特許出願と論文発表 ー特に八木特許「電波指向方式」の場合ー |
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虫明康人 | ||
通例、特許を取得したい内容の論文を発表する場合には、先ず特許を出願した後に論文の発表を行う。その際、特許出願の内容と発表論文の内容は、表現方法は異なるが主張点は当然同一である。その特許が登録されれば出願者は出願内容についての特許権を取得するが、出願者は発明者であっても、また、別人であっても構わない。併し、その特許出願書の発明者名は、当該特許の出願内容を論文にして発表した著者名と、当然一致している筈である。 したがって、八木特許[4]の出願書における発明者名は当然、その出願書の受理直後に学士院において受理された共著論文[5]の著者名と一致すべき筈である。即ち、発明者名は当然八木・宇田連名であるべき筈である。この観点から判断すると、八木特許の内容と、発明者を八木単独とする文書には矛盾があり、八木特許出願書から宇田の氏名が外されている点に基本的な問題がある。 これは、極めて単純で常識的な見解であって、それを裏付ける多くの公刊資料・状況証拠等[7]は先に示してあり、それらについては補足説明をするまでもない。併し、その中で最も重要な次の3点だけは再度指摘して置きたい。 1.八木特許「電波指向方式」出願の前に発表された西村[1]、八木[2]の実験結果の論文には、当該特許の核心となる指向性と配列方法については発表もされていないし、このような概念についての言及さえも全くされていない。 2.この系統の研究の中で、最も大きな ”Breakthrough” [注] となっている指向性(ビーム)と配列について、始めて言及した極めて重要な論文は、宇田単独名の文献[3]である。この論文は、これに続く宇田単独名の一連の論文を予告した序文であると理解されるので、その歴史的意義は大きい。このことを充分認識して、文献[3]の正当な評価を行うべきである。 3.当該八木特許の出願は、宇田に知らせることなく行われたこと。 ところが、GS氏の未発表原稿「電波史」[8] pp. 8-23によると、上述のような問題のある文書を説明無しに示して、その直前に発表された宇田論文[3]の正当な評価を行っていない。また、pp. 19-23 には、最も重要な特許文書[4]の図面と発表論文[5]の図面が何故か示されていない。この説明シナリオは、先に松尾氏によって執筆され、尊敬されるべき宇田先生の名誉を著しく傷つけた著書[6]のシナリオと正に一致している。この特許に直接関連し、出願前に公表されている最も重要な論文は、宇田の論文[3]であるので、この宇田論文を軽視した記述シナリオに強く反対する。しかも、当該特許の基本的問題点を正当化するかのような、種々錯誤に満ちたこのシナリオこそが、松尾氏の出版事件のような「宇田先生への侮辱」を誘発するおそれを孕んでいるのである。松尾氏の事件はその確かな実例の一つに過ぎない。以上が、GS氏の原稿に反論を続けている所以である。 |
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参考論文・公刊文書等(年代順) 1.西村雄二: 単巻コイルの固有波長の測定、電気学会雑誌、第446号、pp. 773-782、1925年9月 2.八木秀次: 短電波に依る固有波長の測定に就て、電気学会雑誌、第446号、pp. 783-787、1925年9月. 3.宇田新太郎: “短波長ビームに就て”、電気学会雑誌、第449号、1925年12月. 4.八木秀次: 特許出願 「電波指向方式」 1925年12月28日(受理) 1926年8月13日 特許取得 5.八木秀次・宇田新太郎: “Projector of the sharpest beam of electric waves.”(1926年1月9日受理)、 6.松尾博志: 「電子立国を育てた男」、文芸春秋社、1992年11月15日 |
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なお、今回の議論は2007年9月から数ヶ月間続けたのであるが、折しも、その年には数多くの老舗その他における古くからの偽造、偽装等が暴露され、「偽」を含む語が流行した。GS氏の電波史原稿中のシナリオの真偽、特に、発明者名に関連する有印公文書、即ち特許出願書の発明者氏名の真偽に対しては、結局、納得できる回答は得られなかった。 本小論は、故宇田新太郎先生の名誉がこれ以上毀損されないことを希求しつつ、明らかな事実誤認を頑固に認めようとされない方々との、無益な議論を打ち切るために執筆したものである。 (2008年2月、後に表現一部訂正) |
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