イエメンってどんな国?
(ドバイ編もあるよ)

行って来ました。「世界で人類が現存する最古の街」と言われる イエメンへ。
今回は、飛行機の関係で、ドバイとイエメンに3泊ずつの滞在とな りました。本当は、イエメンをメインにってことにしたかったんですが、何せ、イエメンは遠い、遠い国(まともに行けば、機中2泊ってことになります)なので、ドバイまで行かないことには話になりません。週に2便しかドバイからの便がないそうなのです。そこで、私は夏に行ってお世話になった人々へのお礼も兼ねて、ドバイでの滞在もひそかに楽しみにしてました。
みんな、元気でやっているかな?

(注意:灼熱地獄ドバイ旅日記を先にご覧になることをお薦め します。話として続きらしい部分もあるので、話が前後して分かり 難いと思います。)


1、初めてのひとり旅

正確には、ひとり旅は今回がはじめてではない。
前に、香港に住む友達のところへ行ったのだが、これは、ひとりで 行ったけど、 向こうに友達が居たので、これはひとり旅には分類され ないだろうと思う。
今回は、全くのフリーで、しかもアラブへの旅・・・。
どうなることやら、自分でもちょっと不安があったということを 告白します。
その不安を増大させるような言動をドバイで何回も耳にした。
サンダルを買いに行ったときのことである。
サンダル屋の店員さん達(インド人)と仲良くなって、いろいろ おしゃべりに花を 咲かせていた最中に、ひとりのアラブ人がふらっと 店の中に入ってきた。
そして、私のことを一目みて、「バンコック?」と聞き、肩をポン、ポンとたたかれた。きょとんとしていると、何やら、インド人の店員さん達がアラビア 語でその男にまくしたたている。「空手と日本人」という言葉だけをかろうじて聞き取れた。
しばらくして、その男が去ってから、状況を尋ねると、 「あいつは、君をバンコックの売春婦と勘違いしたんだよ。肩をたたかれただろ? あれは、一緒に行こうって意味さ。だから、『この人は、日本人だから、空手できるんだぞ。空手でお前のことなんか、やっつけちゃうんだ!あっちへいっち まえー!』って言ってやったのさ。あいつはイエメン人さ。あのターバンの巻き方を見れば、判るよ。あいつらは、女とみれば、すぐそういうことを考えちゃうんだ。 女とみれば、すぐに捕まえて、連れていこうとするんだよ。君、イエメン行くんだって?そりゃー、終わったね。イエメンは、ああいう輩ばっかりだぜ。そんなとこに行くのキャンセルしちゃって もっとドバイに居れば?」
げげっ。
そんなに恐ろしい所なんて、聞いてないよ〜って正直言って、 ビビった〜。

それに、いいかげん歩き疲れたのでふらっとタクシーに乗った時も、運転手はパキスタンのおじさんで、彼にもこれからイエメンに行くんだと言うと、
「イエメンは、南北が少し前まで別れていたから、北と南じゃあ、人間の質が違うんだよ。宗教やお金、仕事に対する考えかたに隔たりがあるんだ。日本だって、東京と田舎じゃあ、住む人の考えが違うだろ?それと同じことさ。イエメンでは、先月、3人の外国人が誘拐されたんだ。だから、イエメンの山の方へは、ひとりで行っちゃいけないよ。必ず、ツアーグループに属して、行動しなきゃならん。 山の方へは絶対に近づいちゃいけない。ましてや、女ひとりで行動しちゃダメだ。」
なーんてことを平気で言っちゃってくれる。
が〜ん。
政情が悪い場所もあるってことは、ガイドブックを読んで知って いたが、そこまで、ひどいところとは・・。
彼は、日本では、神戸で大きな地震があったとか、日本の経済は今、破綻しているとか、 なかなかの日本通らしかった。
そんな、物知りの彼が言うのだから、これはイエメンってホント にそんなに 恐ろしいところなのか・・。

おまけに、ドバイで、イエメンに行くって言うと、「そりゃー、いいね!楽しんでこいよ」って反応を誰ひとりして くれなかった。
「イエメンだってぇ?そんなとこに行く物好きもいるんだな。」 って顔をみんなする。
何だか、言いしれぬ不安が頭をよぎったが、ここまで来て、イエメンに行かずにどうするって思いの方が勝った。
ああ、イエメンよ。まだ見ぬ国、イエメンよ。
お願いだから、優しくしてね。


2、ドバイで劇的再会の巻

夏に行った際にお世話になった人々に是非会おうと、心に誓って ドバイに来たので、 早速、まず、シャーイ屋(喫茶店)のイラン人の おじいさんの無事を確かめに会いに行ってみた。
また、道を忘れたので迷いながらも、おじいさんのお店に到着した が、お店の中にはおじいさんの姿は見えず、見知らぬおっさんが水たば この準備をしていた。
不審に思って、そのおっさんに、 「あなた、この店のマスター?マスター変わったの?」と聞いて みると、 「え?うん、そうだよ」との返事。
え?まさかぁ。
アラブは65歳以上の人口が2%しかいないというから、まさか、64歳のおじいさんは亡くなってしまったのかしら?ショックー。
(実は、前回、おじいさんのお店の棚には、咳止め薬が置いてあった のを覚えていた。 おじいさんの咳は、長く咳が続いている人に特有の 咳で、かなり苦しめられている 様だったので、少し心配していたのだ)
もしかして、この数カ月の間におじいさんは・・・・。
とショックに打ちのめされていたら、向こうから、ハイカラなブルーのシャツを着た、おじいさんが歩いて きた。
おじいさんの肩を「なんだぁ、生きてんじゃないのよぉ。全く、心配させてぇ。」とばんばん、叩いてしまった。
おじいさんは、状況が把握できず、きょとんとしていたが、私のことを覚えていてくれたみたいで、お互い、手を取り合って、劇的な再会を喜んだ。しばらく、おじいさんのお店でくつろいでから、帰ろうとすると、「こっちへ来なさい」と言う。
キッチンの方へ連れいかれて、なんとおじいさんは私に50 ディルハムを握らせようとした。
「これで、何か食べたり、スークで買い物でもしなさい。」 と言う。
お店で、水たばこをやって、シャーイ(お茶)を飲んで、 ひとりわずか、1ディルハムの値段である。
50ディルハムはおじいさんのお店の売り上げの50人分の値段 なのである。
私がよっぽど、汚い身なりをしていたからなのか、ドバイまで わざわざまた足を運んでくれてありがとうってお礼の気持ちなのかは 判らなかったが、 気持ちだけありがたく受け取っておいた。
私にしてみれば、ドバイまで来て、おじいさんに会わずに帰る ことは考えられなかったので、当然のことをしたつもりだったが、 おじいさんにしてみれば、 よっぽど嬉しかったに違いない。
ホントにいつまでもお元気で、おじいさん。

次に、前回はこのことに触れなかったが、灼熱地獄の夏にドバイ なんかに行ったもんだから、相棒のくにちゃんが頭痛をおこしてし まったので、アスピリンを貰い、いろいろとお世話になったことの あるお店へも顔をだしてみた。
その店は、アラブのファーストフードの店で、店員はみんな シリア人。
彼らも出稼ぎ部隊だ。
彼らには、前回、お礼に写真を送ってあったので、私が店に入って いくとすぐに私のことを思い出してくれた。
「君のことはよく覚えているよ。友達が頭を痛くして、薬を僕が あげたんだよね。 また、ドバイに来たの? じゃあ、特製のフルーツジュースを作ってあげよう。 それに、これも、これも、これも食べてみなよ。みーんな、 おいしいんだから。」と、いろんな食べ物をサービスしてくれ、みんなで記念写真を 撮った。

こんな風に、旅先でお世話になった人々のところに、また、行って みるという経験は、 初めての事だったが、なかなかいいもんだなぁ。
みんな、出稼ぎでドバイに来ている人ばっかりで、みんな、 一生懸命頑張って生きていた。
私も頑張って生きていかなくっちゃ!っていう気にさせてくれる人ばっかりだった。
そして、みんなの笑顔に再び会えたことは、私にとって、とても大切 な思い出となっている。


3、キューピーちゃんの別れ話

あのキューピーちゃんにも、もちろん、会ってきた。
彼も相変わらず、ベビーフェイスのキューピー顔だった。
お店は、ちょうど、昼のピークを過ぎていたので、ゆっくりとお話ができた。
彼は、聞かれてもいないのに、自分のことをしゃべってしまう癖があるらしい。
いきなり、自分の別れ話をぽつり、ぽつりと話し始めた。

キューピーちゃんは、前に自慢していたロシア人の彼女とは、どうやらお別れしたらしい。
ロシア人の彼女とは約9カ月間つきあったが、3カ月前に、終わってしまったんだよと 彼はキューピーちゃんみたいにまん丸の大きな瞳を曇らせて語ってくれた。
理由を尋ねるまでもなく、キューピーちゃんは、説明を続けた。
そのロシア人の彼女を、とっても好きだったので、結婚を申し込んだのだけど、彼女の反応はいまいちだったそうだ。
ある日、彼女が出かけている間にポケベルを見てみたら、知らないナンバーが ずらりと並んでいたそうだ。
驚いて、試しにその番号にかけてみたら、全部、男が電話に出た。
彼女は、いわゆる、売春婦だったのだ! キューピーちゃんはその事実を全く知らなかったので、毎日がとても悲しくて、 毎晩泣き明かしたそうだ。彼女はロシア人だけど、売春婦じゃないと信じていたようだ。
彼女には、最後に、 「ドバイでは、私が望む全てのモノを買ってくれる男じゃないと、結婚したくない」って言われたらしい。
いやはや、これでは、返答のしようがない。
キューピーちゃんが私にこんな話をしたのは、きっと寂しかったからなんだろう。一人で異国の地に出てきて、こんなことを相談する相手もいないみたいだし。
私は、ただ、彼の言うことを、うん、うんと聞いてあげた。キューピーちゃんは、堰を切ったようにえんえんと話しを止めなかった。
私は、今まで、アラブ関連の本を片っ端から読み漁っているのだが、アラブ人って一体何考えて暮らしているんだろう?っていう事について言及している本には殆どお目にかかったことがなかった。
アラブ人って、男は白装束に女は黒装束の不気味な集団って風にしか 日本人の目には映らないだろうと思う。
実際、映画なんかに登場するアラブ人のイメージは、そんな感じだ。
しかし、アラブ人とは言え、同じ地球に住む人間だ。
彼らと日本人の間には、価値観の違いこそあれど、そうそう人間としての本質や感情に違いがあるはずはないと思っていた。
私がこうして、アラブへ旅するのは、こういう事を確かめたいからなのかもしれない。
なぜに、こうも私をアラブへと誘うかは今もって、ナゾであるが、とにかく、私は、アラブ人って何考えているか訳わかんないと思っている状態よりも一歩踏み込んで、彼らの普段着の姿を覗いてみたいと願っていた。
だから、キューピーちゃんが自ずから、話してくれるのが嬉しくもあった。
彼に言わせると、日本の男性諸君の多くは、殆ど仕事のことばかり考え ていて、妻に対して、一日の内15分ぐらいしか時間を割いてあげていないんじゃないかと言う。
「アラブでは、仕事は仕事。家に帰ってきたら、妻や子どものことを最優先に考える。結婚するまでは、自分のことを。結婚したら、妻や子どもとか、家族と過ごす時間が一番大事さ。買い物をするにも、何をするにもね。」

「サウジでは、買い物は男の人の仕事って聞いたけど。シリアじゃ違うの?」

「シリアでは、男女一緒になってやるんだよ。もし、奥さんが、働いていて、自分が先に家に帰ってきたら、もちろん、僕が料理を作るよ。外食に行くのはあまり好きじゃないから、結婚して、奥さんが仕事で忙しかったら、僕がご飯をつくるのは当然だろ?夫婦なんだから。」

「日本じゃ、多くの人は、妻が働いていても、何もしてあげない人の方が多いかもよ。そうじゃないひともいるけど。」

「それじゃあ、何の為に結婚したかわかんないよね? 僕は、奥さんを家にしばりつけておきたいわけじゃないんだ。何でも、一緒にやって、例えば、掃除も洗濯もご飯作るのも、一緒にやって、二人で力を合わせて、家庭を築き上げていくってのが大事だと思うんだ。お互い、別々の仕事をしていても、家に帰ったら、一緒にいて、一緒に家事をして、一緒に寝るのが僕にとっては一番大事なことさ。夫婦ってそんなもんじゃないの?」って、逆に突っ込まれてしまった。
「別々に休日を過ごして、別々にいろんな事をやってたら、いつか心は離れちゃうよ。」う〜〜ん、と考えさせられる一言でありました。

「でもね、自分としては、結婚したら奥さんには家にいて欲しいんだ。
もし、ライセンスのいる職業、例えば、医者とか、教師みたいな職業の人だったら働くのは構わないけど、そうじゃなかったら、なるべく家にいて欲しいな。 僕は、家族を養う為に、一生懸命外で働く、そして、奥さんには、僕が帰ってきたら、おかえりーって暖かく迎えて欲しいんだ。それだけで、疲れて家に帰ってきても、その疲れはどっかへ吹っ飛んじゃうよ。
今、ドバイで働いて、いい収入になるけど、それは全て、結婚するためと実家に仕送りするためなんだ。ドバイでは、一日12時間以上も働いて、こうやって頑張っていけるのも、全て 、家族を養うという責任が僕にはあるからなんだよ。 僕は9人兄弟の3番目だけど、上2人はもう結婚しちゃってるから、僕が実家に仕送りしなくちゃいけないんだ。だって、おやじはもう死んじゃってるからさ。今は、僕が第2のおやじの役目をしているんだよ。もし、自分だけを養う為だったら、そんなに一生懸命は働かないかもね。」

私が街で見かけた、多くの出稼ぎ労働者は、端で見ていても、しんどそうって思うぐらい大変そうだったけど、みんな目に輝きがあった。
それは遠い地に住む家族を養うという責任感のなせる技だったのかもしれない。

「シリアや他のあまりお金持ちじゃない国の人は、旅行に行きたく ても、お金が死ぬほどかかるから、例えば、日本に旅行しに行くのに はたぶん、10年ぐらい働いてお金を貯めなくちゃいけないだろうな。日本に旅行しに行くなんて、夢のまた夢さ!その点、日本人は自分のお金でいろいろなところに行けるからとても羨ましいよ。」そう、ぼそっと口走った、キューピーちゃんの言葉を聞いて、私は彼に対して申し訳ないような複雑な気分になった。
今や、日本人にとって、海外旅行は、当たり前の時代になっている。
お互い育ってきた環境や、国の状況が違うし、その国の事情ってもんが あるけど、彼は若干23歳にして、随分と大人びた考えをする部分も あるんだなって感心した。
それとも、私が子どもじみているのか・・。

最後に彼は、ムスリムとしての本音もちらっと覗かせてくれた。

宗教の話しになった。
「日本人には、仏教徒が多いし、私もそうみたいだけど、宗教心とか持ってないし、ホントに宗教心があって、実行している人って少ないと思うよ。」と私が言うと、

「それはいいことだね。」なんて言う。
ムスリムにとって、宗教心をあまり持たないって言うのがいいなんて、意外に思った。

「そうなの?ムスリムなんかは宗教と生活が一致しているからそれって凄いことだと思うけど・・。」と言うと、

「う〜〜ん、ムスリムにとって、心の中ではあれしたい、これしたい って思うことがたくさんあるけど、実際はできないことが多いんだ。心の中で相当、葛藤しなくちゃイケナイ。それは、ムスリムにしてみれば、つらいと思うことも結構あるし、そういうのがなければ、楽なのにって思うときもあるよ。」というムスリムの若者の本音を垣間みることができた。

キューピーちゃんには是非、可愛いお嫁さんを見つけて、幸せに暮らして欲しいなぁと願わずにはいられなかった。


4、ドバイっ子

いいかげん、ローカルな場所ばかり廻っていて、リゾート地としてのドバイの顔には触れなかったので、ここらで、ちょいと近代的な ドバイも見ておこうと思いたった。地図をみて、目に止まった、デイラ・シティ・センターというショッピングモールを覗いてみることにした。
そこは、巨大な巨大なデパートで、ここに一日いても時間がつぶせる ようになんでもある。ブランド製品から、CD、本屋、洋服屋、子どもの遊園地、フードコートにスーパーマーケットなどなど・・。ちょうど、クリスマスから年末にかけての時期だったので、店内はどこもクリスマス一色の装飾が施されていた。
なんだか、アメリカにでもいるような錯覚に陥ってしまった。
仕方がないので、オープンカフェに入って、通り過ぎる人々の観 察をすることにした。サンドイッチとカプチーノを飲みながら、この旅の為に買った、デジタルビデオで通り過ぎる人を撮影した。
お客さんの層は、4割ぐらいがアラブ人で、残りは、インド人が最も多く、ついでチャイニーズなどである。私がいつもお話ししているような、ローカルな(小汚い?)人々とはちょっと違った雰囲気の、ちょっと洗練された感じの人が多か った。
きっと、こういうところは、娯楽の殆どないアラブでは、最先端のおっしゃれーなプレイスなんだろうな。カメラで撮影を続けていると、カメラの中で、手を振っている人がいた。彼らは、私の持っているビデオに興味を示し、それはなんという メーカーなのか?と訊ねてきた。

彼らは、一人を除いて、みんなドバイっ子である。
ドバイではなかなかお目にかかることの少ない、純粋なドバイっ子 だった。
彼らに自己紹介をしてもらった。
オバQ1(ファイサル)---ドバイの首長の側近を仕事とし、世界各国を飛び歩いている。去年は、首長に別荘を貰ったらしい。
オバQ2(ムハンマド)---なんかのエンジニア。
オバQ3(マハムード)---会社経営している。
普通の服(オマル)---------コンピューター関係の仕事。
エジプト人(アリー)---- -競馬の雑誌を作っている。

以上の5人と私で、今まで撮影したビデオをみながらわいわい騒いでいた。
そして、これから、シィーシャ(水タバコ)をやりに地元のドバイっ子 が行く、シィーシャ屋に行く予定だと言う。
これは、願ってもないチャンスとばかりに私も同行した。

着いてみると、そこはホントにオバQだらけの、シィーシャ屋だった。
屋外に何個かテーブルが出ていて、イラン人のおじいさんのシィーシャ のお店とは雰囲気と 客層が全然違う。

これは、ドバイっ子が普段、何考えて生きているかを知る、またとないチャンスだった。
この機会を逃す手はないと早速、質問攻撃を始めた。

エジプトのテロ事件の話、イスラムの事、日本のことなど、話は続いた。
私があまりにイスラムに詳しいので、彼らに感心され、君は、女の子 ひとりで来ているから、最初ビックリしたけど、本当にいろいろ知りたい んだねって言っていた。
エジプトのテロについては、
「あれは、テロリズムの仕業で、多くの人は迷惑しているんだ。おかげでエジプトの国の収入は激減したし、みんな住んでいる人は 大変さ。みんな、あのおかげでエジプトに行くのを怖がっている。」と言っていた。
だから、私は、「うん、そうかもね。でも私はエジプトにも、そのうち行くつもりだよ。」と言うと、
「僕たち、日本人を見ることはあっても、喋るのは初めてなんだ。だって、日本人ってしゃべりかけても、硬直しちゃって、何も話さないだろ。でも君はとても、フレンドリーっていうか、話しかけても全然、物怖じしなかっただろ?だから、逆にビックリしたよ。」と言っていた。
そうか、よく、日本人にでさえ、君はティピカル・ジャパニーズ じゃないねって言われるのはこういうことだったのか、と一人で納得 してしまった。

彼らは、他の友達ともそこで落ち合う約束をしていたのだが、聞い てみると、彼らは、予め、その友達に電話して、
「これから、日本人の女の子を連れて行くんだけど、彼女はロシア 人みたいな目的でここに来ているんじゃないから、頼むから絶対に、 彼女を冷やかしたりとかトラブルを起こさないようにしてくれ」と頼んだらしい。
よく、意味がわからないので、訊ねてみると、
「もし、君のような女性がこれから行くようなお店に行ったら、みんな君のことをロシア人とおなじ目的で来ていると勘違いするだろう。でも、僕たちと一緒に座っている分には誰も他の奴等は話しかけてこないし、もし、君が、誰か別の男と話したりすれば、きっと、君は、ロシア人と同じ目的と思われるんだ。そう思われるという ことは、きっと君にとっても問題だろう。だから、友達に予め電話しておいたん だよ。」と説明してくれた。
ふーーむ、判らないでもないが、アラブ男の心中は、複雑なのかも しれない。

彼らは、みな携帯電話を持っていて、誰かの電話が必ず、1時間おき ぐらいにぴーぴーと鳴る。
一体、誰からそんなにかかってくるのか、不思議に思い、尋ねてみる と、みんな友達からの電話だという返事。
それも、同じ友達から何度もかかってくる。
なぜ、そんなに同じ友達から何度もかかってくるのかも不思議に思っ ていると、「僕たちは、みんな仲がいいから、離れていても、常に、連絡をとり あって、今、どこにいるとか、何しているとか確認しあうんだよ。」日本なら、毎日友達に電話することはあっても、1時間おきに電話なんて普通はしないだろう。
しかも、女性からの電話ではなく、本当に男性のお友達からなのだ。
アラブ男の友達関係も不思議だった。

彼らの内、普通の服(シャツとズボン姿)のオマルとエジプト人の アリーは、これから、ドバイ一のナイトクラブである、「サイクロン」 というディスコに行くらしい。
是非、私も連れてってくれとお願いし、みんなで行くことに決まった。

サイクロンと言う名のディスコでは、ものすごい光景が展開されていた。日本でだって、こういう場所には、全然行かないので、私には刺激が強すぎた。
そこでは、ロシア人の娼婦とアラブ男がくっつきあって、踊りまくっ ていた。ロシア人は、みんな、日本のお立ち台で踊っていたギャルと 同じ様な服装をしている。
そして、アラブ男もシャツにジーンズや、ズボンをはいていた。
オマルとエジプト人が、オバQ姿ではなく、普通の格好をしていた のは、オバQ姿でやってくる人は誰もいないからだったのだ。
そして、私は今流行りの曲にはとんと疎いのだが、彼らは、流行らし い曲に合わせて、男女が身体をぴったりと、くっ付け合って、今にも キスでもしそうに顔を近づけながら、なまめかしい踊りを披露していた。そして、カウンターでは、みんな、ビールとかカクテルを飲みまくっている。私は、飲めないので、一人コーラを注文した。
ビデオにこの光景を納めようとも思ったが、なんだか、悪いような気 がして止めておいた。(しかし、今は、とっておけばよかったと後悔 している)

「ねぇねぇ、もしかして、あのロシア人の女の人は、みんな売春婦な わけ?」と聞くと、
「そうだよ。ここで、ああやって、相手を見つけるのさ。」

そう言われて、辺りを見回すと、確かにロシア人らしき女性が、一人でもの欲しげに辺りを見回しながら、椅子に座っている。

ふ〜〜ん、ドバイっ子ってこうやって、夜に遊んでいるのね。
噂には聞いていたが、これじゃあ、日本とたいして変わらないじゃない。
ドバイっ子の生の夜遊びの生活を見ることができて、私にとっては、 とても面白い体験をさせてもらった。
知り合った彼らは、私に対して、あくまでジェントルマンに振る舞ってくれた。
ドバイっ子の彼らに感謝!


5、アリーの悩み事

サイクロンで、ロシア人娼婦とアラブ男の踊る姿をいつまでもただ、眺めていているのも飽きてきたので、エジプト人のアリーに「もう、帰りたい。」と耳打ちした。彼らは、もっとその場に居たいような雰囲気だったが、サイクロンは うるさいし、会話するにも、大声を張り上げないといけないので疲れる。
そこで、アリーが私のことを宿まで送り届けてくれることになった。アリーは、彼らのグループの中では、一番の年長者で、直感的に、一番信頼できる気がしていた。彼は、途中でお腹が空いたという私を気遣って、夜中まで営業して いるレストランに連れていってくれた。

私とアリーは、初めて会ったのにも関わらず、お互いのプライベート な話をしあった。アリーは、とても悩んでいた。
なぜなら、もう、結婚して、10年近くになるのに、彼は、自分の奥さんを結婚して以来、 一度も愛したことはなかったと言うのだ。
私は、彼の言うことが理解できた。
アラブでは、特に戒律が厳しい国であればあるほど、結婚相手は、親が決めてしまうことが 多いのである。結婚するまで、相手の顔を拝めないということもあるらしい。そんなことは、私は、本で読んで知っていたので、彼も話しやす かったのかもしれない。

「今の奥さんとは、結婚するまで、一度も会ったこと無かったの?」 と尋ねると、

「いや、一度だけ会ったよ。でも殆ど会話はしなかった。」

「それで、結婚して上手くいくかどうかなんて、それこそ、神のみぞ知るって感じだね。」

「全く、その通りさ。僕の奥さんは、とても美人だし、いい所の娘だから金持ちだし、 きれい好きでいつも家の中はきちっとしているし、子供にも恵まれたから、申し分ないんだけど、 彼女には、結婚して一度も愛するって感情を抱いたことがないんだ。」

「日本にも、お見合って少し似た制度があるけど、結婚してから、お互いが歩み寄って 少しずつ、知り合って愛情が生まれてくる って人もいるよ。」

「それは、そうだろう。僕の友達もみんな、そうやって結婚している けど、彼らは、奥さんをとても愛しているし、結婚生活もとても上手く いっているんだよ。
でも、僕の場合は、どうしてもダメなんだ。彼女は、ワイフとしては 最高だと思うけど、 これは愛じゃないと思っているんだよ。結婚前に、付き合っていた人がいて、その子のことはとても好きだった。でも、彼女との結婚を彼女の親が許してくれなかったんだ。その子は、結局、別の男と結婚させられたんだ。その子に対する感情と、今のワイフに対する感情は明らかに違う ものなんだよ。こんなことは、僕の友達には誰にも話せないさ。だって、彼らはみんな奥さんと上手くいっているから、僕の気持ちは 判らないだろう。エジプトに帰ると、とても辛いんだ。彼女が尽くしてくれればくれるほど、辛くて仕方なくなるんだよ。この前、エジプトに帰ったとき、親父が僕を呼び出して、こう言ったんだ。
『お前、結婚生活が幸せじゃないのか?そう顔に書いてあるぞ。』 ってね。だから、本当の事を言ったよ。でも、親父は、『子供の事もあるし、我慢できるなら我慢した方がいい。』って言うんだ。一年のうち、3ヶ月は、エジプトに帰れるんだけど、もちろん子供に会えるのは嬉しいさ。でも、居心地が悪いんだ。ワイフに会うのが辛いんだよ。」

こんな、アラブの風習の為に、結婚生活が上手くいかなくて、悩んで いる人もいるんだろうなって想像はしていたが、実際、アリーもそんな 人の一人だった。

アリーがとことん暗くなってしまったので、話題を変えてみた。

「どうして、サイクロンみたいな所に行って、遊んだりするの?そんなに楽しいとは思えないけど・・・。」

「うーん。僕は、仕事も忙しいし、家に帰っても寝るだけの生活 なんだよ。早く帰ったって、どうせ一人暮らしだし。だから、みんなで集まって、時間つぶしたりしているんだよ。」

「ふーん。要は、寂しいのね。そうでしょ?家族はエジプトだし、一人でドバイにいるから帰っても誰も居ないし。だから、わざと自分で自分を忙しくしているんでしょ。」

「う・・うん。その通りだよ。ドバイでは、家に帰っても、寂しいし、エジプトでは、何か気を使っちゃうんだよなぁ。八方塞がりかもな。」

「それって、大変だね。早いとこ、エジプトに帰って、家族と一緒 に暮らした方がいいよ。そうすれば、事態は変わるかもしれないし・・・・。」と言ってあげることぐらいしか、私にはできなかった。

アリーは、アラブ人というよりも、大都会に暮らす、寂しさを抱え た一人の男性として私の目に映った。
キューピーちゃんといい、アリーといい、どうして、私に相談事や悩み事を打ち明けるんだろう?私に話したって、埒なんか開かないはずなのに。

ドバイみたいな都会に住む出稼ぎの人々は、みな寂しさと闘いながら 暮らしているんだなぁ。でも、彼らは、普段はそれを表に出せないので、努めて明るく振る舞っている。
そんな彼らを見て、私は胸が締め付けられるような想いでいっぱい になった。


6、アルハムド・リッラー

ドバイからエミレーツ航空に乗って、いよいよ、おそるべし? イエメンに向かうことになった。
面白かったのは、飛行機がイエメンに着いた瞬間に、前の座席の イエメン人が「アルハムド・リッラー、アルハムド・リッラー、アルハムド・リッラー!!!」と叫んだのである。
アルハムド・リッラーとは、アラビア語で「神のおかげだ!アッラーの讃えあれ!」という意味である。
この言葉は、滞在中に何度も耳にした。
これは、「お元気?」というのに対して、「おかげさまで」という風にも使われるし、「お仕事はどう?」というのに対しても、「おかげさまで」と使われる。
また、食事の後で、ごちそうさまの意味でも使われる。
こういうのは日本でも使われているので、案外すんなりと受け入 れられる。
飛行機が無事に地面に着いたときは、誰しも内心ほっとするものだが、こうやって、声高く、叫んでいるのを聞いたのは生まれて初めてだった。
何というか、妙な、感動を覚えてしまった。
彼らにしてみれば、普通のことなんだろうが、私にとっては、 言葉に言い表す>のはちょっと、難しいような気分だった。
ここにここうやって、無事に飛行機が到着したのは、アッラーのおかげであるから、アッラーを讃えようとの意味なのだろうが、人口の多くが出稼ぎ労働者を占めるドバイから、人口の殆どがムスリムのイエメンにやっと着いたという感激もひとしおに 感じさせる印象深い言葉だった。


7、イエメン・トラベルとの出会い

イエメンに着いた。
早速、トラベル・エージェントに電話をして、私には正味3日間しか猶予がないこと、出来るだけ、効率良く、イエメンを見て歩きたいこと、いろいろ経験してみたいことがいっぱいあることなどを説明した。
すると、そのエージェントは、偶然、宿のすぐ近くにあるので、これから迎えに行くから、ディスカッションしましょうということになった。
実は、このイエメン・トラベルは、夏にドバイで会った、日本人の女の子(その名はまりー)から、ここの電話番号を予め、日本で聞いておいたのだった。
「もし、着いてから、どこかにガイドを頼みたかったら、イエメンに行ったとき、知り合ったそこのエージェントに勤めている人に電話番号をきいておいたから、連絡するといいかもよ」って、勧められたので、他にどこも知らないし、お願いしてみようということになったのだった。

しかし、そこは主にヨーロッパ人の団体をガイドしているエージェントで、日本人のお客さんは、私が初めてだったのだ。彼らのオフィスに行き、いろいろ話しているうちに、彼らは、私が本気でいろいろ見て歩き回りたいということを察知したようだった。そこで、これから、3日間に渡って、一日65USドル(本当は70ドルをまけてくれた)で、案内をしてくれることに決定した。

今から、考えると、彼らに頼んで本当に良かったと思っている。
彼らのおかげで、私の残り少ないイエメンでの滞在はとても有意義な ものとなった。ランクルをチャーターして、一日中、ガイド兼、運転手を雇ったようなものだったが、イエメンは、女一人で歩き回るには、ちょっと不安があったので、安全をお金で買ったようなもんである。
その分、地元のイエメン人にたっぷりといろいろお話を聞くこともでき て、私にとっては一石二鳥状態だった。
彼らは、どうして、私がここのエージェントの電話番号を知っていたの かをしきりに不思議がった。その経緯を説明すると、納得してくれたが、今まで日本人のガイドは誰一人やったことがないため、この旅の間は私に対して、とても気を 使ってくれていたのだ。
いかに、いろいろ彼らがやってくれたかは、これから説明していこうと 思う。


さて、イエメン日記パート1はお楽しみになれましたか? パート1は、主にドバイでの事なので、オイラはイエメンについて知りたかったんだいってな方は、どうぞ続きをご覧くださいね。

もう、帰りたいよぉ〜ってな方は、こっち