純子のお部屋


5月23日

も〜すぐ一時帰国しまーす。イエメンみたく、その辺でバ〜ッタリ会ってしまうかもしれませんね!

ウチの学校の生徒達は2ヵ月半で帰ってしまう人もいれば、半年も1年もいる人もいる。期間に限らず、今まで通っていて気付いたことがある。
それは、この敬虔なムスリムが多いイエメン社会で生活していると、何かが変わっていく人が多いのだ。

アメリカから来たマークは、他のアメリカ人と一風違った雰囲気を醸し出していて落ち着いた感じの人だ。私と初めて喋った時、私がなぜ、アラビア語を勉強しているのか、という話題になった。
『イスラームに興味があるの。イスラームを理解するには、アラビア語を学ぶことって大事でしょ?』と答える私に
『へぇ〜、それまた、どうして?』
『珍しいでしょ』
『うん、でも歯医者なんだろ?それを休んででもイエメン来てアラビア語を勉強するなんて、ボクはその心境に興味があるな』
『うん、自分でもやりたいという気持ちを抑えきれなくなって。でも、こんなことアメリカ人とかに喋ったら、ど〜してさ?って絶対に理解してくれないと思ってた』という私に対して、真面目な表情で私の話を聞いてくれる。そんな彼の性格を察知して私もあまり学校の友達には話さないような自分の気持ちなんかを正直に話した。

そんなマークのイエメン滞在も4ヵ月を過ぎたころ、急にマークに対してみんなの態度がよそよそしくなった。学校のウワサには疎い私の耳にも、『マークがシャハーダ(信仰告白:これをすればムスリムになれる)して、ムスリムになったんだって』というウワサが飛び込んできた。
「え??私がイスラームに興味があるって言った時、ホントに?って半信半疑みたいな顔をしたマークが??」って思って、どうしてもマークに真相を確かめてみたかった。
マークに電話してみると、『そうだよ。ムスリムになったんだ。今はすごく精神的に落ち着いているんだよ。モスクにサラート(お祈り)しに行くじゃない?そうすると、他のイエメン人達もみんな集まってきていて、アメリカ人のボクのこと歓迎してくれるんだ。そういう中にいるとホッとするし、心も落ち着くんだよね。何か、人種を超えたものがあるっていうかさ。ボクはクリスチャンだったけど、長いこと、ムスリムになるか、迷っていたんだ。今はなってみてすごく良かったって実感しているし、今まで味わったことがないような充実感があるんだ』と熱い口調で語るマーク。
『じゃあ、ホントなんだ。みんなはタダ、ムスリムになったことをビックリしているみたいだけど、私がビックリしたのは、初めて会った時、私がイスラームに興味があるって言ったら、どうして?って聞いたでしょう?だから何というか、まさかマークがムスリムになりたいなんて考えているとは想像もしていなくって・・』

その後のマークに対して、学校の生徒達はマークとは表面だけのおつきあいしかしなくなった。ムスリムになったというダケで、性格なんかは変わらないのに。相変わらず態度を変えない私にはマークはいつも挨拶して握手してくれる。
マークは『あっら〜ふ、あくばるぅぅ〜〜!ら〜いら〜は、いっらっらぁ〜、むはんまだん、らっす〜るらぁ〜・・・・』というアザーンが聞こえると、ハッとした表情になり、食事中でも途中でやめてモスクへと急ぐ。私と話している最中でもアザーンが聞こえると、『ちょっとごめん』と言って席をたつ。それに、マークはラマダーンを1ヵ月の間、キッチリ断食したのだ。

そして、驚くのが、変わるのはマークだけじゃない。ムスリマであるイギリスから来ていたソフィアとアシュワークも、アメリカから来た、トルコ人とドイツ人のハーフのアンナも、最初は普通の格好をしていた。普通と言っても、ソフィアとアシュワークは、ヒジャーブだけは被っていたが、アンナは全く普通の格好だった。
しかし、彼女達も帰国するころには、まっくろなアバーヤにヒジャーブを被り、手にも黒い手袋をつけ、ニカーブ(顔を覆うベール)まで買いこんで、すっぽり全身黒の人に変わってしまった。帰国する際もそのままの格好で帰っていった。

私は最初からアバーヤとヒジャーブをしていた。ハッキリ言って暑い日なんかは着たくない日もある。でもこれは、私なりに、現地イエメン人達への配慮の意味でもあり、一人で家を借りて住んでいたので、安全面の意味でも、そして、なによりも、私もイエメンにいる間は、こういう格好で過ごしたかったからだ。私は学校の寮ではなく、普通のムスリム達と同じ環境に身を置いて、彼等からも受け入れられたかったし。
それに、実際、アバーヤもヒジャーブもなしでスークなんか歩いていると、敬虔なおじいさんに『髪だけでも覆いなさい』と擦れ違いざまに注意されたことだってあるからだ。それに、近くのお店にアバーヤなしの格好で行った後、アバーヤを着て再び行ったとき、そこのお店のおじさんもお兄ちゃんも、子供もみんな『アバーヤを着ていた方が絶対にいいよ!』と口を揃えて言うのだ。こんな状況だから、イエメンでは着ていた方が楽でもある。

でも、欧米人は意地でもそういう格好をしたがらない人が多い。そして、そんな彼女達を横目に『彼女達、絶対に狂ってるわ。どうしてイエメンに来てから、いくらムスリマだからってあんなニカーブまでつけちゃって、そんな格好しなくちゃいけないのかしら?どうしてあんなに前と変われるのかしら??狂っているとしか思えない!!』などとウワサしている。
でも、私にはなんとなく、判る。ソフィアもアシュワークも、アンナも、自分がムスリムであることをイエメンで更に自覚したんじゃないかと。イエメンにも、お酒は飲むし、サラートもしないなんていろんなムスリムがいるけれど、他のアラブに比べて、サウジの次ぐらいに敬虔なムスリムも多い。だから、そういう社会に生活していると、自分の周りの敬虔なムスリム達を目のあたりにして、そして、そういうムスリム達とふれあって、きっと自分達もムスリムなんだ!ということを更に自覚したのかもしれない。イエメンってそういうところなのだから。



5月12日

お知らせでございま〜す。ちょっと前にまたまたまたマックが壊れまして、修理に出したのはいいんだけど、3週間ほどのメールを消されてしまいました!そこで、お願いなんですが、ここ3週間ほどの間に私にメールをくださった方々、美枝子さん、のぶこさん、じゅんこ3さん、cheese さん、真智子さん、エジプトのえりこさん、川島さん、やすあきさん、正恵さんできればまたメールを送っていただけませんか??それから名前を覚えていなくて申し訳ないんですが、メールをGW中に送っていただいた方々!ぜひ、また送ってくださいませ〜!よろしくお願いしまーーーす!

ところで、日本では『ダンゴ3兄弟』なる歌が流行っているそーですね。イエメンでの日本人の集まりの時に、『え〜〜?知らないのぉぉぉ?しんじらんなぁ〜い!』っなノリでバカにされました。そ、そんなにバカにしなくったってぇ。知らないもんは知らないんだから、しょーがないよねぇ。

アメリカとイギリスがイラクを攻撃するちょっと前に、友達のオフィスに新しくズィヤード(仮名)というイラク人男性が勤め始めた。ズィヤードは、イラクでは、頭のイイ子が通う有名学校にいてバグダットの大学を卒業している。湾岸戦争以来、イラクでは仕事がないため、イエメンで働いているのだ。そういうイラク人はイエメンに沢山いる。そして、兄弟以外の家族はイラクにいるんだそう。

『家族と離れて心配じゃないの?だって、この前攻撃されたりしたじゃない?』

『心配はしていないよ。だって、攻撃されるような場所からはウチの家は離れているし。ウチは薬局をやっているから経済的にもダイジョーブ』と自分に言い聞かせるような口調だった。

『実際のところ、イラクでのサダム・フセインの評判ってどうなの?パレスチナ人とかは彼を支持していたりするけど』 こんな質問って今まで受けたことないかのような顔つきになってから

『う〜ん、アメリカやイギリスが攻撃したけど、フセインよりはまだマシさ』と言う。

『へぇ〜、やっぱり、そうなんだ。イラクでは秘密警察みたいのがいたるところにいて、例え、友達とか親戚でさえ、信用できなくなっているって聞いたことがあるの。だって、ヘタにフセインの悪口なんか言って、密告されて捕まるなんてこと、しょっちゅうあるって聞いたし。フセインって自分のジャマをする者は例え、自分の娘ムコだって、殺したりしているじゃない?』

『そうなんだよね。でもこういうこと、おおっぴらには喋れないよ。確かにフセインのせいで、今のイラクは大変さ。みんな迷惑って思っているけど、誰もそんなこと口にだせないしね』

『やっぱり、みんな力を併せてフセインを脱却させるとかはムリなのかな?』

『そりゃ、ムリさ。軍はフセインのいいなりだし、そんなことしたらこっちがやられてしまう。選挙が今度あるけど、どうせ、フセインがまた再選するに決まっているのさ』と半ばあきらめたような口ぶりだった。

そして、『君は随分、好奇心の塊りみたいな人だね。そういう人は危険なんだよ』

『え?キケン??どうして?』

『だって、好奇心があるってことは、頭がいいってことだから、何でも見透かしてしまうだろ。だから、ボクのことだってわかられてしまう』

ズィヤードは、かなりの努力家だ。仕事以外の家での時間は主に語学の勉強と読書に費やすという。 フランス語をイラクで小さい頃からやっていたのでフランス語はペラペラだし、フランス語よりもできなくて今、勉強中という英語だって、アラビア語とフランス語と英語の単語を並べた小さなノートを作っていつも持ち歩いている。
私がアラビア語をやっているから興味があるのか、会うといつも『語学を困らない程度に喋れるには、1万5千の単語を覚えればいいんだよ』と教えてくれた。
そんな彼のいつも努力する姿には尊敬するものがある。今の日本でも語学習得の為に勉強している人は大勢いると思うけれど、ズィヤードは、学校に通う費用もないし、学校なんかに通わなくても自分の力で毎日、努力してマスターする姿を見ていると、自分はまだまだ「甘い」なって思う。
そんな、ズィーヤドの姿を見ていると、何だか父のことを思い出す。父も語学に若いころから興味があり、英語もドイツ語も独学でマスターしたのだ。その当時は満足な参考書なんてほとんどなかったし、ましてや語学学校だってほとんど無かった時代。それにあったとしても貧しくてそんなもの買えなかったみたい。だから「辞書」を使って構文を覚え、勉強したそうだ。私はそんな父を尊敬している。そして、ズィヤードも。



5月6日

イエメンの不思議なつながりをさらに実感している今日この頃。
そもそも、まりーにドバイの珍道中で出会ったのが元々の始まりだった。まりーとは砂漠の4WDツアーで出会ったのだが、ホテルでそのツアーに行くメンバーが待ち合わせをしていた。最初は私と友達のくにちゃんがあまりに変な格好をしていて、まりーが「こんな変な日本人達と一緒に行くなんて、悪夢だ〜〜〜!」って思っていたらしい。(どんなに変な格好かは「灼熱地獄ドバイ編」をご覧くださいませ)
しかし、一緒に行動を共にする内に打ち解けて、今はかけがえのない友達である。そしてドバイで会ったまりーは私が行きたいと思っていたイエメンにドバイの前に行ってきたのだった。それがキッカケで、私が今イエメンにいると行っても過言じゃないかもしれない。

そして、イエメンで偶然に会ったじゅんこ2。この出会いもイエメン編に書いたけど、ホントに偶然だった。
そして、去年の年末に私に会いに来てくれたまりー(イエメンのリピーターと化している)とまりーの友達の 金子さん。みんなでシェラトンホテルで年越しをしてバカ騒ぎの踊りマクリ。
そして、ぬわんと、じゅん2とまりーと金子さんは日本で会ってお友達なのである。

そして、今回のGWは、まりーと金子さんの友達の天候調査中さんともイエメンでお会いした。
そしてこの時期イエメンに来てメールのやり取りをしていたちはるさんはぬわんとハジャラで天候調査中さんとお会いしているのである!

まりーやじゅんこ2を始めとするイエメンの輪が日本で広がりつつある。私もなんだかすごく嬉しい。
イエメンは確かに狭い。狭いから日本人旅行者にも出会う確率は大きいのだ。でも、私はそれだけじゃない、何か神様のお導きみたいのを感じている。前にも書いたことがあるけど、まりーやじゅんこ2に出会ったというのは、まさに出会うべくして出会ったという気がしてならない。

それに、驚いたのが私も知っているイエメン人のサービットさんが日本を訪れてホームステイしたのだけど、まさにそのホームステイ先であるのぶこさんから『1月の末に、うちにホームステイにイエメンの日本大使館の職員のTHABETさんが、来ました。たった1泊でしたが、夜おそくまで、イエメンのお話をしました。とくに、カートや水パイプのお話に興味を持ちました。わたしは、どんな葉っぱか写真を持っていたらみせてといったのですが、今はもっていないということで、知りたがりやのわたしは、ホームページを検索して、 みつけました。私の知りたかったすべてを、純子の部屋で。百科事典でイエメンをみても、人口が、いくらとか歴史がどうとかで、わたしの満足のいく答えが得られなかったのです。彼が女の人の服装についてもはなしてくれましたが、あなたのホームページをみると、彼のはなしたことが、よりいっそうはっきりしました』というメールをいただいて、ホントに驚き桃の木さんしょのき(←死語??)です!!

そう言えば、きおしげさんが前に言っていたなぁ〜、「人間、どんなに多くて2万人ぐらいの人と出会う らしい。でも、それってただなんとなく会ってる訳じゃなく、全ての出会いに何らかの意味があるんじゃないかって ... それに生きていていろんな人と出会っているって言うより、人と出会うために生きてるんじゃないかって ... 』って。



5月1日

今回アップした『恐怖のエジプト』で、なにやら、アラビア純子の母、通称、ラブ子(愛子っていう名前なんだけど、父が若いころ母に送ったラブレターに、 「LOVE子へ」な〜ん書いてあったもんだから。ふぉふぉふぉ、ママさんの秘密をバラしちまったぜぃ)へのラブコールが沢山届きました!ありがとうございま〜す。

ラブ子いわく、『エジプト編を改めて読み直すと、なんだかママはピエロみたいで悲しいよ』などというメールが届きましたが、

じゅんこ2からは、『じゅんこ1のお母さんってば、 久しぶりにだい、だい、だいばくしょ〜〜〜!!!だったよぉぉぉ。いくらあのお母さんだって、イエメンでひとりぽっちにしちゃったなんてさぁ、じゅんこ1ってばそれは可哀想だよ。(ぐふふふ)じゅんこ1のお母さんでさえ、その調子(涙声で泣きだしちゃった)だったのなら、うちの母がもしイエメンでひとりぽっちにされちゃったらと想像すると、どーしても笑っちゃうんだよね〜。でも、それはかわいくて、おちゃめで、ユーモアのある人だな、と思うからよ。その血をしっかり引いている娘と、またまたエジプト珍道中したってのが、ふたりの会話を想像できて楽しかったよ』というメール、そして、

みーとさんからは『純子さんのお母さんの話は、じゅんこ2さんからも聞いてたけど面白い人やね。ファンレターでも送っちゃおうかしら?』というメール、そして、

中東研のまことさんからも『純子さんのお母様は本当にできた方ですね。僕の母ではこうはいきません。どちらかというと自分の価値観を押し付けたがるタイプですから』などなど、ピエロどころじゃなく、みんな、褒めてくれちゃってますよ!いや〜、ありがとうございました!

さて、今日はイエメニ男性の「結婚の条件」についてお話したいと思いまーす。

結婚の条件は
1に宗教、
2に家庭がいいこと、
3にその女性の振る舞いがいいこと、つまり宗教心にあつく、同じムスリマであること、そうじゃない場合は、自分の宗教を尊重してくれる女性で、家庭に問題がなく、同じぐらいのレベルで、その女性がムスリマとしてだけじゃなく、奥さんとしてキチンと家庭を守ってくれるような女性が条件。もし、働いている場合ならダンナさんも場合によっては手伝うとのこと。
しかし、聞いた限りでは、結婚後には奥さんには働いてほしくないと答える男性が多い。その理由は子供が生まれたら、その子供をキチンと育てることが大事だからだそう。私の友達には大学を卒業した女性もいるけれど、結婚後は働きたくないと言う。例え大学を出てバリバリ英語が喋れて、どこへ行っても通用しそうな女性でさえもそう言うのだ。子供のこともそうだけど、ダンナさんの面倒を見てあげたいからということだ。私にすればそれだけ仕事もできそうなのにもったいないな〜とも思うけれど、彼女達はそうは考えない。こういう家庭を大事にする姿勢を見て、だからアラブの家族の絆は強いのかな〜って思った。
そして4番面にやっと「美しさ」がくる。 そりゃあ、キレイにこしたことはないだろうけど、イスラームでは、「美しさだけで結婚してはイケナイ」と言われているのだ。
あ、あとはヴァージンであることは条件以前の問題。
こうみると、アラブでの結婚、少なくてもイエメンでの結婚は、好きになったから一緒になるということではなく、「家庭を作る」ということを前提に相手を選ぶのだろう。
「家庭を作る」ために結婚した、あのトフィックだって、結婚前は相手の顔を見たことがなくたって、未だに幸せにやっていてノロけている。
世界には、いろいろな結婚の形があるんだなぁ〜。


前のがみたいよ〜ってな方は こっち