灼熱地獄ドバイ


灼熱地獄のドバイに97年7月に行ってきました。
アラブに行ったのは今回で2度目です。
初めてサウジアラビアというイスラーム世界に足を踏み入れたときよりもかなり、イスラムについてお勉強してから臨みました。
さぁ、あなたも不思議な不思議なアラブワールドを覗いてみましょう!!



1、成田エクスプレス

旅の前は忙しくて旅のことについてゆっくりと考える時間が持てなかった。成田に向かう成田エクスプレスに乗ってゆっくりとガイドブックでもみようとリュックの中にしっかりとガイドブックを忍ばせて、乗り込んだ。最初、間違えてずうずしくもグリーン車の列に並んでしまった。するとまっ黄色のTシャツに黒人ヘアーの,夜なのにサングラス男が私の前に立ちはだかった。何なのこの人?といぶかしげに様子を窺いながら見ていると・・・
そうだ!あのTRF のメンバーの一人だった。道理で夜なのに怪しげなサングラスをかけていたわけだ。
TRFは女連れ!でグリーン車に乗り込んでいった。TRFは芸能人に疎い私でも知っている。(特に私の友達に似ているので顔を覚えていた)芸能人は車がお好きーと思いこんでいたので、芸能人でも成田エクスプレスを使うんだーと妙に感心した。そんなこと考えている場合じゃなく、電車が到着したので自分の席を探すと、4人掛けの席で、親子3人の中に一人で座る羽目になってしまった。親子3人はお弁当を開いて食べている最中だった。日本人特有の気詰まりな雰囲気を感じながら座っていたが思い切って話しかけてみた。
小学生6年生ぐらいの男の子に、
「隣のグリーン車にTRF が乗ってたよ」
「えー、ほんと?」
そんなお話をしているうちにこれからどこまで行くのか、そんな話になっていった。
「ドバイに行くんです。」
「え?ドバイってどこ?」・・・必ずといっていいほど聞かれる質問である。
「何しに行くんですか?」・・・何って言われても返答に困るよぉ。
「何が見れるんですか?」・・・だからー砂漠とか・・と適当に答えていると
「仕事は何やってるんですか?OLには見えないよな。」
「何だと思いますか?」
「バレーの選手?」
「は?」「あ、いや大林素子に似てるから、背も高いし。」
「んじゃあ、衛生士」
「かなり近いけど、どうしてそういう方面だって分かるんですか?」
「爪のばしてないから」(ううむ、なかなか観察力があるなぁ、侮れない)
「ちかいですねぇ」
「あ、じゃあ看護婦さんでしょ。」
「少し遠のいた」
「まさか・・・ドクター?」(実際この・・・にはかなりの間があった。)
「いやぁ、まさかってそんなにそう見えませんかねぇ?」
此の後知り合った日本人には必ずと言っていいほど、歯医者には見えんと言われ続け、さすがにすこしおとなしくしていようと思ったのは帰りの飛行機の中であった。(too late)

イスラムの国アラビアは日本人にはまだまだ知られていないと再認識したが、ドバイはいまやヨーロッパの国々からバカンスを求めてやってくるリゾート地である。
今回この時期にドバイへ行くのを決めたのには理由が3つある。
1、一番暑い時期のアラブを体験したい
2、アラビア語をせっかく習ってるのだから使ってみたい
3、イエメンやオマーンに行きたかったがドバイへの安いツアーを見つけた
アラビア語を使えるところならどこでも良かったが、一番の問題はお金で、なるべく安く行きたかったので、仕方なくドバイになってしまった。それに行く前に旅行社の人に「アラビア語を勉強したので使ってみたいんです」と言ったら、
「ドバイではアラビア語なんて使う必要性ありませんよー。(ばかだな〜こいつ)むしろ、英語ができた方がなにかと便利でいいですよ」なんて言われちゃったもんだから、ますます、行く前はいじけちゃった。でも、正直言ってアラビア語やってて良かった〜、ってこのたびを終えて凄く実感した。去年は一年を通して一番気候の良い時期にサウジアラビアに行ったので、今回はめちゃくちゃ暑いアラブを体験しないことにはアラブを語れないと思った。
灼熱地獄の中に身を置いてみたかったのである。



2、竹馬の友(じゅんちゃん&くにちゃん)

成田で初めて会うツアーメイトと対面した。その名はくにちゃんである。
くにちゃんとは、とある旅行雑誌のツアーメイト募集で知り合った。
そもそもアラブに同行してくれる物好きは私の周りには一人も存在しなかったので、くにちゃんは、そんな私につきあってくれるという大切な人だった。だから初めて会ったのに、最初から何かしら通じるモノがあって、端っから竹馬の友状態。
それなのにくにちゃんには、行く前に電話やら手紙やらでさんざん話をしておきながら、ぶっとぶくらいのドバイの暑さを教えなかった。(実際私も体験していないのだから言いようがない・・などと自分を無理に納得させた)
そんなに暑いなんて知ったらきっと、私行きたくないーって言われるのが目に見えていたからだ。
そんなずるをしてしまったことはいまだ彼女は知らない。(ホントにごめんね)はっきり言ってハメてしまった訳だが、くにちゃんも相当楽しかったらしく、(ちなみに彼女は私よりもずーっと世界各地を廻って旅をしている旅の上級者だ)彼女は今年の冬に北極圏へ行ってマイナス35度を体験したのでこれでドバイにくれば、一年の内に温度差80度を体験できてさぞかし良かったことだろう(私の勝手な思いこみ?)と思っている。



3、トランジットルームで気分は盛り上がりまくり

タイ国際航空で6時間半後、バンコクに到着。ここで約3時間のトランジット待ちだ。トランジットルームに一歩足を踏み入れて、再びアラブの血が騒いだ。久しぶりに目に飛び込んできたのは、髭づらの集団&アバヤの黒装束の集団ばかり。白装束は脱ぎ捨てて休暇でどこかで遊んできたのか2〜3人しか見えない。もちろん女2人連れは私たち二人だけ。そんな、まさにアラブ人オンリーに囲まれて圧倒され、初めこそ小さくなっていたが、そのうち慣れてきて周りの観察をする余裕もでてきた。アバヤの女の人は、ちらっと見えたアバヤの下は物凄くセクシーなモノトーンのスーツを着ている。おまけに顔は女優顔負けの凄い美人だ。
歳もどうみても20前後。
そんな若くてきれいなのに彼女は幼い子どもの手を引いていた。
あの、ちらっとアバヤの下が見え隠れするのが男性の欲情をそそるのであろう。アラブの男の気持ちが手に取るように分かるような気分だった。それに比べて日本の女の子はテレクラだの援助交際だのとエッチっぽさを全面にだしているせいかちっともエッチっぽさを感じないのではないだろうか?と思うのは私だけだろうか?

大勢のアラブ人の観察をしているうちに時間は瞬く間に過ぎていった。
いよいよドバイへ向けて飛行機が旅立つ時間になった。
この時をどんなに待ち望んだことだろう。
去年はサウジに行ってしまったので、そのおかげで君には夏休みなし!とされてしまった。そのため、一週間程度の休みもろくにとれなかった状態だった。
だから、今回の旅はかなり気合いを入れていた。(その割に準備は全然だったけど)否応なしにも気分は盛り上がってアラブ人とともに、じゅんちゅん&くにちゃんは一路ドバイへ・・・



4、64歳のイラン人マスター

やっとドバイに着いた感激もさることながら、両替をしなくては現地通貨が一円?もないことに気が付き、さっそく両替をしに街のなかへ探索に出かけた。歩いてすぐに、まるで巨大迷路のようなスークやらなにやらがごちゃ混ぜになっている場所にでてしまい、右も左も分からない。
しばらく歩くと、道路沿いに長椅子のようなものに座っているおじいさんと目があったので道を聞いてみた。するとおじいさんはまるで英語がわからないのにもかかわらずに、隣にいたおじさんも巻き込んでお話を始めた。

「ドッカラキタ?」
「わたし、にほんじん。あらびあご、すこし、しゃべれるね。」
「オォ、ニホンジン!!、マァ、オチャデモ ノンデイッテ」
「えー、でもわたしたち、おかねないね。」
「ソンナノ、キニスンナッテー」
「ありがと、でもほんとにおかねないんだよ。いいのかなぁ。」
「イイカラ、イイカラ」
・・と言う訳で、いきなりそこのシャーイ屋でお茶することになってしまった。おじいさんは64歳、アラブでは高齢の部類に当たる。65歳以上が人口の1%しかいないからだ。
そんな優しいおじいさんを慕ってか、店にはいろんなひとが入れ替わり立ち替わりやってくる。みんな出稼ぎ労働者風の格好をしていて私たちが店内にいるのを見るとなかなか入ってこない、今時珍しい、純情屋さんが多かった。
そんなこんなで聞いてみると、そこにやってくる人々は、皆イラン人だった。要するにそこはイラン人の憩いの場だったのだ。

もし、初めてアラブに来ているなら、こういう店に入るのはためらわれたであろう。店自体の敷地は畳2畳ほどしかなく、あちこちでシィーシャ(水たばこ)やガドゥ(ひょうたん型の壷に棒を差し込んで煙を吸う)をやっていて、一見危なそうな雰囲気が漂っていたからである。しかし、アラブ人のホスピタリティーを良く知っている私は、彼らが本心で優しくしてくれていると感じとっていたので、物怖じせずにシィーシャにもガドゥにも挑戦できた。まえまえから、一回やってみたかったのでドバイに来ていきなり挑戦できて嬉しかった。どちらもふつう日本で匂ってくるタバコの煙とはちょっと違った、気怠い雰囲気のお店にぴったりの匂いの気怠いような甘さが鼻に残るような煙だった。おじいさんは初めに冷たいペプシ、その次に暖かいお茶を出してくれた。そのさりげない気遣い且つ気を使った飲み物のすすめかたに唖然とした。
シャーイは小さなガラスのコップに入れてくれた、それだけでもかなり甘いのだがその上、お砂糖の固まりも勧められたが甘すぎて返って喉が乾くからといって断ってしまった。
こういうシャーイのお店は飲み屋などは余りないイスラム圏では唯一の心の拠り所なんだろう。
ここでシィーシャを吸って、きょうはさーこんなことあったんだぜって、女の子のお喋りみたいに話に花を咲かせるのが、娯楽が余りないアラブの日常なんだろうなぁ・・と思った。実際、居心地がいいのでずいぶんと長くそこでお喋りをしていたのであった。

その3日後、おじいさんにこの前ごちそうになったお礼を言うために、再びおじいさんを訪れようとした。しかし道に迷った挙げ句に出くわしたので、全く道をおぼえていない。おまけに同じ様な店ばかりが連なっている地域だった。おじいさんに名刺をもらっていたので、住所をみようとしたが、ドバイは全てP.O.BOX扱いなので住所も当てにならなかった。道行く何人かにおじいさんのシャーイ屋の名前を挙げて尋ねてみたが、皆首を横に振るばかり。暑さでばてそうになりながらも、なおも歩き回ると突然見覚えのある通りにでた。あぁ、そうそう、ここだよ〜っと思い出しながら道路の角を曲がると、いきなりおじいさんのシャーイ屋に出ることができた!
おじいさんはやっぱり長椅子に座って、シィーシャをやっていた。
おじいさんに駆け寄ると、おじいさんは感激して涙を流していた(ように思う)またまた物珍しさで?イラン人がいっぱい集まってきて、私の覚えたアザーン(お祈り)の大合唱が始まった。おじいさんはまたコーラやらいろいろとごちそうしてくれた。この前もおごってもらったから、悪いよーと言ってお金を払おうとすると決して受け取ってはくれなかった。だから、ラッキーコインと称して日本の5円玉と、日本からお土産用に持ってきておいたテレホンカードをあげたらまた涙して喜んでいた(これはホント)。
おじいさんにいつまでも長生きして欲しいなぁ。



5、カンドゥーラを着た変な日本人

それにしても、暑い、熱い。むしむしするし、地面から熱が湧き出てくるような暑さだ。おまけにサングラスが外にでると曇るぐらいに蒸している。
茹でたこ状態になりながら、歩いていると、すぐに喉が乾いて、ペットボトルは私たちの命綱だ。

なんでも気温は、日中45度、夜間も35〜8度、湿度80%以上なのだそうだ。・・・聞くんじゃなかった。まるでサウナにいるみたい。
でも相棒には決して「暑いねぇー」とは言えない私だった。

Tシャツにジーンズに変な帽子に サングラスという、いでたちの私たちは、あまりの暑さにもう、「地元民が着ているのと同じ格好をするのが一番涼しいんじゃない?」っていう私の提案で地元民御用達?のお店に行き、カンドゥーラという、健康ランドで着させられるような、ばほぉっとしただぶだぶの服を買って、着ることにした。
カンドゥーラは足首までの長さのワンピースみたいな服で、袖も七分丈なので、 アラブにおける、女性は体の線を露にしてはいけないとう掟を守っている。 そのうえにスカーフを巻けば完璧な防護策である。
(アラブ男性からの誘惑&ぶっとぶくらいの暑さからの防護の2重の利点があった)
よく見てみると地元の女の人は、そのカンドゥーラの上にアバヤを着て、シェーラという黒いスカーフを頭に巻いている。私達は、今回アバヤは持ってきていなかったが、なにかの時のために、シェーラは持参していたので、そのカンドゥーラを着て、シェーラを頭に真智子巻きにして、サングラスをかけて、首にタオルをまいて・・・という恐ろしく変な格好で歩き回っていた。
おそらく、地元民の目から見て、私たちは、「ゆかたにベルトの変なアメリカ人」状態だっただろう。イスラムでは女の人をじいっとみることは失礼とされているので大半の人々は私たちの変な格好を見て見ぬ振りをしてくれたのだが、一人だけ、スークの中の道ばたの椅子に座って休んでいると、すれ違ってから振り向いて見て、さらに立ち止まり、見続けて、さらにこっちを向いてえんえんと見続けた人がいた。
きっと、彼の今日のお話の話題に私たちがのぼるであろう。
「今日さー、変な外人見たんだぜー」という風に。
しかし、そのカンドゥーラが一番涼しかったのは言うまでもない。

その上、あるレストランで食事して出てきたとき、なんと地元民に道を尋ねられた。私たちが道なんて分かるわけないのに。旅に出たら「郷に入れば郷に従え」がモットーの私は、郷に入りすぎだったようだ。



6、ドバイという街1

ドバイは、7つの首長国が集まって作られた、アラブ首長国連邦のうちの一つの首長国である。
首都のアブダビが商業都市なら、ドバイはいち早く観光に力を注いできた国である。今回ドバイ行きに決定したにも関わらず、私はもっとのんびりした古き良きアラビアを彷彿させるようなところにすればよかったかな・・とずーっと考えていた。今日、週刊誌の見出しに「買い物天国、ドバイ。香港の次はここだ!」というフレーズを見て非常にがっかりした。言っておくが、私は買い物をしにアラブくんだりまで行って来たのではない。買い物が目的なら、シンガポールでもハワイでももっと近場で買い物しやすい国があるではないか。
純粋にアラブが好きだから、本当にもう一度行きたかったから行って来ただけである。

ドバイには地元の人はほとんど住んでいないと言われている。
多くは他国からの出稼ぎ労働者だ。
私たちが出会った人々は、もちろん、UAE、サウジアラビア、インド、パキスタン、バングラデシュ、パレスチナ、シリア、フィリピン、中国、アメリカ、ドイツ、スェーデン、イギリス、マルタ島・・などの国の人たちで、まさに人種のるつぼだった。
そんな訳でかなりの活気が街全体にあふれている。
死んだように静かで、コーランだけが鳴り響くサウジアラビアとはえらい違いだ。人々のしゃべるそれぞれ異なる言語が入り乱れ、コーランがモスクから聞こえてきたり、クラクションが鳴り響き、スークやなんでこんなもの売っているの?と思うようなお店が所狭しと並んでいて、車や自転車が行き交い・・・熱気にあふれるドバイの街の喧噪の中に身を置いているといいようのない活気が私を満たしていった。まるでアラビアの魔法にかかったように、浮かされて、ドバイの町中を暑さも忘れて歩き回った。
去年は、イスラム教の最高峰、敬けんな信者の多いサウジアラビアに行ってイスラム教のノウハウを学んだので、今回は、リゾート地とイスラムというものがどのように相成って共存しているかを見ることを最大のテーマとした。サウジでは敬けんな信者ばかり(主におじさんやおばさん)を見てきたがあるおじさんムスリムの一言「税金なんか払ってもいいから、自由がほしい」が今でも耳に残っている。
だから、若いムスリムがどのようにしてイスラムを受けとめているかに興味があったのだ。



7、ドバイという街2

砂漠サファリのツアーに参加した。
やっぱり、アラブに来て、砂漠を見ないで帰ったら、何とかをいれないコーヒーになってしまい、なにか物足りなくなってしまうだろう。

ツアーガイドはパレスチナ国籍のいまどき(イマッド)君。
砂漠を4WD で駆け抜けるのもジェットコースターみたいで凄く楽しかったが、私の一番の収穫は、彼との会話にあったのだった。

もう一人の飛び入り日本人の女の子、まりー(彼女はイエメンを一人旅してきた後にこのツアーに参加した)も参加して総勢4人が4WDハに乗り込んだ。

はじめはお互いの自己紹介で忙しく、日本語でべらべらとしゃべりまくっていたので、いまどき君を無視していたような状態で、いまどき君はかなりご機嫌ななめだった。そうこうしているうちにいつのまにか砂漠の入り口に入る。舗装されていた道路が途中でとぎれ、突然、一面が砂の世界の砂漠が、目の前に開けた。砂漠に入ったとたん私たちは、切れたように興奮し、子どものようにはしゃいだ。それもこれも、実はおちゃめないまどき君の運転が上手かつ大胆なものだったから。
いまどき君はわざと砂にはまった振りまでしてくれた。
次第に車内は盛り上がりを見せ、いまどき君とも会話を交わすようになった。彼が言うにはいままで乗せた日本人はみんな日本語ばかりでしゃべって、英語は全然しゃべらないのでさっぱりコミュニケーションが取れなくてつまんなかったと打ち明けた。だから、はじめ私たちが日本語でお話ししていたのが彼の気に障っていたのだろう。いまどき君とも十分お話をした後に、さっそく現代のムスリムの若者に聞いてみたかった質問をぶつけてみた。

「ここでは夜はみんな何して遊ぶの?」
「ディスコへ行ったり、バーみたいのもあるよ。」
「へぇー、じゃあ、ドバイではお酒が飲めるんだ。」
「うん、でも隣の(首長国の)シャルジャではいっさい酒関係は禁止なんだ、首長国によって法律が異なるのさ」
ムスリムなのに堂々とお酒を飲むことをしゃべる彼にあっけにとられた。だって、少しはそういうの隠すもんなのかな?って思っていたからだ。

「ディスコは女なら誰でも、ロシア人でさえ、ただなんだ」
「え?ロシア人でさえってどういうこと?」
「今、凄くロシア人の売春婦が多いんだ。だから、そういう売春婦でさえディスコに行くと ただで入れるんだよ。」
「売春婦を買うのはどこの国の人なの?」
「エミレーツはもちろん、ここに住んでいる全ての人々さ。」
「エー?みんなムスリムなのにそんなことしていいわけ〜?宗教に反しないのかな?」
「ここは、ドバイなんだ。売春、ディスコ、スーク、モスクなんかが全て一直線上にあるのさ。それがドバイなんだよ。」
そう言った、いまどき君の言葉がすごく印象的だった。
その言葉がドバイという街の全てを表現するのであろう。
いまどき君は過酷な人生を生きてきたであろうと想像されるがそんな感じはみじんも感じさせない意外と素直な人物であった。

「いまどき君は彼女いないの?」
「ここで彼女を見つけるのは至難の業なんだよ。」
「ふーん。」(そりゃそうだろうね)
「だから、ぼくはもう8年間も彼女がいないんだ。」
「へぇー、可哀想だね。」

いきなり右手を差しだして、
「これがぼくの彼女さ!」
「・・・・・???」
そのときは一瞬、それが下ネタとは、英語だったし、さりげなく、当たり前の様に言うので解らなかった。そのうち理解してかなり間を置いてから一同大爆笑。
いまどき君は図に乗って、「ぼくはムスリムだから、不浄なこと以外は全て右手を使うんだよ。」とぬかしていた。            
すると負けじと私たちは「そういうことっていうのは不浄のうちに入らないんだ。」と突っ込みを入れときました。やっぱり、ムスリムでも普通の男の人と変わらないんだなぁ・・と実感。



8、アラブ商人にゃ負けないぜ!

中日にドバイ市内観光なるものがセットになっていたので、それにも参加した。
お迎えの小さいバスがやってきた。
私たちは、もちろんあの異常に変なカンドゥーラ姿だ。
そうするとツアーガイドの様子が遠くから見ても変な物を見るような目つきなのが分かった。彼曰く、「ジャパニーズの二人組って聞いていたのに、どこ居るんだよ?」だんだん向こうから私たちが近づいていくと、
「もしかして、あの二人組かよー」
「げっ、やっぱりあいつらがジャパニーズだぜ!」
という会話をバスの運転手さんと交わしていたらしく、再現してくれた。
ドイツ人の家族、スェーデン人の夫婦、そして異常に変なジャパニーズの二人組の御一行様がバスに乗り込んでいざ出発。しかし、中日だったので、既に行動派の私たちは、ドバイの主な所は自分たちの足で回ってしまっていた。これから見に行く場所を聞いていちいち「あぁ、もうそこは行った、あそこも行った」などどしゃべっていたら、ガイドさんはむっとして「君たちは既になんでも知ってるね」と言って、主にドイツ語でしか解説してくれなかった。いぢわる〜。
あぁ、そうですかー、いいもんねーと私たちはいじけていた。ドバイの見所を回って、スパイススークに行き着いた。私は今回、みーとさんにスパイススークへ行ったら、必ず、サフランを買ってくるという固い約束をしていたので、サフランを求めてふらふらしていた。するとドイツ人の家族が、同じようにサフラン屋の前でたむろしているのに出くわした。
サフラン屋のおやじが
「一個○○ディルハムだ!」とドイツ人一家に高く売りつけようとしていたので、私が見かねて、横からオバタリアンよろしく、
「それは高いよ!(ほんとは相場を知らない)△△ディルハム!」っていきなり半値から交渉を始めた。すると、その値段にビックリしてか、私の態度にビックリしてか、ドイツ人一家は萎縮している。そんなのお構いなしに、
「△△ディルハムじゃなきゃ買わない!」といい続ける私に根負けして、アラブ商人は、ついに言い値の半分で売ってくれた。
その一部始終を見ていて、最後に私たちにウインクしてきたドイツ人のおばさんは、やればできると思ったのか、その後、その家族もかなりの安値で買ったようだった。めでたしめでたし。
しかし、最終日、わたしなんかより凄い黒人のおばさんを見かけた。端で見ていた私の方が悪いことしている気がするくらいの勢いだった。おばさんはパンを食べながら、サンダルを選んでいて、次々にサイズを持ってこさせて試していた。
ここまでは良いのだが、実際、値段の交渉になると
「さっき、あんた、○○っていったじゃないのさ!」おばさんが、口からパンを飛ばしながらわめく。
「それは片方の値段だ!」・・・片方??なんのこっちゃ?
「そんなこと言ってなかったじゃん、あたしゃ、もういらないから帰る!」
「(ちぇっ)ちょっと待ってよ」急に弱気になるアラブ商人。
「え?何だって?○○でいいのかい?」無理矢理値段を決めてしまった。
「しょーがないなー」ぽりぽり頭を掻くアラブ商人。
・・・と結局そのおばさんは自分の言い値でサンダルを買って帰りましたとさ。帰ると言われると急に弱気になるのがアラブ商人だ。

最後に恒例のゴールドスークに行ったのだが、バスの中に荷物は置いていって構わないとのことで、くにちゃんはビデオやらカメラやら重い物一式をバスの中に置いていった。しかし、ゴールドスークでもアラブ商人との駆け引きに必死になっていた私たちは集合時間に遅れるというへまをやらかしてしまった。
10分遅れて集合場所に行ってみると、既にツアーの面々の姿はどこにも見えなかった。「君たちは何でも知っているから、2人でも帰れるんだろうよ。」というガイドの言葉が脳裏をかすめる。しかたなく歩いてホテルまで帰ってきた。
ホテルに帰ってからビデオやらカメラをバスの中に忘れたことに気づいて大慌て。すぐにツアー会社に電話して、事情を説明した。
くにちゃんは、いろんな国を回っているので、こういう場合、でてこない確率の方が高かったのだろう。泣きそうになっていた。なんといってもビデオは借り物なのだ。するとなんと30分後にホテルまで届けてくれると言う。
「これがもし、他の国だったらきっとでてこなかったかもしれないね。」と感激していた。
そうです。アラブはイスラムの掟が厳しいから、アメリカやヨーロッパよりもむしろ治安がいい方なんだよ〜って私も嬉しくなってくにちゃんに説明した。



9、キューピーちゃん

ホテルのすぐ近くにシャウルマ(向こうではこれをサンドイッチと呼ぶ。
アラビアの代表的なパンである丸いホブズに、肉やら野菜やらを挟んで巻いた物)屋さんがあった。そこはいつも繁盛していておいしくて安いので、いつしか私たちのお気に入りのお店になって何度も足を運ぶようになった。お店の周りにも、メニューにもロシア語が書かれている。その店はロシア人のお客さんが多いようだった。いいかげん顔馴染みになった頃、そこの店の店長さんが話しかけてきた。彼はシリア人で22歳。アラブ人には珍しい童顔のキューピーちゃんだ。キューピーちゃんに、ビーチに行こうと思って居るんだと言うと、彼は目を輝かせて、
「僕、地元の人がよく行くビーチ知ってるから、そこへ一緒に行こうよ。」と提案してきた。
一瞬戸惑ったが、ここで断ったら、アラブ人全体を否定するような気がしたし、彼はかなり人が良さそうなので信頼して行くことにした。翌日の朝9時に店の前で待ち合わせた。
私たちは寝坊して、9時14分に待ち合わせ場所についてしまったが、彼の姿はどこにもない。朝からのあまりの暑さで、14分も待っていられなかったのだろうか・・・と考えていると向こうから走っているキューピーちゃんの姿が見えた。

ビーチにはタクシーで10分ほどで到着した。
ビーチは此の世の物とは思えないほどきれいなきれいなビーチだった。
真っ白の砂浜に遠浅の真っ青なアラビアン・ガルフ。
まるで絵はがきの中に入り込んだような錯覚を覚えてしまった。

キューピーちゃんの腕に真新しい引っかき傷を発見したので、聞いてみると、
「昨日、今日ビーチへ行くことを考えていたら眠れなくなって、2時半に寝たから今日朝起きたら、もう9時だったんだ。ガビーンと思って、とても急いだら、ドアに腕をこすちゃったんだ」
などと、お顔にあったかわいいことを言う。

キューピーちゃんはドバイにいわゆる出稼ぎに来ていて、2年半居るという。
お金を貯めて後3年たったら、シリアに戻って結婚するらしい。
キューピーちゃんにも聞きたかったことを聞く絶好のチャンスだ。

「やっぱり、結婚するのにシリアでもマハル(=莫大な婚約金、これを払わないと結婚できないと言われる。女性が離婚した際の補償金の役目もなす)を払うの?」
「うん、すごくいっぱい払わなきゃいけないんだ」
「じゃあ、大変だね。」
「あと3年はドバイで働いて頑張るんだ。」
「お給料はいいの?」
「月に3000ディルハム(日本円で約9万円)」
「結婚相手はやっぱりお見合みたいな紹介で探すの?」
「ううん、恋愛もあるし、紹介もあるよ」
「シリア人はシリア人同士で結婚するのが普通なの?」
「まぁ、そうだけど、僕がいいと思うのは、まず、シリアだろ。 それにレバノン、エジプト そしてヨルダンの女性かな。」
あーいいと思う国なんてのは聞いてないんだけど、まぁ、いっか。

「サウジやエミレーツの人はどう?」
「サウジはいいよ!」
「どこがいいの?」
「顔の作りから体までさ。」
「いつもアバヤを着ているのにどうしてわかるのよ?」
「お店に食べに着た女の子とか見ていれば分かるよ。サウジの子はすごくかわいい子が多いよ。」
「へぇー。」
アバヤを着ていてどうして体の線までわかるのかは聞かないで置いた。
「でもサウジとかの女の人は男の人の為だけに存在しているようなもんで、それじゃあ、可哀想だと思う   よ。その点、シリアでは女の人も働くし、サウジよりずっと男女平等なんだー。」
同じムスリムでもかなり考え方が異なると言うことを発見した。

「僕は今ロシア人の彼女がいるからロシア語がしゃべれるんだ」と聞いてもいないのに、キューピーちゃんは今度は彼女自慢を始めた。だから、ロシア語がはびこってたのね。

「ロシア人って言えばかなりドバイでは売春婦が多いって聞いたけど。」
「うん、多いよ。僕はロシア人とは友達だったらお金を払わないけど、友達じゃなかったらお金を払うよ。」
「・・・・」あのー、そこまで聞いてないんだってばー。
そこまで聞いていないけど、彼って正直者だ。うん、気に入ったよ。

「お祈りは毎日しているの?」
「いや、お酒を飲んだ日はお祈りはしちゃいけないって決めてるんだ。あっらーを冒涜する事になるからね。そこら辺の区別はちゃんとつけてるんだよ。」
(おいおい、どーゆう区別だよ?)

キューピーちゃんは、午後一時から勤務時間なので昼の12時頃に帰ってきた。そうじゃなくても、それ以上は暑すぎてビーチになんて居られなかったが。
彼は別れ際に「今日はすごく楽しい思い出を作れたよ。ありがとう。」とさわやかにお礼を言っていた。結婚するために親の力を借りずにせっせと結婚資金を貯めようとして一人異国の地で頑張っているキューピーちゃんの後ろ姿にエールを送りたい気分だった。
貴重なお話をありがとう、キューピーちゃん!



10、不思議な不思議なサウジ人

ビーチから帰ってきて、お腹がすいたのでキューピーちゃんのお店にシャウルマを食べにまた出かけた。くにちゃんがデーツ(なつめやし)をスークで買いたいと言い出したが、そのスークはここからはかなり遠い所にある。この近くのスークでデーツを手に入れられるか、キューピーちゃんに聞いてみたが彼はデーツを食べないらしく、知らないと言う。そこでキューピーちゃんは近くに座っていた、オバQさん(例の白いYシャツの長い服姿)に尋ねてくれた。
しかし、オバQさんは、サウジ人でエミレーツの人じゃなかった。
それがきっかけで、そのサウジ人とお話しすることになってしまった。その人はサウジ(なんと、かの有名なメッカ在住)の中学生のアラビア語の先生だった。英語は殆どしゃべれず、主にアラビア語オンリー。
仕方がないのでアラビア語を書いてみたり、言葉を教えてもらったり・・
彼はお姉さんと一緒にヴァケーションにドバイに来ていて、これからエジプトにも行くと言っていた。

お姉さんと一緒というのがみそで、サウジでは女の人は親類の男性同伴でなければ、旅行できないのである。いい年した男の人が、お姉さんと一緒に旅行に行くということは日本人の目から見ればかなり、変な出来事であるがサウジでは普通のことだ。くにちゃんはイスラムについて全然知らないので目を丸くしていた。

彼は偶然にも同じホテルの隣の部屋だった。
少しお話してから、私たち今日、日本に帰るの、じゃあねと言って別れて部屋に戻った。
しばらくすると、ドアをノックする音がした。
うわっ、例のサウジ人だった。
お姉さんに会わせたいと言っているので、それなら・・とサウジ人の部屋を訪れた。お姉さんはかなりの小柄で、とても優しい感じのする女性だった。英語がほんの少ししかしゃべれないのと言っていた。
私は、日本人で、日本で歯医者をしています。名前は純子です。・・などど本場のサウジ女性にちょっと緊張しながら自己紹介をした。(ドバイでは殆どアラブ女性と話す機会を持てなかったから更に超緊張)
それにイスラムを冒涜しかねないような変なカンドゥーラ姿をしていたことにもその時気づいた。(やばい〜)
すると彼女はいきなり歯を見て欲しいと言い出した。そして口を開いて、歯を見せ始めた。ぎょえ〜。彼女の歯の一本が少し虫歯になっていたが、大したことないし、なんと言っても、アラビア語の歯科用語を知らないので、面食らってしまって、えへへーとごまかし笑いをして、大丈夫、大丈夫などと訳分からないことを言ってしまった。少し後悔。きっと、彼女はやぶ医者なんだわって思ったに違いない。 最後に記念に写真を撮りましょうよと 提案すると、オバQはお姉さんは写真に写れないけど、僕だったらいいよ。と言う。それは百も承知さ!って、お姉さんにカメラを渡したが、お姉さんはカメラと言う物を、今まで生きてきていじったこと無いらしく、不思議そうにカメラを見ている。そこで写真慣れしていない(だろう)弟の方も、今までくつろいで、オバQのボタンをはずしていたのを、きちっと上まで止めてから、上に挙げていた頭のスカーフ(グトラ)を降ろして、最後の儀式のように、香水まで振りかけ、私にも香水をかけてくれたのにはビックリ!なにもそこまでしなくても〜とは言えなかったが、写真を撮る際の儀式なんだろうか・・・

(おかげで今日帰るのに、おもいっきしサウジ人くさくなってしまったじゃないかー)彼はグトラを挙げたヴァージョンとグトラを降ろしたヴァージョンの2枚の写真を撮って満足したように笑った。

それにしても不思議な兄弟だった。
サウジにはまだまだ私の知らない決まりが沢山あるようだ。



11、アバヤ姿の女たち

ドバイではアバヤ姿の女性とお話する機会が皆無に等しい。
だから、自分から話しかけ作戦にでた。
くにちゃんにシェーラを買わせるのにいろいろなスークを歩き回っていた。テキスタイル・スークで5〜6人のアバヤの集団に出会った。彼女らは顔の口の部分に金属の様なお面みたいなの(お馬さんが口につけているようなの)を付けていて、それは一見、魔女のようで、恐くて、近寄りがたい印象だった。
そんなことにも負けずに、私たちは話しかけてみた。
すると意外に気さくな人たちで、シェーラはこうやって巻くのよって丁寧に実演して教えてくれた。
感激〜。
おまけに、アラビア語のシュクラン(ありがとう)と私が言うと、一人の若い女の人が、「違う、違う、しゅっく らん(巻き舌入る)だってばー」と発音まで指導してくれる始末。
おおらかで気持ちが良い人ばかりだった。
彼女らは私たちが変なカンドゥーラ姿なのも気に入ったらしく、 その服似合うねと言っていた。

あるお土産店でもアバヤの集団がお店に入ってきて、お土産を買い始めた。見ていると、日本の?変なお腹の突き出た裸のおじさんの置物を買おうとしているので思わず笑ったら、「何でおかしいの?」と聞いてきた。
「それって日本の置物の中でも変なのの部類に入るよ」と言うと
「じゃあ、やーメタ。」となぜか蓄音機のミニチュアの置物を買っていった。
何故、今、蓄音機なわけ〜?と不思議だった。
アラブのお土産の感覚はかなり変わっているらしい。

ドバイ・ミュージアムで働いているアバヤの女性を見かけた。アバヤを着て働いている人を見かけたのは初めてだった。普通、アバヤを着ている女性は、家の中の事をしているひとが多い。その人は、かなりの美人で、化粧も濃いのだがそれがまた似合っているから何も言えない。側で眺めていても溜息をつくほど美しい。思わず、ぼ〜っと眺めていると、アバヤの下の服がちらっと覗いた。

その服はクリーム色地にオレンジの唐草模様のような模様が入った、スパンコールがびしばしの、まるで舞台衣装の様な、彼女にお似合いの服だった。
腕にも耳にも指にも・・・金、金、金(しかも21金)の装飾品づくし。
アバヤを着て働いているぐらいだから、もしかして、写真撮らせてくれるかな? とお願いしてみたら・・・なんとOKの返事!
わ〜い、とさっそくアバヤ姿を写真に 納めた。
図に乗って、その嬉しいんだけどな〜とおねだりしたら これもまた、OKで、結局、アバヤの 使用前、使用後の写真が出来上がった。
これは私の宝物です。



12、直談判

最終日、ホテルのチェックアウトが午後の6時だと言われた。
飛行機は夜中の12時35分発だ。
その時間まで、荷物もあるし、まだスークにも行きたいし、でも外は暑すぎるし、・・・でチェックアウトの時間をのばして貰えないかフロントに聞いてみた。 「今はシーズン・オフだし、10時ごろまで居させてよ〜」と聞いてみると、 「シーズン・オフだから次のゲストは幸い今日は居ないけど、マネージャーのディヴィットに聞いてみないとわからない、直接、彼に聞いてみてくれない?」との返事。
そこで、直接、ディヴィットのオフィスを訪れ、直談判作戦にでた。
ディヴィットは大柄なアメリカ人で、ピンストライプのYシャツにビシッと深緑のスーツを着こなして、携帯電話を片手に忙しそうにしゃべっている。ぎょえ〜、恐そうな人・・・でも、もちろん、そんなことには負けない私たち。
恐る恐る、ディヴィットに近づき、
「は〜い、ディビット(かなり馴れ馴れしい奴ら)!私たちここに泊まっている者です。今日帰るんですけど、ダメなのを覚悟でお願いしてます。どうか私たちのお願いを聞いてください。これこれしかじかで、もう少し、チェック・アウトの時間を伸ばして欲しいんですぅ。日本に帰ったら、ここのホテルの宣伝をしておくからさぁ・・・」
ディビットはすぐにフロントに電話して、部屋に次のゲストが今日はこないか確認してから、ピースマークとともに「OK!」のご返事!私たちは大喜び。何事もやってみるもんだとつくづく思った。
彼は「じゃあ、代わりに今度11月に日本へ行くんだけど、日本のホテルとか、見るべきモノについて教えてよ。」ということで、彼に日本の電車やら、どこのホテルがいいとかを懇切丁寧に教えてあげた。一日一善というのはこう言うことだ!?・・・なんて思っていると私たちの行いが良かったせいか、帰りの飛行機は、ぬわんとエコノミークラスからビジネス・クラスへと早変わり。
きっと、あっらーが私たちのことを見ていてくださったのだ。
だから、私はつぶやいた・・
アッラーフ・アクバル(あっらー以外に神はナシの意味)



灼熱地獄ドバイ編はこれにて終了でございまーーす。
引き続き、イエメン日記もお楽しみくださいませ〜〜。 もう、帰りたいよぉ〜ってな方は、こっち