがあります。サウジには、障害者用の立派な病院とか施設が結構あるんですよね。これってなぜかというと、やはり血族結婚のせいか障害児が多くて、その為にサウジアラビアではそういう病院や施設が多いとの話でした。アフターケアーもしっかりしているんですね。話はずれますが、サウジでは、眼科のみの大きな病院もあるんですよね。これって、サウジは砂漠の国だから、砂嵐とかで昔から目をやられる人が多かったからなんだって。病院の種類もサウジアラビアらしさをだしているんだなぁって思いました。それにしてもどうしてお父さんの方の兄弟とは結婚しない方がいいんでしょ〜ね??



8月23日

お休みの日にサナアの北にあるトゥーラ、アムラン、コヘランに行ってきました。アムランの旧市街はサナアとはまた一味違った家の造りなんですよね。一階の部分が石造りで2階からは干乾し煉瓦という造りになっていました。それに石には古代文字がちらほら。ハッジャまで行く予定でしたが、雨が沢山降ってきたのでその手前のコヘランで断念してしまいました。コヘランという小さい村のてっぺんには、昔のお城が残っていて、そこには、おじいさんがいて、そのお城を案内してくれます。昔の井戸や貯水地、台所やトイレ、手錠や首にかける首輪みたいのもそのまま残されていて(これは人間に使ったものなのか??それとも動物??)何だか、昔にタイムスリップしてしまったような気分でした。それに雨が沢山降ったので霧がでていたのは残念でしたが、その霧の合間から覗く段々畑は絶景でした。

清茂さんから『チョット感動した事あったんで、メール出しました。テレビ番組で洋楽のアーティストの生い立ちとかを話して、そのひとの代表的な歌を英語で詠んで、それからあるテーマについて話し合う。そんなのあるんです。で、今回がテーマが出会い。アーティストがMike Oldfield 知ってますか?話はと言うとデビューのきっかけ。彼が自分で歌を作りいろんなところに持っていったのが、最終的に、とあるレコードやのオーナー。彼の歌が気に入り、そのオーナーがレコード会社を作りレコードを出し、大ヒット。それがあのヴァージンレコードの社長何だって。 そこで司会者の言った言葉が凄くよかったんだ。人間、どんなに多くて2万人ぐらいの人と出会うらしい。でも、それってただなんとなく会ってる訳じゃなく、全ての出会いに何らかの意味があるんじゃないかって ... それに生きていていろんな人と出会っているって言うより、人と出会うために生きてるんじゃないかって ... 』というメールをいただきました。私もいろんな人と出会っているけれど、それら全てに意味があるって言う感覚は確かにありますね。特にまりーじゅんこ2、ロミオとの出会いなんかは、本当に神様がめぐりあわせてくれたのかな??って思っています。メールだけのやり取りで会ったことがない人もいるけれど、それも一つの出会いだと思っているし、メールを最初にやりとりして実際に会って見たらやっぱり想像していた通りの人のことが多かった。だから、たとえメールだけでも私はその人達との出会いを大事にしていきたいです。きっと、それにも意味があるんだろうなぁって。

さて、今日は、「はちゃめちゃな卒業式」と題してお送りしたいと思いま〜す。
サナア大学の卒業式に出席できることなって、一体、どういう感じなんだろ??って興味津々で行って見ました。サナア大学は学部ごとに卒業式を行うのですが、学生達は男性はスーツの上に、女性はアバヤの上にアメリカの卒業式のよ〜な上着(緑色でイエメンの国旗である赤、白、黒の布を肩からかけている)を着ています。そして、頭には黒い四角い帽子を被っているんですが、女性はもちろんヒジャーブの上にこの帽子を被っているので何だか面白かった。
10時から式が始まる予定らしく、席は左側が男性、右側が女性とくっきりと分かれていて、私は後ろから2列目に座っていたので男女の区別がうかがうことができて楽しかった。10時30分になっても会場は一向に静かにならず、みんな『ヒュ〜!』とか叫び、異常な盛り上がりを見せている。日本の大学の卒業式なら一旦、始まったらシーンとなるもんだと思うけど、イエメンでは、全く、人の話をきいちゃいなくて、司会者の『静かにしてくださ〜〜い!!』という声がむなしく響いていた。
イエメンでは部族の力が強くて政府との闘争を行っているが政府の言うことなんか聞き入れないぜってな部族民の気質につながっているような気がした。
卒業式の順序としては、司会者の男女2人でこれから式を始めま〜す宣言がなされた後、一人の男性が歌をうたいだしたと思ったら、コーランの朗唱でした。何か式を始める際には、必ず、このコーランの朗唱が行われます。それから、卒業生全員が壇上に上がり、家族が写真やらビデオを撮りまくっていた。今度は教授陣が壇上に上がり、首から花の首飾りをかけてもらって紹介され、ずらっと並んだ教授陣の前を卒業生が一人ずつ呼ばれて握手を交わし、卒業証書を貰っていく。名前順に呼ばれるのだが、「ムハンマド」が15人ぐらいいたのには、笑えました。(学生数は80人程度なのに) 証書を貰った学生は、家族と共に勝手に帰っていく。式が終了するまでだまって席について待っているということはないらしい。始めから終わりまで全くイエメンらしい卒業式だったが、こ〜ゆ〜のもいいかもしれないね、面白くて。



8月19日

日本にお帰りのゆたかさんから、『お忙しい所、時間を割いてくださいまして、ありがとうございました。私は日本に帰ってきました。いやー、楽しかった。イエメンはホントにすばらしいですね。「もうひとつのアラビア」という本があるとおり、アラブ諸国の中でもイエメンはかなり特徴のある国ですね。人が、愛想がよくて人懐こくて親切なのが、すばらしいですね。 ホントにホントにすばらしい旅でした。私は、最終日は1日中、サナアの旧市街のスークにいました。サナアのオールドスークでアラビア文字の数字の腕時計も買いました。』との帰ってきたメールをいただきました!お帰りなさいませ〜!おぉ、アラビア文字の数字の時計も買ったんですね!りょーこさんにも無理やり?買わせたし、ぞくぞくとアラビア文字の数字の時計の輪が広まってますね〜!ひそかにコレを流行らせようと目論んでいるアラビア純子としてはと〜っても嬉しいっす。ゆたかさんも相当楽しかったみたいで、私も嬉しいなぁ。さて、その「もうひとつのアラビア」の作者の佐藤寛さんに、先日ちょっとだけお会いしました〜。まりーも会ったことがあるんだよね!去年の夏に。思えば、まりーと会って以来というもの、何だか導かれていたよ〜にイエメンに住むことになってしまって、不思議な気分です。寛さんには、ずうずうしくも自宅まで車で送って貰いました、ありがとうございました〜。

この前、マウリドと呼ばれる、赤ちゃんが生まれて一ヵ月後に行われる「赤ちゃん生まれておめでと〜!」と出産した女性を祝う、女性だけのパーティーに参加しました。30人ぐらいの女性だけの部屋でそのパーティーは行われるのですが、そこでビックリしたのは、女性は大抵、カートを噛んでいて、マダァと呼ばれるシィーシャ(水タバコ)のでかいやつを回し飲みしているんです!去年イエメンに来たときは、女性だけの集まりには参加できなかったので知らなかったんだけど。イエメンでは、スークやマフラージでおおっぴらにカートを噛んでいるのは男性と子供ばかりなので、女性もやるらしいってことは聞いていたけど、こんなに多くの女性がやっているとは知らなかったわ〜。肝心のお祝いされる女性のワファーは、部屋の上座?に当たるところに座って、ワファーのお母さんが何度も赤ちゃんを連れてきてその度にみんなのみている前でミルクを飲ませます。その間には、一人の女性がマイクでず〜ってコーランの独唱を唄い続けています。始まりは例のごとく、コーランの独唱とともに、みんなで立って、トルルルルルゥ〜〜というアラブの掛け声で始まり、その後にしばらく談笑してから、またまたコーランの独唱が続いて、なんて言っているのか判らなかったけど、みんなで掛け声みたいのをかけるんですが、まるで、日本の応援歌みたいな雰囲気でした。最後のお開きはROSE WATERなるものをマラシュという先が尖っていて底が丸い金属の入れ物から一人一人に振りかけてくれます。これはイエメンの伝統的な習慣だそうな。雑貨店に行くとこのROSE WATERなるものがボトルに入って売られていて、これって何につかうのかしらん??って不思議だったけど、こういう場で使われるモノなのね〜。
部屋にいる女性は全員が結婚している女性ばかり。おばあさんからとっても若い女の子もいる。おばあさんは抜かして、みんなものすごい化粧をしていて、普段着のよ〜な格好の人もいれば、日本の結婚式以上にすごいシースルーみたいな素材のフリフリのドレスを着ている人もいて、何だかそのアンバランスさが面白い。普通に金曜日なんかに女性だけで集まるときも、ものすご〜いドレスを着てくる人もいて不思議です。まるで競っているみたいに。普段はアバヤに隠されてますが、ホントにアバヤを脱ぐとすごいんですよね〜!ちゃあさんも言っていたけど、アバヤを脱ぐとものすご〜く太っている人から目をみはるよ〜なスタイルがいい女性まで様々で、見ているだけでも楽しい。でも、こういうものすごいのは結婚している女性に多いのです。結婚していない女の子は、隣の部屋を陣取っていることが多いんですよね。こ〜ゆ〜集まりの場合は。ど〜してかっていうと、それが「イエメンでのしきたり」なのです。結婚していない女の子に対する「しきたり」っていろいろあって、このよ〜に、結婚している女性と部屋と同じくするのは普通はしないみたい。それに、アラブでは親戚から結婚相手を選ぶことが多いので、結婚前の女性が他の親戚の人目につくところにいてヘマをやらかしたりしたら、「あの子ってこ〜ゆ〜こともロクにできない」とか値踏みされてしまうことを防ぐ意味合いもあるみたいです。
イエメンでの結婚前の女の子のアイブ(恥ずかしいとされてること)No.3は、
1、化粧
2、カート
3、マダァ(水タバコ)なんですが、これが結婚するとこうも変わるのかと思うぐらい、結婚している女性は、これらの3つはバリバリやっているんで、それが何といっても驚きでした〜。だから、結婚年齢が低いのかなぁ〜とも思いました。こんなに結婚する前にしきたりがいっぱいあるから、女の子の方も早く結婚してしまった方がいいのかなって思っているのかもしれないですね。



8月15日

みーとさんから、今日届いた、『アラビーナ』のテープを聞きながら踊りまくっているアラビア純子で〜す!この『アラビーナ』実は、去年の夏にドバイに行ったときに、店のおやじに『一番流行っているのをくださ〜い!』って購入してきて、みーとさんにもコピーしてあげたんだけど、これが、今、日本でも売られているとつい最近、みーとさんに教えて貰らいました。しかもスペインバージョンのやつ。私がもっているのは、アラブ諸国で売られているやつでちょっと違ったバージョンです。日本で売っているのの歌詞のコピーとテープを送ってくれたのを今、聞いているのですが、微妙に違うのが面白いわぁ〜。日本で売っているのは、『Alabina / Featuring Ishtar & Los Ninos de Sara 』です。アラビックがまじったラテンのノリがと〜ってもいいから是非、聞いてみてね〜!さて、そのみーとさんですが、とうとうHPを開設しました〜!おめでとうございま〜す!見てみたいぜ〜〜ってな方は、リンクのページからど〜ぞ!

じゅんこ2から、『結婚式のお話、すごく良かったわ。 昔、「世界の結婚式」って番組がありましたが、実際自分がよその国の結婚式を体験すると、いろいろな形の愛があるんだわ〜と改めて考えさせられます。トフィック氏が花嫁の顔をみたこともないのに、はしゃいでいる姿はういういしい。素直な心って大切だね〜。でも、私たち日本人からみるとかなり単純すぎるような気がするけどさ。(笑)今の日本人、男も女も、結婚をトフィック氏のように考えられる人はいないだろうけど、 花嫁さんがいい人だといいなぁと願わずにはいられません。』とのことで、ホントにそうですねぇ〜。トフィックはいい子なので幸せになって欲しいです。単純すぎるのがタマに傷だが・・。

さてさて、この前、書いた結婚式のお話の続きです。花嫁さんのヒジャーブを取った後、出身の村の習慣によっても異なるんですが、一般には、花婿さんが自分のかかとを花嫁さんのかかとの上に乗せて「君は、僕の妻になった」と言い、その後に二人は初夜を迎えるのだそうです。初夜には、2人は必ずしなくてはならないということではない(何を〜?)らしいけど、その方が望ましいんだって。イエメンでは、花嫁さんは15歳から18歳のことが多いので、初夜には、恐怖におののいている場合も多くて事を達せないこともあるけれど、力ずくってのはイケナイことなので、必ずしも初夜に済ませなければならないってこともないみたいです。
以前、本で『初夜の翌朝に花嫁さんの母親が血に染まったシーツを親戚一同に見せる儀式がある』って読んだことがあったけれど、イエメンでもやはりその儀式は行われているそう。これは友達に真相を確かめてみました。友達は、イエメンでも高学歴の人なんだけど、やっぱりこの儀式を行ったんですって。彼いわく、『その儀式は今でもイエメンでは行われているんだよ。ボクはそういうことは気にしないけれど、もし、その儀式を無視してしまったら、大変なことになるんだ。周りの親戚がうるさく見せろと言って、もし、見せなければ、花嫁さんの尊厳にもかかわるんだよ』と言っていた。
どういうことかと言うと、もし、その儀式を怠れば、「あの花嫁さんは、処女じゃなかった。だから、きっと、正直者じゃないだろう。結婚後もトラブルをおこしかねない、離婚すべきだ」って発想になるらしい。だからこそ、花嫁さんのことを尊重してあげるために彼もその儀式を承認したのだろう。
医学的には、血がでない人も結構いるわけだから、この発想にはちょっと賛成しかねないけれど、アラビア語には、結婚にまつわる言葉の中で、夫、妻、独身、未亡人、・・と言った単語は存在するけれど、『同棲』って単語は存在しない。これは、ハラーム(禁止されていること)だからなのです。つまり、同棲なんていう結婚もしないで一緒に男女が住むってことは、イスラームでは一般には考えられないことなのです。イスラム圏でも結婚前の男女のおつきあいがハラームという意識がなくなってきている国もあるけれど、少なくてもイエメンでは、ハラームなのです。イスラームでは、性行為は不浄なものって考えでは決してなくて、むしろ、神聖で犯さざるべきものって考えなので、こういう発想になるのも無理はないのかもしれないですね。ここで私が言いたいのは、こういう事を今でも行っているなんて、やっぱりアラブ人って変な人種って思う人もいるかもしれない。実際、私もこの話を聞いたときは、げげげって思ったけれど、私が敢えてこのことを書いたのは、これが文化、価値観の違いであり、アラブ人にはイスラームに基づいたアラブ人の文化があるので、私は、これを真っ向から否定するようなことはしたくないと思うのです。変だなぁって思っても、違うのが当然で、それはそれで受け入れていきたいって思っています。あなたはどう思いましたか??


前のがみたいよ〜ってな方は こっち