依頼され
リジェクトされた「巻頭言」

由来
2001年のことであるが、公正無私な某教授を通じて或る内部機関誌の巻頭言の執筆を依頼され、その原稿案を提出したところ編集委員会で拒絶された旨の連絡があり、上記教授に大変なご迷惑をおかけした。

実はその原稿案の内容は、自己補対の原理等に対する中傷への反論など、既に数年前に著名学会の講演会とか学会誌などの公の場で発表されて討論され、多くの研究者の関心を集めていた興味ある話題であり、更に被害者との間では裁判沙汰に近い所まで論争が進んだ問題でもあったので、内輪向けの本音の内容としては真に時宜を得たものであった筈である。それにも拘らず、既に覆い隠せない事実を取り上げた原稿は、結局、日の目を見ることはなかった。

この原稿案の内容は、当時の異常な状況を知る上で、歴史的にも貴重な資料であると考えられるので、その主要部、並びに、2009年メモを公表して置きたい。

巻頭言」原稿案

 研究の歴史的事実の歪曲への反論

                                 虫 明 康 人

 ○○○○○○○○○○○の談話会は、大正時代から今日まで続けられており、その貴重な記録がこの談話会記録である。その経緯は本誌の裏表紙に略述されている通りである。これらの記録の中の主要な研究成果は、最終的にはそれぞれ別の学術誌に論文として掲載されている。そして、このような種々の記録を年代順に並べると、全体として、学術、技術の進歩発展の歴史を記したものとなっている。その意味で、本談話会記録は、我々の努力による、この分野での進歩発展の歴史書そのものである。

 このような歴史に関連して、最近、憂慮すべき事態が発生していることを知った。その一例は、八木・宇田アンテナの創案にまつわる事柄である。或る伝統ある学会誌の過去の旧論文等から明白な歴史的事実を、歪曲した誤った記事が、皮肉にも、最近の同一学会誌に掲載されていたことである。しかも、その誤った内容を捏造したような著書が、専門と全く無関係な文筆家によって、その直前に出版されていたという事実もある。もう一つの例は、筆者自身の仕事に関するもので、筆者が過去に発表した多くの論文の核心となる自己補対の原理を無視した、誤解、ないしは曲解した記事が、信頼されるべき学会誌に掲載されていたことである。筆者はこれらの何れに対しても、学会誌等において、大所高所から反論を行なった。これらの例は、筆者自身に深く関わる分野であったため、偶然、筆者の目にとまった訳であるが、他の分野においても同様なことがあるのではないかと、危惧の念を抱いている。

 これらは何れも、当該分野の歴史を曲げるものであって、後の研究者に参考となる筈の貴重な事実がすり替えられており、温故知新の概念が破壊されることになる。そして、後の研究者を誤らせ、その健全な成育を阻害するものである。ここで、このような事態が生じた原因について考察してみたい。上記の例の前者の場合には、執筆者が専門外の人達であるので、誰かが陰にいて、責任を他人に擦り付けて、指図したのではないかと推察される。一方、後者の場合には、執筆者が専門家であるので、誤った理解をしていたとしたら専門家として問題である。また、若しもそれを承知の上で、誤りを書いたのであったとすれば、尚更問題であり、それこそ意図的曲解である。両者共、これ以上の真相は不明であるが、歴史的事実を曲げてまでも、過去の研究を傷つけるような誤った情報を流布させた裏には、何かの意図が潜んでいたのかも知れない。何れにしても、研究の歴史を歪曲することは社会を裏切る行為であって、我々、真の研究者こそ、その歪曲を阻止すべき番人でなければならない。

(2001年4月)

 2009年メモ: 上記原稿中の「温故知新」とは、「純粋学術分野での温故知新」の意味であって、人間模様の入った現実の歴史的事実からノイズ的情報を取り除いて表現した「温故知新」である。研究者にはノイズ的情報を判別する能力も要求される。   なお、上記事件は、創造性を受け容れない日本の社会の産物でもある。 

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