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「パウロの家族」って、どんな家族?

ドゥアルテ家のメンバー紹介

◆パウロ ジョルジ バティシタ ドゥアルテ

・1968年7月7日、リスボン対岸セイシャール生まれ。

・12歳より菓子の道に入る。

・菓子職人一級免許を持ち、セイシャールの菓子店にてチーフを務める。

・日ポル友好450周年の1993年には、長崎をはじめとするポルトガルゆかりの地で催された各イベントに参加しポルトガル菓子及び南蛮菓子のデモンストレーションを行う。

・長崎にてポルトガル人が伝えたいといわれる「カステラ」と出会いその美味しさと美しさに感動!

・ 今、長崎カステラ製造の技術を習得しポルトガルに「カステラ」を里帰りさせたいと強く願い、独学で日本語を習得。そして、「カステラ」を通して伝統菓子離れのすすむ現在のポルトガル人に職人の技術と文化の香りのする本物の菓子を味わってもらいたいと考え、1996年1月から3月まで長崎の老舗「松翁軒」にて修行をする。

・現在は、生まれ育った街SEIXAL市のAMORA区にてカステラ工房「CASTELLA DO PAULO」をもち、オーナーシェフとなる。カステラのポルトガルへの里帰りへの道のりを歩み始める。

◆智子 ヒラタ ドゥアルテ

・1962年5月12日、京都生まれ 島根大学農学部卒業

・幼い頃より、将来は料理か菓子関係の仕事につくことを夢みる。

・大学在学中に長崎へ観光旅行をする。「カステラ」をほうばり、卓ぽく料理に舌鼓を打ちながら「今のポルトガルの料理や菓子はどのようになっているんだろう?」と、その時以来ポルトガルの食に興味を抱く。そして、ポルトガルへ旅行し素材の味を上手に生かした料理や初めて食べるのになつかしさを感じさせる数々の菓子を味わい「どうしても、日本へポルトガルの食を再び紹介したい。」という思いにかられ、大学卒業後、即ポルトガルへ渡る。やっとの思いで働かせてくれる菓子屋をみつけ同時にレストランや家庭婦人より料理を習う。1987年7月に同じ菓子屋で働いていたパウロ氏と結婚。1992年、初心を貫くために日本へ一時帰国し、京都を中心にポルトガル料理の講習会を重ねて行う。

・1993年の各イベントには、夫君パウロ氏とともに参加し料理の講習会やデモンストレーションをし、また、新聞や雑誌でもポルトガルの食を紹介。

・ 現在、ポルトガルで一番ちいさな民宿「パウロの家」を営み、素朴で温かなポルトガルの食を日々の食卓を通してこの国を訪れる日本人に伝えている。長崎新聞では、「カステラの国から」を、ポルトガルのクリスタルガラスの宣伝誌には、「ポルトガル、食をめぐる冒険」を執筆中。

・日本からの旅行者のためにポルトガル料理及びポルトガル伝統菓子の講習会を開催。

◆ジョニー ヒラタ ドゥアルテ

・1988年11月6日、リスボン生まれ。

・両親に連れられてのべ20ヶ月の間に日本とポルトガルを2往復し、嵐山保育園に二度編入しポルトガルの保育園も二度入り直した。でも、そのおかげで現在のところ2カ国語を話す。甘えん坊のいたずらっこ。絵を描くのが好き。水泳が得意。ガールフレンドはいないようだ。

※カステラ工房「CASTELLA DO PAULO」に関して、すでに1996年4月28日TBS系「海の向こうでくらしてみれば」、6月15日「世界ふしぎ発見」にて日本では紹介されている。


 2001年3月28日、ちょうど夕食をとっている最中に、在ポルトガル日本大使夫人(笹口夫人)より電話が入った。
「明日の生け花の展覧会があるので大統領夫人にカステラをお土産として差し上げたいので、お店の宣伝とカステラの説明を書いたものを一緒に入れてもってきてくださいね。包装は智子さんの好みにお任せしますから。」

 3月30日から4月1日までリスボンのフォス宮にて日本大使館主催の「生け花デモンストレーション」が催される。それに先駆けて3月29日の午後六時半に大統領夫人も出席してのオープニングセレモニーがありました。パウロも事前に大使館からの招待状をもらっており、出席するつもりでいたのです。

 大使夫人からの電話を切るやいなや、
「パウロ!パウロ!大使夫人が大統領夫人にわたしらのカステラをプレゼントしはんで!」
とさけんでしまった。

その後は、気持ちの高揚を押さえるのに大変。世の中のみんなに聞こえるような声でさけんでみたい衝動にかられた。
「大使夫人がCASTELLA DO PAULOのカステラを大統領夫人にプレゼントするために買うてくれはった。!」

 その夜、カフェを閉めて家に戻ってきてもなかなか寝つけれなかった。涙があふれて止まらなかった。1996年1月にパウロが長崎へいったときから早送りの映像が頭と胸の間を走った。

 −−−この五年間いろんなことがあり、いろんなことをしてきたな。みんなカステラのためや。カステラをこに地に里帰りさせるため。本当においしいお菓子をポルトガルの人達に食べてもらうため。
 やっぱり涙が止まらへん。どうしよ。横で眠っているパウロに、『ようやったな。』と心の中で声をかけた。わたしも苦しかったけど、もっと苦しかったのはパウロやろう。ジョニーも一人にさせることが多かった。ジョニーにも寂しい思いをどれだけさせてしもたやろ。あかん母親や。
 たった一斤のカステラが売れただけのことやんか。泣くことあらへん。でも、重みのある売れ方をしたカステラやから。涙がとまらへんやんか。
 あぁ、また一つのことが終わり、新しい一つがはじまる。私が私らしく生きている限りできるだけのことはやってみよう。あきらめへん。カステラの里帰りはつづくんや。−−−

トモコ

(※大使夫人とは在ポルトガルの日本大使夫人。大統領夫人とはポルトガルのファーストレディのことです。)